メッセージ 『養女』 | ワンライフプロジェクトのブログ

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平成18年(2006年)に 福岡県筑後市で 『ワンライフプロジェクト』 という活動を立ち上げました。
『たったひとつの命だから』この一行の言葉にあなたは何とつなげますか?
 

◆もうすぐ高校生!



昨年、私はとてもつらい思いをしました。

偶然、自分の戸籍を見てしまいました。

戸籍なんて、初めて見たし どう見ればいいのか分からなかった。

でも、ハッキリ書かれていました。

私の本当のお父さんとお母さんの名前・そして、「養女」という文字。



何がなんだかわからずに、お母さんに聞いた・・・怖かった



聞く勇気を持つまでに、3日かかった。



私の本当の両親は、私が赤ちゃんの時に事故で亡くなった。

そして、子供がいなかった今の両親の元に引き取られた。

血のつながりはなかった。



私は、急に父にも母にも似ていない自分を見つけ始めた。

本当のお父さんとお母さんの事を知りたくなった。

でも、両親も何ひとつ知らなかった。



急に 私は他人なんだと思うようになった。

他人なのに、ここにいていいのか、他人なのに、お小遣いをもらってもいいのか、食事していいのか。

自分の居場所はどこなんだろうと考えた。


お父さんと呼べなくなった。

ゴメン・・が、スミマセンに変わった。



ある日曜日の朝、両親が二人ででかけた。

ホッとした。

部屋のドアを開けると ダンボールの箱が置いてあった。



中を開けると 私の小さい時のアルバム、私が書いた絵や紙粘土で作った動物がたくさん出てきた。

私は紙粘土が大好きだった。

毎日毎日、母にプレゼントしたっけ。



そして、初めてもらった母からの手紙

「いつの間にか15歳ですね。

 あなたがウチに来たのは 1歳6ヶ月、寒い冬でした。

 その頃はお父さんの仕事の都合で鹿児島にいました。

 あなたは、お母さんの姿を探し回り、なかなか私になついてくれませんでした。

 初めての子育てにうろたえる私は、母親として、たくさんの本を読みました。

 本当の親子になれるように、あなたの服と食べ物は、世界にひとつしかない私の愛をいっぱいこめて作ろうと思いました。

その後、宮崎と長崎に引っ越して、この久留米に来た時は、あなたが養女である事を知っている人はいなくなりました。

そして、私達も忘れていました。

こんなに あなたが傷つくのなら、早く言っておくべきでしたね。

ごめんなさいね。

あなたの本当のご両親はもうこの世にいません。

私達は 神様からプレゼントしてもらったあなたと これからも一緒にいたい。

今までのように この家で一緒に暮らしてくれませんか?」

と書かれていました。



私の洋服はほとんど母の手作りだった。

私は仮縫いの状態で着せられるのが面倒くさくていつも逃げまくっていた。

おやつも手作りばかりだった。

カーテンもベッドカバーも買った方が安いのに手作りだった。

手作りだから捨てられず、なかなか新しいものに替えられなかった。


でも、自慢の母だった。



大好きなお父さんと お母さん、今まで育ててくれて、ありがとう。これからも迷惑をかけると思いますが、よろしくお願いします。


私の黒い髪はお父さんに似たし、私の指の形はお母さんに似た。

昔からそう言われてきた。

えくぼは、諫早のおばあちゃんに似たし。



 たったひとつの命だから、大事に育ててくれた。 

 たったひとつの命を守ってくれた。

 いつか、恩返しするからね。  ずっと一緒にいて下さい。



  私の両親は お父さんとお母さんだけだから。

       たったひとつの命だから 第2巻より