2024.10 

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●非承認と質問書

話は少し前後して2018年半ば。
患者会として、着床前診断のアンケートを提出した後、
その着床前診断(PGT-M)の申請が非承認となったと、連絡がありました。

まぁ予想通りという気持ちと、これだけやってもダメか、という落胆と。

ただ、一度ダメだからと諦めてしまえば、これが前例となって以降申請する人もいなくなる。制度は後退してしまう。

今回は私自身の申請ではなかったけど、通ってしかるべきだと感じていました。
なのに、非承認の具体的な理由も分からないままでは、
今後、もし他の遺伝性疾患で申請希望者が出たとしても、日産婦のさじ加減で承認、非承認が決められてしまい、その理由が患者に知らされないままというのはやはりおかしい。


と、日産婦の過去の委員会議事録を見ていると、様々な団体から要望や嘆願書などを受諾した、とかいてあったことを思い出しました。

今更要望書や嘆願書を出すのもおかしいし、
自治体など行政への要望や請願を見ていると、
「受け取りましたー」で終わることも多く、アピールはできても実効性はあまりない気も。

やっぱり、一番は非承認だったか理由を知りたい。
ということで、
あちこちから助言をもらいつつ、会として「質問書」を出してみることにしました。

好きになった人を攻略するLINEと同じ手(笑)
質問形式で「ですか?」で終わらせると、返事を返さなきゃってなるやーつー。(ほんまかいな)
試したことないけど。


回答を求めれば、返答のための議論をしてくれるかもしれない。
事実上ゼロ回答だとしても、それはそれで、「ゼロ回答でした」という事実は残る。



実は、普段文章を書くことも多い職業ですが、これほど、精魂込めて書いた文書は初めてでした。
私は、医療知識も乏しく、ビビリで行動力もあまりない根暗なので、常々助けてもらっている友人になにか恩返ししたいという気持ちもありました。

込めすぎて、自分や友人のこと、長男の遺伝がわかったときのこと、治療中の辛い宣告などを走馬灯のように思い出しながら、仕事の昼休みにカフェで泣きながら質問書の案を書きあげました。やだキモい。




この頃、私は日産婦に敵意むき出しのガルガル期(笑)どうせ大した返事は来ないだろう、とタカをくくっていたら、「質問書を受諾しました」と、日産婦から通知が来て驚きました。




アンケート、そして、質問書。


思いつきで2人でジタバタしながら送ったこの2つが、
その後、私たちが思っている以上に反響を呼んでいたことを知ったのは、つい最近です。

それまであちこちから噂を伝え聞いてはいましたが、5月に入り、友人がいち早く見つけて、教えてくれた日産婦の議事録。

子供を寝かしつけた真っ暗な寝室で、声を出して泣きながら読みました。(泣きすぎ)



学会の委員の大先生たちは、申請する患者の気持ちを考えたことがあるのか、と、当初は思っていました。
もちろんそれは患者という1つの角度からの主張にすぎず、社会で何か物事を決める時は、多角的な議論こそ必要だとわかってはいるんだけど。

医者や識者はそれぞれの立場で、やはりいろんなことを考えた上で議論しているということを、議事録を見て改めて感じました。
(中には的外れなことを話している方もいましたが)

思った以上に真摯に向き合ってくれてる人もいて、救われた気持ちでした。


2018年11月の日産婦の倫理委員会で、網膜芽細胞腫の申請の非承認事案について、質問書などに関する議論が行われました。
それを審議するため、12月に臨時の委員会が招集、開催されています。
さらにその議論を受けて、2019年2月に、質問書への回答の決定などとともに、今後のPGT-Mの方向性についても、意思決定がなされています。
その後、質問書についての回答書も、患者会宛に届きました。


これまで、PGT-Mの対象は、成人までに生存が危ぶまれるほどの重篤な疾患に限られており、RBは、疾患名だけで弾かれるような状況でした。
それが今後は、感覚器の障害や、日常生活に支障をきたす恐れがある場合など、
疾患名だけで判断せず、1つ1つ個別に審議して判断する、と方向性が変わるようです。

RBだから通るとは限らないけれど、審査の俎上には乗る。
指針や見解が変わるわけではない(むしろこれまで慣例で対象を絞っていたものを元に戻した、という感じ)小さな変化ですが、
今後の大きな意識の変化に繋がると思います。


