頭痛とうまく付き合うこと | ワンライフプロジェクトのブログ

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平成18年(2006年)に 福岡県筑後市で 『ワンライフプロジェクト』 という活動を立ち上げました。
『たったひとつの命だから』この一行の言葉にあなたは何とつなげますか?
 

17歳の優子さん
病院代を自分で稼ぐ為にバイトをしてました。
勉強嫌いな私は、あまり家にいる子ではなく、親友のチャリ吉君とどこまでも遊びに行ってたな~

夏休み、一回目の交通事故に遭った。
接触事故で左半身傷だらけ
顔は数日腫れ続け…見るも無惨なお岩さん状態に

家族からは優しい言葉はなく
お前がそそっかしいからだと、正直な言葉を注がれて
肩身の狭い思いで完治までおとなしく過ごしました。
当時、仲の良かったヨシヒコ君たちは、私の見舞いに来て大笑い。
私の顔を見て…
どんだけ厚い友情でっしゃろ。

さて、それから3ヶ月後
三者面談とやらが行われた帰り道

私、バスガイドになりたかったんですね。
しかし、体の弱い私は就職試験を受ける事が出来なかったのです。
受ける前に引っかかって…

将来の事を考えるべきか、やってくる命の限りまで、質素に暮らすか
またまた私は悩みました。

中3で余命3年と言われ
その期限が迫る日々を、泣きながら過ごすか、忘れたフリをして過ごすか

そんな事を考えながらの帰り道
2トン車にはねられてしまいました。

お岩さん状態再び
またまた左半身傷だらけ、プラス打撲、プラス包帯グルグル
口の中もザックリ切れ
開けられない

翌日見舞いに来てくれたヨシヒコ君、
先生から朝礼でクラスメートが交通事故だと聞かされたと。
欠席が優子とあと一人男の子だったと。
一体どっちだとワクワクしていたら、そのあと一人の男の子が呑気に登校。
おーっ、事故に遭ったのは、また優子なのかと盛り上がったとか…

なんと分厚い友情か‼
ありがたや

今思うと、誰か一人でも、私の心配をしてくれただろうか…
うーむ
思い出せない

家族からは、またやったのかと冷ややかな言葉
お前ばかしは、どうしてこうも落ち着かないのかと

まるで加害者のように

私は横断歩道を横断していただけですよー
何故私が責められる

しかも、当時の運転手さんは、優子が見えなかったとお詫びをされたよ

家族の皆さん、優子さんに冷たくはありませんか!

ま、いっぱい心配かけたんですけどね(*^^*)エヘヘ

1ヶ月後、ムチ打ちで起き上がれない朝、あれは驚いた。
傷がやっと治り、動けるようになった途端、全身動かないんですもの。
何事かと思いました。

おかあさーん!
ありったけの声で叫びました

さすがの母もあの時は慌ててた
トイレまで私を父と叔父が抱える横で

もらしちゃダメ‼と必死で連発

ん?
お母様、私の心配?
それとも万が一もらした時の後始末の心配?

ま、大きな家族愛に守られて優子さんは成長してきた訳です。

あれから32年、後遺症の頭痛とお友達(^^)
あまり好かれていない頭痛さんですが。

でも、私がちょっと無理をすると、必ず黄色の信号を送ってくれた友達なのです。

昨夜からまた友達はやってきた。
今朝もまだ優子の中にいる。

だから、今日はお仕事お休み(^^)

以前は、休んだら迷惑かけると思って動いていたけど、もう50間近。
そんなに無理してどうしますかー

私は自分とうまく付き合う事にしたよ(*^^*)

たったひとつの命だから