第一章 2稿 2/4 030~054 | BED

第一章 2稿 2/4 030~054

☆030

キジは道にいたツジからの脱出者である名も知らぬ男、

キタのその言葉を疑わなかった。

なぜかはわからない。

しかしそれを不思議とキジは疑わなかった。

乞食がいるという屋敷の存在までキジは知らなかった。

しかしそこを訪れることを自然と欲していた。

なぜかはわからない。

男が最後に言った「お名前を」という声が耳に残っていた。

「あの人とはまたどこかで会うな、お互い生きていれば」

キジはそう予感した。

近づいてきたツジはその風に死臭を運んできた。

それはキジに戦地を思い出させた。

都市の外壁にかなりの人影が折り重なっているのが見える。

振り返れば僧と兵の一団は三つに別れはじめていた。

南門の隊の者たちは動かず、そこから東の隊、西と北の隊が

それぞれ左右に大きく迂回の道をとって動き出していた。

ツジは敵地ではない。

しかし都市の攻略にも似てキジは改めて呼吸を整えた。

キジはその息をひゅるるると死臭の風に乗せてみた。

壁際の道に出たキジは壁を沿って南門へと進んだ。

それはキタが歩いて来た道でもある。

死体を見ればそれは餓死によるもので病ではなかった。

残暑があと半月続いていれば疫病が発生しただろうと見た。

遠くから見た時には感じられなかった人の気配、

壁づたいにそれは強く感じられてきた。

門に近づくにつれて死体の様は残酷なものになっていく。

そこには暴行の跡が残されていた。

殴られた跡のない、血のない死体が少なくなっていった。

先の南門から誰かが立ってこちらを見ている。

その影は歩き近づくキジを認知して飛ぶように中へ消えた。

キジは南門に着いた

☆031

キタもキジの言うことを疑わずに待っていた。

そしてしばらくして左手から六、七頭の馬が来た。

三人の馬士がこれらを引いていた。

先に行った長い弓を持ったあの人と比べて

それら馬士たちは背が低く腹を出した下衆であった。

座り込んでいたキタを見つけて足を止めるとその一人が

「おめツジから来たんけ?ツジから来たんけ?」と

出っ腹を隠しもせずにキタへまくしたててきた。

黙っているキタに「ツジから来たんだろおめ、おめツジけ」

などと口早に言っている。

さらに別の一人が「おめくっせぇ~ど、な、おめくせど」と

キタの体に染み込んだ死臭に気付いて騒ぎ出した。

「かぁ~くっせぇ~どくっせ」 「あひゃひゃくっせ~どくせ」

そして無反応なキタを笑いからかいはじめた。

あまりにも無反応なキタに一人が啖呵を切り

「だったらこったらべったぁ!」

「ごいおまえっだらこったらごぉ!」

などと何かをわめいて顔を近づけてはキタの頭へと吠え続けた。

そうしているうちに先頭の馬がひとりでに先へと歩きはじめた。

馬士は慌ててその離していた手綱を拾いにキタから離れた。

そして振り返り何かをキタに叫びながらそのまま離れて行った。

馬は三、四頭づつに縦に繋がれてそれぞれ馬士が引いていた。

その最後尾の馬は黒く、他の馬よりもひとまわり大きかった。

その黒い馬だけは短く縛られた手綱を付けてはいたが

引かれてはおらず鞍も一頭だけ付けられていなかった。

そして馬士がその鞍を背負ってその横を歩いていた。

黒い馬は引かれず先の馬たちの後を付いて歩いて行った。

その馬の名はギンザという。

ギンザは野生馬だった。

人に育てられた馬よりも体が太く大きく、気性が激しい。

戦地では決して後ろへは引かず強く前へと出る馬だった。

この才馬を荒野に見つけて手なずけたのがキジであった。

ギンザはキジの馬であり、その背に他人を乗せなかった。

そしてキジ以外の者に引かれることを強く拒む馬だった。

ギンザを引いて歩くことはキジ以外の者には難しかった。

キジは大陸へこのギンザを連れて渡る準備を進めていた

☆032

馬を見やってキタは再度荷を担いだ。

あの背の高い弓の人はツジが夕方から騒ぎになると言った。

キタはその前にしておきたいと思っていたことがある。

そのために先へと急いだ。

