※治療後の経過は個人差があります。あくまで体験談の一つとして参考になさってください。

私の親族に網膜芽細胞腫の罹患者はいません。いわゆる突然変異による発症です。 
治療とか闘病とか言ってみても、当時私は0歳児で、 記憶がなく、断片的に母から聞いた程度です。

当時と今は治療法もだいぶ違うため、ざっと端折って書きたいと思います。
また、思い出話もちらほら挟みます。ただの私のノスタルジーです。見苦しかったらすみません。



○治療から経過観察まで
1983年に生まれ、生後3ヶ月の頃に母が白色瞳孔に気付き(やはり「目が透き通って見える」と思ったそうです)、都内の大学病院を受診。よく母が憤慨していましたが、そこでは「余命半年」と言われたそうです。
両親がさらに知り合いの紹介を受け、国立がんセンターを受診。当時、網膜芽細胞腫の治療に関しては日本における(おそらく世界的にも)第一人者だった金子明博先生の診断により、左眼を摘出しました。

国がん退職後もクリニックで活躍しておられます。



結婚式のため、実家にあった私のアルバム(というか、写真屋さんで貰う紙の安っっっいアルバムの束)を探している時、家族4人で自宅で撮影している写真をなんとなく手に取り、余興のため自作していたムービーに使用しました。
襖の前で、普段着で座る両親と兄と私。式の後に母から、「摘出手術の前の日の夜に撮った写真」と聞いて驚きました。

今のように、スマホ一台ですぐに撮影ができ、不安があれば一歩も動かずにネット検索できる時代ではありません。患者団体もなく、情報収集も容易ではなかったと思います(母は摘出手術の時に入院が一緒だった子の親と今も年賀状をやりとりしています。昭和w)。

左眼摘出後は、右眼の放射線治療。
現在、国がんなどでの放射線治療は入院して抹消点滴(手の甲)を取り、鎮静剤で眠らせて照射しますが、私は外来通院で行なっていたそうです。鎮静があったかはわかりません。月齢が低く固定がしやすかったのか、完母だったからか(当時の病棟は付き添い不可)、理由はよく分かりません。

放射線治療後は、経過観察に入りました。おそらく1ヶ月おき→3ヶ月おき→半年に一度、という具合に間隔が空き、中学生くらいの時は夏休みと冬休みに一度、という感じでした。

高校くらいから1人で通うようになり、1年に一回(社会人になってからはもっとと空く時も)に。
両眼性で放射線治療を行なっていると、二次がんのリスクが上がります。骨肉腫などが発生しやすいと言われており、骨肉腫は元来、10代の成長期に発生しやすいからかな、と、後になって勝手に理解していますが、真偽はわかりません。


○経過観察
経過観察は、視力検査や眼圧の検査の後、目薬で散瞳(瞳孔を開く)し、摘出した左眼の眼窩のチェックと、右目の眼底検査。異常がなければ、検査にあまり時間はかかりませんが、眼科はいつも混んでいるので、待ち時間は長かったです。

小さい頃の眼底検査は、暴れないようにバスタオルなどでミノムシのように体を固定し、場合によっては開眼器を使って行います。私自身は大して覚えていませんが、物心ついてからは、赤ちゃんが診察室で泣く声が聞こえると、「可哀想だな」と思っていました。

小学生くらいになると、座ったままライトの光を見ながら検査ができるようになります。当然瞳孔が開いていて眩しい。金子先生は小児疾患を専門にする先生なのに塩対応な方で(笑)、小さい頃は怖い印象でした。眼底検査も、「右見て、はい、左、上」と淡々と。大抵付き添う看護師さんが「ほらー、右だよードラえもん見えるかなー!!上、上、アンパンマンいるよー!!」と必死でした。

当時はがんセンターは古い建物で、今みたいに遊ぶスペースもなく、床は変な模様のタイル張り。眼底検査のための瞳孔を開く目薬をすると、本が読めなくなるので暇でした。その床の模様を迷路のように目で追う遊びをよくしていました。
検査の帰りはマクドナルド(笑)築地も銀座も近いのに、マクドナルド。

視力検査などをしてくれる技師さん(視能訓練士というのかな)に、Kさんという女性がいました。ショートカットで、襟足の一房のみ長く伸ばして、たまに三つ編み、忙しいとそのまま。おそらく大学生になる頃まで見ていただいていましたが、「久しぶりー」「何歳になったっけ?」と交わされる会話が好きでした。

小児がんは部位に寄らず、長期フォローアップが必要になります。代替わりは必然ですが、手術の執刀主治医や、幼い頃から知ってくれている方々にある程度の年齢まで診て頂けたことは、有り難かったです。


金子先生の後任が、現在長男の主治医でもあります。
眼科の医師不足は深刻ですが、この病気に関する専門医不足はさらに深刻だと思います。
推測ですが、全身化学療法や、局所治療などの開発により、放射線が主流だった頃と比べ、治療に要する期間は長くなっていると思います。
もしかしたら、眼球温存率は上がり、二次がんの発症率は下がっていくのかもしれませんが、全身化学療法も局所治療も未だ途上の治療法であり、再発率も低くはありません。治療が必要な患者の延べ人数は増えていると考えられます。

受け売りですが、海外では、患者団体が主体となり、検査や治療に必要な器具を募金で購入して寄付したりといった啓発、自助運動が盛んだそうです。外来で全身麻酔を行い、正確な眼底検査と簡単な治療なら日帰りで可能だそうです。
そういった体制の整備は、日常、患者を救うことに忙殺されている病院や医師らだけに任せていては不可能だと思います。
小児がんは希少で患者数が少なく、研究者が少ない上、治験や臨床研究で新しい治療法を開発するのも、大人の疾患に比べて非常に制約が多いはずです。根治に向けた医療の進歩のためにも、経験者である患者たちが声を上げてできることがあればいいなと思っています。