父親が亡くなってから、
その3ヶ月後に、
わたしはアトピー性皮膚炎になった。
アトピー体質は、
アトピーという名称がまだ無い、
幼少期からあったと思う。
以前にも書いたかもしれないが、
小さい頃、
まだ胃の消化能力がないときに、
親によく卵かけご飯を食べさせられていて、
生卵を食べると、
その頃は、慢性湿疹という名称で、
肘の内側にブツブツが出ていた。
しかし大人になるにつれ、
調子が悪いとき以外は、
出ないようになった。
だから、治ったものと思っていたのだが、
ハタチを過ぎた頃、
まだ世の中に、
花粉症という名前が認知されていないとき、
その頃会社の受付嬢をしていて、
先輩が、受付のカウンターに、
毎朝お花を置いてくれるのだが、
花を置くと、
クシュんクシュんと、
やたらクシャミが出る。
その様子を見ていた先輩が、
「ねえ、それって花粉症じゃないの?」
と、言う。
なにそれ?!
と、はじめて聞く病名にビックリして、
会社の近くのクリニックに行くと、
「花粉症ですね」
と、いとも簡単に言われてしまった。
そのとき突然花粉症を発症したので、
アレルギー体質そのものは、
治ってはいないのだなと、
思っていた。
それが、父親が亡くなってから、
また突然アトピーを発症してしまったのだ。
はじめは、アクリルだとかナイロンの、
化繊の洋服を着ると、
腕がムズムズする程度だったのだが、
次第に、顔、首、胸、腕と、
順々に、上半身に発症した。
その頃ちょうど、
減感作療法という治療をしていて、
スギ花粉を定期的に、
一定の量からだに入れていくという、
花粉症の治療を受けていた。
2年ほど続けていて、
そのとき花粉症の症状は出なくなったのだが、
からだを慣らすとはいえ、
アレルゲンをからだに入れているので、
それが原因なのか、
はたまた、父親が亡くなったあと、
介護の疲れが出てしまったのか、
それは分からないのだが、
とにかくアトピーになってしまったのだ。
そのとき通院していた先生に言うと、
ステロイドの飲み薬を3日間だけ出してくれた。
しかし、3日すると、
症状はいったん消えるものの、
またクスリが切れると、
症状が出て来た。
先生は、3日分しか出せないと言う。
わたしは困っていた。
それから、
花粉症の治療は一旦終了することになり、
しばらく様子を見ましょう。
ということになった。
様子を見るといっても痒いのは辛くて、
そのとき近くの薬局に行ったとき、
勧められたある漢方薬を飲み始めた。
漢方薬といっても、
よくある漢方薬ではなく、
当時あったその薬局の店の人が言うには、
なんでも中国の有名な先生が出したクスリで、
アトピーが治る!
と、謳っているクスリだった。
「鍼もやってるのよー、紹介するわよ」
「アトピー治るわよ」
と、薬局の人が言う。
クスリは、かなり高額だ。
最初は躊躇していたわたしだったが、
この、「治る」という言葉に、
反応してしまった。
藁をもつかむ気持ちで、
買ってしまったのだった。
というのも、
このときのわたしと言ったら、
まだ女30代で、
まず顔に出てしまったことがショックで、
化粧が出来ないから、
オモテには出たくないし、
出るときはいつも帽子を目深に被り、
うつむいて、歩いていた。
(わたし…もう一生オシャレして歩けないのかな)
と、毎日がどん底な気持ちだった。
だから、「治る」という言葉に、
思わず飛び付いてしまったのだ。
それから、毎日その漢方薬を飲んだ。
しかし、治るどころか、
症状は一向に悪化していった。
薬局に行って相談すると、
「それは、治る前の好転反応よ」
と、言う。
それから今度は、
この漢方薬を作ったという、
中国人の医者を紹介されて、
鍼に行くことになった。
都心にある、
紹介されたクリニックに行ってみると、
診察というよりは、
この漢方薬の説明だけで、
あとは、ベッドが沢山並んでいる部屋に通された。
その部屋を見て、
わたしは、ギョッとした。
そこには、
沢山の人たちが各々ベッドに横たわっていた。
わたしもベッドに横になるように促されると、
先生のひとりひとりへの施術が始まった。
その様子を観て、愕然とする。
その治療というのは、
一般的な鍼治療には程遠く、
まるで生花で使う剣山のようなものを、
患部に刺すという行為だったのだ。
わたしはその異様な光景に、
早くも逃げ出したかった。
(なんだなんだ、この集団は)
(おかしい!わたし騙されてるわ…)
(アトピー商法か…)
と、気付いたときにはすでに遅く、
わたしの番が回って来てしまった。
(ええい!仕方ない)
(どんなものなのか、受けてやろうじゃない)
早速治療を始めようとする先生に、
わたしは、質問した。
これはなんですか?