もらった餅のおかげで腹が落ち着き少し力が湧いていた。

キタはその先に小さな水の流れのあることを知っていた。

小さな川であるが水の流れはさらに少なかった。

川といってもひとまたぎできるような流れである。

そこへ降り全裸となってキタは体を横にして洗った。

体を水につけるなどというのは何日ぶりだろうか。

そのまま髪もすべて水でぬぐった。

水はやせた体にとても冷たく感じられ

空気が冷たかったがしばらくそのままでおり

乾かした後にまた全身を横にして洗い直した。

そうやって三度、同じく全身を上にして下にして水で流した。

そしてツジから持ち及んだ荷の中から一枚、

男が着てもおかしくない柄を選んで着直し

それまでの物は小川に浸し、上げて乾かし置いた。

着慣れない布の感触、新しい帯は肌に擦れた。

それ以外の物はすべて陽と風に当てて、ツジの臭いを消し去った。

しばらくぶりの水浴びに疲れキタはそこで眠った。

陽は傾いているが夕刻までにはまだ早い。

静かなのはここでも同じである。

しばらくすると水の流れる音が聞こえてきた

☆033

一方、ツジのキジは南門をくぐっていた。

それを待ち受けていた明らかに外部からの男たちの視線、

前、左右の三方に散らばって相当な数がこちらを見ている。

武装したキジに驚き黙って見つめていた。

「悪さしによくもまぁこれだけな」とキジは独り言した。

ツジ住民と思われる者はほとんど倒れているか座っていた。

それらの視線はまったく力がなくうつろだった。

やはり聞いていたとおり相当に荒廃が進んだ後だな、と

見渡したキジはその左手に倒れている僧に近づいた。

それは先に説教をした若僧である。

その僧が一団の者であることをキジは知っていた。

僧たちが何やら先に若いのを二人行かせたと聞いた。

その意味をキジは訊かなかった。

その若僧の二人はツジの四つの門の様子を先に見て

後から来る兄弟子たちの一団に伝える役を託されていた。

しかし途中で要らぬ経を唱え説教した結果これとなった。

たしか二人で行ったはずだったが、と

キジは若僧の砂だらけの首筋に指を当てた。

僧はまだ生きていた、しかし大量の血を吹いている。

今夜あたりが山かと、死なずにすんだとしてもこの叩かれ様、

後からくる腫れに相当苦しむなと、キジは思った。

そして動かさずそのままにしておいた。

無表情でそれを見守っている男たちの騒ぎっぷりが思われる。

見返したキジは目を細め立ち上がり

「知らぬ存ぜぬ許さんぞ…」と囁いた。

そして門を背に歩きはじめると鎧の音が静けさに響いた。

その動きにあわせて犯罪者たちも行く。

しかしキジが進むほどにその数は減っていき

ツジ内奥にまで付いてくる者はいなかった

☆034

ツジの内部へ進むほどに人の気はなくなり

静まり返っていくのはキタが歩いた時と同じである。

これから起こされる騒乱を前に傾いた陽が道の凹凸と石々に影を付けていた。

その陽の映し出す荒廃の様と色は真昼とは違っていた。

乾いた空気、動けずにいる住民の視線を時々に感じながら

キジは略奪された家々の中を覗いてみたりした。

家屋の暗がりに残されたその略奪の様子に

人とはどこでも似たようなことをするものだ、とそして

火を付けて廻る者が現れていないだけまだいい、と

キジは思った。

しかし南門周辺にたむろするよそからの男たちが

この内部へと足を進めないだけあって確かに異様だった。

略奪の爪痕の続いていくそれは確かに気持ちは悪い。

キジは思った。

あの脱出した人はこの辺りを通ったのだろうな…

それであの表情とはかなり肝っ玉がすわった男だな、と。

そして微笑みを浮かべたが死を待つ視線がそれを見ていた。

気付いたキジはざっとその方を向き眉をひそめて思った。

笑っちゃまずいな、こんな所で…

☆035

進んだそこにこれのことだなと思わせる屋敷があった。

開かれたままの正門を見てキジが思ったのが

あの人はここへ入ったのか、ということだった。

傾いた陽に屋敷の正面は影となっていた。

開け放たれた屋敷の入り口、その奥は暗がりだった。

