「 新選組隊士!! from 唐津藩 」 からの続きです。


お待たせしました。


いよいよ唐津藩での新選組関連史跡めぐりです。


現時点で、私か確認できたこの件に関する史跡は以下のものです。

すべて、新選組に加入した隊士たちのお墓です。

そのお墓があるお寺などは全部で6か所です。



・近松寺

・法連寺

・大乗寺

・来迎寺

・浄泰寺

・満島共同墓地 (今回は未来訪)


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近松寺




【 「 小笠原 胖之助 」 の墓 】


・・・小笠原長行の義理の甥にあたる。

   明治10年10月24日の函館戦争・七重の戦いで戦士。

   東京都JR板橋駅近くの新選組殉難者墓碑にも名があり。





【 「 前場 小五郎 」 の墓 】


・・・新選隊士として蝦夷地へ渡ったが小笠原長行の世話をするために組を離れる。

   その後の戦況悪化により榎本武揚の勧めで長行は函館を脱出する。

   その際、小五郎も供をする。

   函館戦争も終わり、明治5年まで長行が赦免されるまでともに東京に潜伏し、

   その後唐津へ帰っている。


近松寺にはこのほかにも、

「 印場 馬作 」 「 中沢 務 」 「 小久保 清吉 」に関連していますが、

印場さん、中沢さんは位牌が納骨堂にあるらしいが確認できず、

小久保さんのお墓は、お寺の敷地内に小笠原記念館の建設にともなって移動し、

お墓は現存していないそうです。




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法連寺




【 「 鳥羽 多喜松 」 の墓】


・・・新選組では、第2分隊に所属。

  明治2年5月10日 新政府軍の函館総攻撃の折、

  守備していた弁天台場で負傷。

  15日 弁天台場で降伏。

  謹慎ののち、帰郷。


写真は割愛させていただくが、他にも
・鳥羽さんと同じく弁天台場で降伏した 「 山久地 文次郎 」 の墓

・  上と同じく                「 高仲  重次郎」 の墓

・弁天台場で戦死した 「 栗原  仙之助」 の墓

があります。


法連寺には、お寺の裏山に古いお寺が点在する墓地があり、

鳥羽さんのように墓石が痛み文字も読みにくかったりで探すのに一苦労です。



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大乗寺




【 「 高須 熊雄 」 の墓 】


・・・函館戦争 弁天台場で降伏。

  謹慎ののち、帰郷。




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来迎寺


「 野邊 小作 」の位牌があるだけで、お墓はありません。




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浄泰寺




【 「 山際 平三郎 」 の墓 】


・・・弁天台場で降伏。

  謹慎ののち、帰郷。

  「函館市中の某劇場で怪しい農兵(菜葉隊)を発見し戦死の際 奪われた胖之助公子の佩刀を発見した」  

  (『唐津新聞』)という逸話が残っている。


山際さんのお墓は無縁仏になっているらしく、ごらんのとうり縁故者を尋ねる紙が墓石にくくりつけてありました。

期日までに現われなかったら無縁仏として改葬するそうです。




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以上が、唐津藩での新選組関連史跡めぐりでした。



以下が 「 新選組隊士!!  from 唐津藩 」 前回、今回で参考・引用した文献ですので

詳しくお知りになりたい方はこちらをどうぞ。


・ 新人物往来社編・出版  「 新選組史跡辞典 西日本編 」

・ 大石 学 著        「 新選組  「最後の武士」の実像」」 中公新書