それから東京に戻ってから、

わたしは、仕事のない日は、

父親の入院している入間まで、

クルマで通った。

父親は、オムツをするのがイヤなのか、

下着を汚しては、

看護師さんには言わずに、

わたしが来るのを待って、

わたしに渡して来るので、

行くと、まずは洗濯から始まった。

入院して入院生活に慣れて来ると、

父親本来のワガママが出始めた。

やれ、外出して美味いものが食いたいとか、

(父親は食い道楽です)

退院出来るようにお前から言ってくれだとか、

入院なんかしなくても通院でいいだろと、

今にもひとりで外出しそうな勢いで、

わたしを慌てさせた。

父親は、自分が癌だということを知らない。

医者は、もって、1、2ヶ月だと言った。

わたしは、

このままもし父親に逝かれでもしたら、

なにか大変な事態が起こりそうで、

怖かった。

それは、嫁に行ってからは、

実家の家庭事情をよく知らないからだ。

この不安は何処にあるのか?

考えてみた。

すると、やはり母親と兄のことが浮かんだ。

(父親はなにかわたしに隠してる…)

そう思った。

そう思ったので、

これは、父親が生きている間にしか、

出来ないことなのでは?

との、思いに至った。

わたしは、この不安を払拭するためにも、

悩みに悩んだあげく、

父親に、癌の告知をすることを決めた。

そして、

お父さん、聞いて。

お父さんね、癌なんだよ。

肝臓の癌なの。

末期だから、もう手術出来ないの。

ねぇ、なにかして欲しいことある?

と、勇気を持って父親に言ってみた。

すると父親は、

かなりショックな表情を見せて、

急に沈黙してしまった。

当たり前だ。

しかしその後、

意を決した表情になると、

「退院するよ」

「やることがある」

「手伝ってくれ」

と、わたしに言った。

うん、いいよ。

と、わたしは答えると、

早速、退院出来るか、

病院のほうに聞いてみることにした。

病院には、

わたしが父親に告知をしたことを話すと、

まずそこで、

看護師さんから怒られてしまった。

「なにかあったら、どーするんですか!」

と、いうことであった。

現在は、

本人に告知するのが一般的だが、

この時代は、

本人に癌の告知をすることは、

あまりなかった。

ムリもないことである。

その上で、

もう余り時間もないし、

本人もやりたいことがあると思うので、

退院出来ませんか?

と、掛け合ってみた。

「ちょっとお待ちください」

「先生に聞いてみますね」

と、言われてしばらくすると、

その後、病院から退院の許可が降りた。

その代わり、ご家族が責任を持って看てください。

との、ことだった。

父親に、

ねぇ、退院出来るよ。

お父さん、自分の家がいいよね?

わたしがお父さんちに行くとなると、

うち〇〇(娘)いるから、

うちの家のこと娘のお世話ね、

四国のお母さんにお願い出来るか、

聞いてみるね。

だから、それまで待ってて。

と、言うと、

「わかった」

と、答えた。

それから、

彼のお母さんに電話をして事情を話すと、

わたしの家のほうには、

お母さんが来てくれることになった。

わたしは、彼のお母さんが、

わたしの家に来てくれたあとを、

父親の退院日に決めた。

父親はどこか寂しげな表情をしてはいたが、

自分の家に戻れることが、

嬉しそうだった。

わたしは自宅に戻り、

1週間後、

彼のお母さんが来てくれると、

娘のお世話でお願いしたいことや、

家の台所まわりの使い方、

買い物をする場所などを伝えた。

父親のことで、

わざわざ四国から来てくれたことだけでも、

感謝の気持ちでいっぱいなのに、

それに加えていろいろなことをお願いするのは、

心苦しかった。

一方、お母さんのほうは、

孫娘と一緒に住めるのが嬉しいのか、

終始ニコニコとしていたので、

それがいくばかりか、

わたしの気を楽にしてくれた。

お母さんが家を見てくれる期間は、

1ヶ月の約束だ。

わたしは彼のお母さんに家のことを託し、

そしてとうとう、

父親の退院する日がやってきた。

この頃には、

わたしは、とうに仕事を辞めていた。

入間に移って、

父親のことを1ヶ月も看ていたら、

仕事は出来ないと判断した。

好きな仕事だったので残念だったのだが、

また仕事はいつでも出来るときが来る。

と、思い諦めた。

退院の日、父親は外に出ると、

「あー、やっぱり娑婆(シャバ)はいいなぁ!」

と、まるでたった今、

刑務所から出て来たような、

ホッとしたような声を上げた。

それから父親をクルマに乗せて、

運転していると、

わたしに、

「あのな、実はな…お母さんと〇〇(兄)がな、オレに黙ってした借金があるんだ」

えっ?

それどーしてるの?

「利息だけ払ってて、そのままなんだ」

なんで?

なんで返さないの?

「だって、アイツらが勝手に作った借金だろ、オレの借金じゃないから返すつもりなかったんだよ」

「家族だけどな、関係なんかないんだ」

「もうとっくに家族関係なんか破綻してるんだ」

そんなのおかしいよ。

お母さん精神疾患あるんだから、

結婚生活継続出来ないじゃない。

それちゃんと理由になるんだよ。

なんで、離婚しなかったの?

「それはお前が結婚してるし、迷惑かかるからだよ」

それってお父さんが言ってることってさ、

結局世間体の問題でしょ。

「オレが全部悪いんだよなぁ」

「けどあれだな、お前が告知しなかったら、オレ死んだらお前困るもんな」

「言ってくれて良かったよ」

「今からそれ、返しに行こう」

わたしはそれを聞いて、

ビックリはしたものの想定内の出来事で、

不安が的中したことのほうが大きかった。

(やっぱり、告知して良かったんだ)

(しかし…うちって家庭環境悪すぎでしょ)

(やるっきゃない!)

それから、

預金口座やいろいろな手続きをして、

父親との生前整理が始まった!

Keiko 

つづく