んんー、とキジは低くうなって頭を上げた。

その広い間口に不気味を感じる。

外の四隊がその配置に着いてしまう前に何とかしたい。

ここに屋敷があったようにここに乞食はいたのだろう。

まだ中にいるのか。

その乞食もこんな場所で一人いるとはずいぶんな奴だ、と

厳しい船旅に連れて行くにも不足はない。

屋敷に入る前にキジは来た道の南北を見通した。

馬はまだ来ないか、と

遠く人影がふらついて道を渡るのが見える。

静かな夕刻前、キジは屋敷へと入った

☆036

屋敷の敷居をまたごうとしてキジはやめた。

「おかしい」

彼の感覚は危険に対して驚くほど敏感に発達している。

すぐに後ずさりしてそのまま屋敷の入り口の右手、北側に伏せた。

屋根を見上げたが人影はなく左後ろの門も同じである。

そしてそのまま屋敷の北側の端まで壁を沿い移動しさらに西側へと歩伏した。

このとき彼は瞬時に屋敷内部の異常を見抜いた。

そして表通りと裏通りの中間、

敷地の正面と裏面の中間にあたる場所に止まった。

北側のその空間は屋敷の壁と屋敷を廻る北壁との間にあたる。

人の歩いた跡のない地面には美しい苔が張りつめていた。

しばらくの間、キジはその苔を指先で愛でていた。

そして屋敷内部に足音を確認し即、そのまま西側へと動いた。

聞こえたそれは乞食の歩みにしてはずいぶんと重い音がした。

屋敷の裏側、裏門の面に出たキジはこの建物の造り、

その東西よりも南北が、より奥行きの深い構造なのを知った。

そしてそのまま南へ下り伏し南側に庭のあることを確認した。

その途中に過ぎてきた裏戸が開いていた。

それはキタがこの屋敷から出てきた場所である。

キジは壁に登り解いた縄と弓で屋敷の屋根にみるみる登った。

そこに立ち上がり見れば四方にはツジの屋根が続いている。

四つの門も見えないがほぼその位置を確認することができた。

もうそろそろ着いてもよさそうな頃だ、北の門の連中も。

暗くなってから討ち入る気かあの僧たちは、とキジは思う。

屋根の上を再度、来た方向に東へと戻り進んだ。

そしてその途中に屋根の穴、中庭のある場所を見つけた。

あの湧き水のある中庭である

☆037

キジは屋根からその片眼だけを覗かせて中庭をうかがった。

室内からの足音が聞こえる。

すると眼下の北側の廊下から中庭へと男が降り出てきた。

そしてあの中庭の湧き水に伏せりその水を飲んでいる。

その時、そこに湧き水があることをキジは知った。

さらにその場所から男へ向けて弓を引き言った。

「動くな」

男は屋根の上で弓を構えるキジを驚いたように見上げた。

その男はこの屋敷の主のあの剛毛の従者であった。

もちろんキジはそれを知らないでいる。

膝をついたまま固まっている男にキジは問いただした。

「この家の者か」

見上げている剛毛の従者は無言でうなずいた。

陽を背負った屋根の上のキジがひときわ大きく見える。

キジは弓で狙ったままの体勢で中庭に飛び降りて来た。

鎧と武具の音が響く。

立ち上がったキジの体格の良さに従者はさらに驚いた。

キジはその男の様子と装いからこれを下男だと考えた。

「この家の名は」

キジが訊いた。

従者はしばらく間をおいて「カワナニ」と答えた。

その名にキジは聞き覚えがあった。

朝廷で毒盛りからの騒ぎを起こしキサラギを失脚した男、

その男がツジとは深い関係にありその親族がツジにいる、

その失脚の男の名がカワナニといった。

その名を聞いてキジはすぐに推定した。

屋敷がそのカワナニの親族のものだということを

☆038

動かないままでいるその男の様子にキジは弓を下ろし

その手の平を上にあげ立つようにと男に促した。

背後左右の室内に人の気配は感じられない、

男が一人でここへ来ていたのが読める。

剛毛の従者はキタが裏門から出た後にやって来ていた。

表の通りを歩いて来たためにキタとは入れ違っていた。

キジは無言の内に思い巡らせていた。

この男は何をしにこんな場所にまで一人来たのか、

そして男はその手に棒状の布の包みを握っていた。

