本格的にブログというものを通して自分の意見をパブリックで発信する以上、
お目を通して頂く数は一旦、脇に置いておいたとしても、なんでもかんでも手当たり次第にはしたくありませんし、
もちろん怒りの感情に任せてなど、もってのほかだと思っております。
ですが、あえて酷評させて頂く事も出てくると思いますので、
自分の中でのボーダーラインを据えた形で発信させて頂いている事を
お伝えしておきたいと思い、今回、このような文章を書くに至っております。
正直なところ、どのようなジャンルにおいても、
酷評はあまり発信したくないというのも心情ではあります。
なぜなら提供する側にも様々な事情や苦労、そしてそれを生業とし
生活を営んでいらっしゃるという背景があると思っているからでございます。
そして、そのような背景を鑑みているとしても、当事者でない以上、
所詮はただの野次馬でしかなく、当事者の心情等を量りえないと思っているからでございます。
もちろん黙する事もできます。実際、黙する事もあります。
ですが、酷評させて頂くボーダーラインとして、
そのサービスを受ける前段階で、他の方の評価に左右されず
自分自身が体験した上で、個人的に時間及び金銭的に浪費だったと感じた時のみ酷評をあえて発信しようと思います。
その意図としては、提供側の意思や都合等は鑑みたけれど、そのサービスを受けるにあたり、有限である時間や、その時間を切り売り、そして心身を消耗して得た金銭を受け手側が無駄にしてしまいかねないと思うところに由来しています。
そして世間での指標としてよく使われている5つが最高の星の評価で個人的に星を1つ付けれるか付けれないかの(100点満点中25点未満)場合のみとしようと思います。
要するに「あまりにも酷い」「受け手側の事を少々、軽くお考えではないでしょうか」と感じた時のみです。
とはいえ、このようなボーダーラインを自分に引いたとて、酷評とは所詮、ただの愚痴や文句を吐き散らしているに過ぎないとも存じております。
ですが、なんらかのサービスを提供して対価を得るという事は提供側は受け取る側から頂戴する時間及び金銭相当の、もしくはそれを超える満足感を与えるという本分を忘れてはならないのではないかと最近、よく思うのです。
これといったジャーナリズムがあるわけでもないが、とりあえず5段階評価が誰でも可能になった昨今。
その数値に左右されて、本来の良し悪しが不明瞭になっているのではないかと感じます。
特に租借する訳でもなく周囲の声や事前情報に踊らされつけられた高評価。
実際は「どちらでもない」だけという謎の星3というグレーな「それなら評価しなくていいんじゃない」とさえ思ってしまう、評価とはいえない評価。
その、ただ「どちらでもない」だけの3周辺の数値で安堵して「全然いいじゃん」と勘違いしているサービス提供側。
影響力がある訳でもない僕がどれだけを「1」や「0」を叫んだとて、「3」という数字に埋没していくだけとはわかっていますが、「1」や「0」って感じたやつもいるんだぜと、多数派意見や世俗に流される事もなく、自分の5~6感で感じた事のみが全ての人間が悪あがきしているのも、滑稽で面白いのかなと思っています。
もちろん、よかったと感じる事も発信していきます。
ただ、星3周辺の「どちらでもない」は論評にもならないので発信するつもりもありません。
そんな感じで酷評も発信していきますが、「届きもしないのに吠えてるわ」程度で見て頂きたく思いますし、「そういう風に見てるやつもいるのか」と、僕のコンセプトである多角性の1辺として見て頂ければ幸いかと思います。