なんのためにするのか?
すると、
「血出せば治る、悪血出すから」
と、かたことの日本語で言うやいなや、
わたしのオデコに、
いきなり剣山のようなものを刺した。
血が出た。
ショックだった。
わたしは呆然として、
「はい、もういいよー」
「治るからねー」
という医者をよそにして振り切ると、
わたしはベッドから降りて、
逃げるように部屋を出て、
会計をすると、一目散に出て道を走った。
(あー、もうなにやってんのよ!)
(あんた、騙されてるよ)
(人の弱みにつけ込んで!)
(許さないよ!)
と、哀しさと怒りの感情が込み上げて来た。
その後わたしは、
アトピー性皮膚炎を治すため、
まともな医者を探した。
そして、ある皮膚科に行き着いた。
その先生はわたしの手を診るなり、
「これね、好転反応じゃないよ」
「炎症起こしてるからね」
「それからね、世間でいろいろ言われてるみたいだけど、ステロイドって悪者じゃない」
「間違った情報気をつけて」
「ちゃんと正しく使えば治るし、だから世の中にあるクスリなんだよ」
と、説明してくれた。
そう、この頃は、
ステロイドというクスリは怖いと、
世間で広まっていた。
そこに便乗するように、
アトピー商法なるものがあったのだ。
民間療法ほど、怖いものはない。
と、思った。
自分がこのとき経験して学んだことは、
人間て悩んでるときは、
正しい判断が出来なくなるんだな。
と、いうことだ。
治る!とか、
言われてしまったら、
やっぱりすがってしまう。
弱いのである。
けど、世の中には、
悲しいことにも、
弱っている人たちにつけ込んで、
それを商売にしている人たちが、
いるのも確かなのだ。
自分の体質を変えるのは、難しい。
それは体質だからである。
もちろん食事とか水とかから、
生活も含めて全部やって、
変わった人も中にはいるだろう。
しかし、
全ての人がそれを出来るかというと、
やはり難しいと思う。
なにが合うとか、
なにが合わないとか、
自分のからだをよく理解して、
自分の体質とは、
うまく付き合っていくのが一番だ。
このとき、
わたしのアトピーは、
先生から出してもらったクスリを塗ると、
なんだったの?!
と、いうくらいに、
サーっと消えていった。
それから、出なくなった。
じゃあ、もう出ないの?
と、言われると、
出るときもある。
出るといっても、
このときのように酷いアトピーではなく、
手にちょっと出たりとか、
その程度だ。
それは、
食べ物のときもあるし、
からだが疲れてるときとか、
ストレスがかかったときだ。
花粉症もある。
アレルギー体質は、
依然として治っていないのである。
それに加えてこの仕事を始めてから、
エネルギーに敏感なことも、分かった。
「気」である。
まだ対処の仕方も、
なにも分からないときは、
スポンジのように、
いい気も悪い気も、
全部吸ってしまっていた。
だからおそらく、
父親を看ているとき、
悪い気も受けていたんだなと、
あとから思った。
これも、体質である。
悪い気は、溜めてしまうと、
からだに出るのだ。
だから、悪いものは溜めないで出すこと。
そして、いい気を吸収して、
循環させることが大事なのだ。
その後、
エネルギーに敏感な体質だからこそ、
人が分かるという自分にある特性も知った。
それも今の仕事に繋がっていくのだが、
このときのわたしは、
まだいい事も悪い事も、
経験するひとつひとつが学習となっていて、
いろいろなことを知るたび、
その度に驚いては、
喜んだり憂いたりしていた。
Keiko
つづく
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