それを見られたくないような表情でもある。

キジはその男の名などを訊く気はまったくなかった。

ただし男の持つその棒状の布の包みには気が向いていた。

その長さ形が刀剣を包んでいるように見えたためである。

そしてその通りだった。

「刀が使えるのか」と突然にキジは言い放った。

従者は一瞬キジを見開き、何も言わずにその目線を外した。

「見せてくれないか」

男は動かない。

キジがその手を男に伸ばすと男は片足を後ろへと引いた。

キジの目が鋭く輝き、一回その鼻息の音を男へと聞かせた。

剛毛の従者はその主に命じられ屋敷の様子を見に来ていた。

そして一番気になっていたのが十日前に犯した犯罪である。

それは従者の主も同じだった

☆039

「ここに何の用だ」と訊いたキジに男は黙っている。

ここでキジは男がかなり酔っていることに気付いた。

傾いた陽、異様に静かな中庭にあの水の流れる音がする。

キジは一歩進み、続いていっきに男の傍らへと立ち上がり

左手でその布の包みを強引にひねり奪った。

「うぐぁっ」

キジは男の上げた声に右手でその胸ぐらを掴んで弾いた。

飛ばされた男は東側の廊下前へと倒れ込んだ。

男の胸毛の感触がキジの拳に残る。

キジはその包みを解き中にやはりと刀を見つけた。

その造りは実戦用にしては軽く薄い。

しかし悪い品ではなく、むしろ良い物だった。

抜いて見ればその刃に血糊はない。

しかし以前付いた血糊の一部、

それが拭き取られぬままわずかに刃に残されていた。

その刀は今日は使われなかったが以前確かに使われた。

この血糊の状態から見て約十日前頃か、

この男が人を斬ったのは、と。

キジは倒れたままでいる従者を見据えた

☆040

キジは奪った刀を鞘に収め北側の廊下へと上がった。

そしてそのまま西、南と廻りながらそれぞれの内部を伺った。

腰をついたままの従者はそのキジの様子を目で追っている。

東の廊下を歩こうとしたキジに振り向き後ずさりする従者。

「中には誰もいないのか」

キジの問いに従者はうなずいた。

室内は荒らされている、いくつかの足跡も確認した、

しかしそれ以上に異様な気配が北側の内部から感じられる。

キジは従者に告げた。

「私が戻るまでここで待っているんだ、それまで刀は預かる」

従者はわずかに困惑の表情を見せた。

「居なくなっても構わん、ただしその時はこの刀は戻らんぞ。

私は朝廷から遣わされてここへ来たんだ、悪く思うな。

元はここにお前も住んでいたのだろう、なにも逃げることはない」

そう言って北側の廊下へと進み廊下で中庭を一周した。

キジは目付役ながらもツジの混乱に乗じた者たち全てを捕縛する気でいた。

そしてこの剛毛の男も何か犯罪を犯していると確信していた

☆041

北側の廊下からその室内へとキジは入った。

死臭がさらに強くなるのを察知しながらの薄暗い部屋。

北側へと仕切りをひとつ越え、さらにひとつ越え進む。

外側を廻って来たときには感じなかった重たさと異臭。

その奥に錠の外れたままの部屋を見たとき、

キジは異様の発端がここだと直感した。

そこに死体があることは見ずにもわかった。

しかしかすかに気配もしている。

その気配が何なのかキジにはわからず不思議だった。

振り返れば明るい中庭が、そこに従者が立ってこちらを見ている。

「くっくっくっくっくっ」

その立ち姿の間抜けっぷりにキジは吹き出すのを我慢した。

その替わりに大きく微笑んでその手を挙げて合図してみた。

ついでに中腰になりその両手を広げ上げて舌を出して見せた。

従者は何の反応もせず、キジのいる方向を見つめている。

さらにキジは鼻をつまんで両足を上げ下げして見せた。

従者はそのままで動かない。

そんな小さな動作では見えないのかとキジは思った。

室内は薄暗く中庭は明るい、そのせいもあるかと。

しかし見えてもいいものだと思い

今度は自分の尻を従者に突き出し何度も叩いて見せた。

従者は動かない。

つまらないなと、キジは思って錠部屋に肩を入れた

☆ 042

「牢か…」

金持ちなら誰もがやるその遊びの跡にキジは呟いた。