他の遺伝性疾患の方々がこれを知れば、
審査してくれるなら申請してみようと思う人が出てくるかも知れない。
そういう希望を持てることは大きな大きな前進だと思います。




この先、長い目でみて、遺伝性疾患のPGT-Mがどうなって行くか、不透明な部分はあります。
でも、小さな風穴は開けられたと嬉しくて震えました。

10年かかると思っていたけれど、いろんなタイミングが重なって、想像以上に早く、動き出せたかもしれない。

逆に言えば、これまで、豊富な経験から知見を求められる立場になった医療者と、患者本人たちとの距離がどれだけ遠かったか。


でもやっぱり。
一番の後押しは、忙しい中時間を割き、率直な思いを書いてくれたアンケートの、生の声の力だったと思います。


ご協力いただいた患者さんとそのご家族がご覧になっていたら、この場を借りて心から感謝を申し上げます。
本当にありがとうございました。



日産婦の議事録はこちらからご覧になれます。


日本産科婦人科学会

平成30年度

●クリニック受診

話はまた少し前に戻りまして。
2018年秋、学会がそんな動きになるとも知らず、他の道をせっせと探していた頃。

大学病院で、卵巣嚢腫手術後のフォローアップ受診がありました。
術後経過こそ問題なくほっとしたのですが、
そこで、PGT-Mをどうするか、と主治医と話し合う場面が。

主治医は当時、すでに日産婦への申請を諦めているような雰囲気がありました。
海外でやるなら、いつでも紹介できるけど、どうする?ということを聞かれた時に、
やはり、仕事や長男のことを考えると、今すぐ、はい海外いきます!と決断できない。
という素直な気持ちを伝えてみました。

さらに、仲介してくれる機関や施設があること。
それらはいわゆる「正しい道」ではないけれど、今の自分の生活を考えれば、お金はかかっても、正直今の私にとって負担は少ない、という本音を話してみました。

主治医は納得いっていないようで、詳細は省きますが、あまりいい終わり方にはなりませんでした。



主治医はおそらく国内でPGT-Mが始まった当初からずっと、この問題に向き合っています。

その間産婦人科の生殖医療をめぐる領域では、
学会の指針に反して検査の手を広げる施設が出てきて、その結果、学会側の態度が硬化するなど、
素人でも知り得る歴史や背景があります。


学会の指針や内規を破る施設や機関が増え、統率が取れなくなれば、それを非難したり、対応策を講じることが優先され、
本来、本当に必要としている、希望している人に広く公平に制度を適応するかどうかの議論が止まってしまう。
主治医自身も望んで主張していた適応拡大への道はより遠ざかってしまう。


主治医のそういう思いも理解していました。


反面、前回書いたように、
社会を動かすという大それた目的のために、
私個人の希望や時間を蔑ろにするつもりはありませんでした。


大学病院で前向きにPGT-Mの申請を検討してくれるなら、と思いましたが、
そうでないなら、主治医の紹介で海外に渡航しPGT-Mを受けるのと、
仲介機関を利用してPGT-Mを受けることに、
そこまで差があるのだろうか?


と、答えの出ない問題をぐーるぐーる。
悩んでいる間にも、歳は取っていきます。


30代の10年間での卵巣機能が低下することは明らかで、
長男を産んだ時は妊娠に苦労しなかったとはいえ、
PGT-Mをやるなら、不妊治療なんてまったくやったことがないのに、いきなり体外受精をしなければならず、
時間が経つほど、採卵の成績は下がるに決まっている。


そんな焦りもあり、しばらくして出てきた答えは、
「とりあえず採卵だけしたい」
というもの。



大学病院の受診は3ヶ月ペースで、
それまでに海外渡航を検討するならいつでもきてください、という感じでした。

その3ヶ月の間に、日産婦の動きも見えてくるかもしれないし、
(当時はまだ、質問書提出後、なにもわかってない頃でした)
保険の意味で、採卵だけしておいてもいいかもしれない。


大学病院では、学会に申請もしていないPGT-M目的の採卵は出来ません。
(申請したとしても多分承認されるまでできない)

そこで、
集めた情報の中から、一番適していると思われる施設で遺伝カウンセリングや検査を行い、採卵をすることにしました。
実は、その行動を後押ししてくれたのも友人です。


正攻法で行くか、「正しくないグレーの道」で行くか、
まだ葛藤や迷いを引きずったまま、
2019年1月、全く未経験の不妊治療を体験することになりました。