◆ 『おばあちゃんへ』 を読んで
先週の おばあちゃんへの手紙は とても感動しました。
私には 母がいないので、授業参観はいつも 祖母でした。
私も思っていました。
なんで私だけ ばあちゃんなの?って。
父と祖母をいつも困らせていました。
両親の離婚というものは 成人した今となっては さほど影響はないものの、幼いころは本当につらいものでした。
お母さんの手作り手提げを友達が持ってくると、心が暗くなって、その日は一日元気が出なかったのを覚えています
。
小学4年生のとき、祖母が入院して、私の遠足のお弁当を父が作ったことがありました。
オニギリが2個、海苔で髪の毛と 目を作り、かわいい女の子に完成させていました。
ウインナーもタコさんにしてくれました。
卵焼きも、ちゃんと形になっていました。
あとは 果物でごまかしていました。
でも、あのお弁当が忘れられません。
生まれて初めて作ったみたいで、とんでもなく早く起きて作ってくれました。
母親に会いたいと 父を困らせるのを 止めた日です。
それから 3年くらいたったある日、母が私の学校の近くで私を待ち伏せしていました。
母だとわかるまでに 少し時間がかかりました。
それは母も同じようでした。
一瞬ためらいましたが、母の淋しそうな目が、かわいそうに思えて近くの公園に行きました。
泣きながら謝っていました。
どんな形になっても 私にとってたったひとりの母親。
会いたかった。
母は私に一緒に暮らそうと言いました。
あの お弁当がなかったなら 私は母について行ったかもしれない。
母を 大好きでした。
会いたくて会いたくて いつも会いたいと願っていました。
でも その母が現れると、母親代わりをしてくれた おばあちゃんの事と、あのオニギリ弁当にこめられた父の思いが 熱く感じられて、母について行くことはできませんでした。
今、あの時のお弁当の話をしても 父は「忘れた」としか言いませんが、そんなことはないと思います。
家族は バラバラになってはいけないと ずっと思ってきました。
私は 特別な物は何もいらない。
ボロいアパート暮らしでいい。
車も乗れればどんなのでもいい。
旅行だって着るものだって ぜいたくはしなくていい。
ただ、一生一緒に過ごせる家族でありたい。
そんな家庭を築きたい。たったひとつの命で。
佐賀 『くるみ割り人形』