重い錠扉を両手で広げ開け中庭からの光にさらそうとした。

しかし午後の傾いた陽はその奥の間には届かない。

窓のない部屋はさらに暗く異臭は極みに漂っていた。

その死臭には血の臭いが含まれている。

そこにあるのが普通の死に方ではないことがわかった。

目が暗がりに慣れる前にキジはその部屋の全体を視野に入れた。

部屋の中に立派に組まれた牢だった。

太い柱は頑丈そうにどす黒い。

牢の天井は低かったが立って歩ける高さだった。

その間取りはここでなされた数々の下品の痕を醸し出している。

片膝をつくキジは嗅覚が鈍くなっていくのを感じていた。

目を細めながら見えたのは牢の中には四人が倒れている。

その死体は整然と並んでいた。

誰かが死体を動かした。

その不自然な様を見た途端、キジは嫌になった。

向かって左側から、全裸の女。

全身に刀傷を負っている。

その傷跡から見て奪ってきた刀の血糊はこれだと感じた。

その隣に衣服を着た女が二人、共に顔を潰されている。

その衣装からこの屋敷、もしくはどこかの女中かと考えた。

そして一番右に一人、女着でこちらに背を向けていた

☆043

うたた寝から目覚めたキタは残りの餅も食べ

荷を背負ってその先にある家に寄っている。

そこはツジから離れた一軒家、農家であった。

その家はツジの近隣でも最たる豪農の一軒である。

その表向きは飢饉の影響を被ったようであった。

家のまわりは荒れ放題となっていた。

しかしその内実は違う。

その家は毎日の食料には事欠かないでいた。

わざと人が寄らないようにと荒れた風を装っていた。

キタはそれを知っていた。

ツジに飢饉が見舞ってしばらく後、飢饉二ヶ月後の末頃、

童顔の女をツジに訪ね夜中偶然に、放浪癖のキタはこの家の近くを通った。

その家からは水炊きの匂いが漏れていた。

近づいて中を覗けばこの家の者たちが食べていた。

それからしばらく経った夜中、キタはまた覗いた。

飢饉の進行とは無関係に家族は盛んに食べていた。

そうしてツジが僧と兵に平定される日の直前の昼間にもキタはまた来た。

その家人はまるで無口で無反応だった。

しかしそのように装っているのをキタは知っていた。

その夜覗けば、皆また盛んに食べていた

☆044

農家の主人はキタにいろいろと尋ねた。

そのキタの持つ荷に態度を豹変させたのである。

ツジから来たのか、その荷の着物はどこから、と

死臭を消してこざっぱりしたキタに問い続けた。

しかしキタはその荷の着物は見せたが問いには答えない。

口のきけない振りをしたのである。

そしてある時は口を開け、ある時は口を結んで、

身振り手振りでこの品を食料と替えるように伝えた。

その着物欲しさに食料がないと主人は言えなかった。

食料の蓄えはある、しかし主人はそれも言えないでいた。

以前どこかで見たかこの口のきけぬ男、飢えているようでもない。

着衣も汚れておらずツジ外部から来た商人なのだろうか。

主人は広げられた着物のいくつかを手に入れたいと思った。

しかし食料のあることが外部に伝わっては困る。

金でどうだと訊いてみたが商人はうなずかない。

どうするか迷っているうちに後ろから主人の妻が出て来た。

その肥えた女を見たキタはこれ見よと隠しておいた反物を

一本広げて見せた。

それを見た夫婦は今手にしなければ手に入らないと思った。

そして女は貰うようにと盛んに主人をつつきはじめた。

そして主人は折れた。

ここに食料があるということを人に言わないならと言い

キタをさらに奥の土間へ入れた。

もともと口がきけないのだから喋るはずもないだろう

主人はそんなことも考えていた。

意地悪な男である

☆045

キジはその女着の背に気配を感じた。

生きている…

部屋の外から感じた気配はこれかと、

そしてその顔を見るためキジはその牢部屋へ完全に入った。

先のキタもここまでは進み入らなかった。

北に向かって寝かされているそれら四体、

キジはその牢の正面と平行に右へと横にゆっくり動いた。

薄い闇に異臭がさらに強まったのがわかる。

よどんだ空気、キジはさらに入る。

牢正面の中心を過ぎ、二人目の女中の足下を越えた。

そしてその奥の背に近寄っていった。

かすかに息の音がするのか。

黒く汚れた素足、そのアゴから見えそうな向こう側の横顔。

男か…

それは突然起き上がった。

「ぐっ」として一瞬キジの体が止まる。

上半身を起こしたそれを薄闇にキジは凝視した。

三体の死体を横に二人の間に沈黙があった。

「臭い」

そうキジが感じたとき女着が言った。

「おうまさん、ぱっかぱっか」

しばらくしてそれはそう言った。

キジはまだ凝視している。

「おうまさん、ぱっかぱっか」

女着のそれはキタを見送ったあの乞食だった。

「乞食」

キジは瞬間的に道端に座っていたキタの顔を思い出した。

そして、そうだよくわかったなと乞食に言いかけたとき

後ろの戸が閉まりきっていくときだった。

気がついたとき暗闇に錠の閉まる音がした

☆046

奥の土間に通されたキタの前に穀物と野菜が並ぶ。

あるところにはあるものだ、それはいつも変わらない。

取引の主導権は一切言葉を話さないキタが終始握った。

だからこそ口のきけない振りをしたのである。

主人はうつむきながらもその目はキタを監視していた。

その様子を少し離れた場所から肥えた妻が伺っている。

キタは数枚の着物と引き換えに食料を手に入れた。

そしてこれと見せた一本の反物は手渡さなかった。

それを見た主人がキタに詰め寄ったがキタは無視した。

そして反物が欲しければさらに食の量を増やすよう身振りした。

キタの勝手な主張に夫婦は険しい表情をして見つめ合った。

無駄口をきかずキタは食料をまとめそこを素早く立ち去った。

物々交換とはその場から出てしまった者が勝ちなのである。

残された夫婦は黙ったまま交換の着物と伴侶の顔を見合わせていた。

明らかにキタは一枚上手だった。

農家を出たキタは来た道を引き返す。

そしてその背で家の中からの視線をはっきりと感じていた。

キタは体を洗った小川に戻り水を蓄え腰を下ろして待った。

見上げた空に陽は傾きその静けさはすでに心地よくもある。

その放浪の男は自分が今度も生き残ったことを実感していた。

そしてまた眠りそうになった頃、走り寄る足音に体を起こした。

それは先の豪農の主人であり、その手には袋を抱えている。

主人はこの袋分だけ食料を増やしたからあの反物をくれと言う。

キタはしばらく考える振りをして主人をじらしたあとに従った。

こうしてキタは労せずにしてその荷をいい塩梅に増やした。

そしてキタは自分は明日ツジへ行くのだと身振りで嘘を伝えた。

主人はこの男がツジの現状を知らないことを知り黙っていた。

この男がツジでひどい目にあえばいいと思ったからである。

だから男にはツジの何も教えずにそのまま家へと帰って行った。

しかし渡した反物はキタの持つ物のうち最も品が悪い部類の一物だった。

今晩、夫婦は品の意外な悪さに気付くだろうとキタは思った。

さらにキタはツジ方向へと向かい屋根の見える小高い場所へ来た。

あの眉間に大きなホクロを持つ弓の人と会話した場所である。

これから起こるというツジの騒ぎを高みの見物しようと考えていた。

そしてさっそくそこでツジの屋敷から持ち合わせた釜で煮炊きをした。

キタは久々の食にたどりつき、その体に力がさらに戻るのを感じた。

明日の早朝、渡した物を返せとあの夫婦はこの道を探して来る。

返さない場合には殴るためにと棍棒をも持って来るだろう。

そうなる前に農家を越えこの道をさらに進む予定でキタはいた。

その前に見物だ。

そしてすべてがキタの予想した通りになった。

キタが早く道を抜けて行ったため主人はこれを見つけなかった

☆047

異臭の暗闇の中でキジは小さく舌を鳴らして思った。

─あの毛深い野郎は忙しい時に余計なことをしてくれた

しばらくすると暗闇に目が慣れてくる。

死体はそのまま、乞食も上半身を起こしたまま動かない。

それにしてもすごい臭いだ、とキジは思っていた。

あの道端にいた人もこの臭いを嗅いだのか、と。

そして牢を出て閉じられた戸に静かに寄った。

その堅さと重さは弓と剣で貫くことはできない。

戸と戸の透き間にわずかに外光が射し見えた。

錠をかけた相手が戸の外の近くにいる気配を感じる。

キジをその牢のある錠部屋に閉じ込めたのは剛毛の従者だった。

あの鎧の兵士を閉じ込めた自分を大したものだと感じていた。

そして閉めた戸のすぐそこで耳を澄まして中を伺っていた。

上から見れば一枚戸を境に従者とキジはほぼ並んでいる。

「ニャァァ~~~オ…」

キジは閉じ込めてくれたお礼に小さく猫の鳴き真似をした。

おやと外の従者はさらに耳をそばだてる。

キジはさらに何回か鳴いてやりしばらくそれをやめたあと、

まだ耳があると感じる場所へかかとを叩きつけて驚かせた。

キジはその荷からのロウソクに火を付けた。

動かない死体と乞食を改めてそれぞれに照らし見た。

乞食は口をもぐつかせているが明かりには無反応だった。

めくらか…そう思いしかしキジは黙っていた。

牢のいちばん奥は屋敷の北側の壁である。

キジは牢に入り死体の横を通ってその壁に触れた。

そしてクルミほどの大きさの火薬玉をいくつか取り出してほぐし

中の火薬を壁際の床に小高く盛った。

そしてその直上に火薬玉のいくつかを長針で刺し留めた。

キジは乞食の手を取り立たせて牢の外の戸際へと連れた。

手のロウソクを火薬へとそのまま放り壁を爆破した。

その爆音に外の従者は目を広げ何だか悪い予感がした。

壁にできた穴からキジと乞食は外へ出た

☆048

牢部屋の爆音に従者はキジが追ってくると慌てた。

表から出るか、裏から出るか、屋敷の中をふためいた。

そうしてどうすべきか迷った末、再度中庭に降り立ったが

キジが屋根の上からやって来たことを思い出し

玉砂利で足を滑らせながら途端に廊下へと飛び上がった。

奪われた刀などいらない、捕まる前に逃げなくてはと、

冷や汗で呼吸を切らしながらおたおたと裏へと向かった。

従者は今では一刻も早くこの屋敷の外に出たかった。

しかし裏戸は外側から何かで閉じられており開かない。

キジが先回りをして外からそれを既に閉めていた。

従者は来た部屋を引き返して今度は表へとまわった。

早く出たい、捕まる前に逃げなくてはと一層に焦った。

自分の足音だけがする屋敷の中、表の戸は開いていた。

屋敷の暗めの室内から表通りの明るい陽と道が見える。

あの兵士はいないだろうなと、従者はゆっくりと覗いた。

右にも左にも、誰もいない。

そして一歩二歩と、遂に屋敷の外へと踏み出たところで、

その肩に屋根の上から飛んできたキジの重い膝が落ちてきた。

低く鈍い音がして従者はそのまま前に突っ伏した。

従者はキジの姿を見て痛みと別に脂汗が大量に流れ出るのを感じた。

キジはその腰の裏から鉄の首輪を出し一瞬の間に従者の首に、

そして続けて鉄の手錠を取り出してそれを従者の手首に巻いた。

それは拷問のための道具のひとつであり

両手首を首のうしろで留めることができるように造られている。

キジは従者の両手首を強引に持ち上げその首の後ろに留めた。

そして従者から取り上げた刀を鞘から抜いて従者に持たせた。

そしてその鞘は毛と汗だらけの胸元へと突き立ててやった。

従者は怯え目を見開いて何度も何度も唾を飲み込んでいた。

刀を背中に振りかざしたままの格好になっている従者の姿に

キジは開けた口の両端を親指と人差し指でなぞり笑って言った。

「似合ってるぞ、逃げてみろ。今度はおまえの番だ」と

☆049

従者は付けられた首輪と手錠に激しく瞬きをしていた。

キジは従者に訊いた。

「屋敷の中の死体はその刀を使ったな?」

従者は答えずキジを見つめて唾を飲んだ。

「着たままの女たち二人もおまえが殺したか」

従者は両脇を開け首後ろに刀を提げて黙ったままである。

その様子を頭を傾けて見下していたキジは言った。

「答えれば首か手かどちらか鍵を渡してやってもいいんだ、

ここの家主は今どこにいる、カワナニは」

従者は鍵は欲しいがそれは言えないという様子だった。

「おまえは答えられないことばかりだな」

キジは苦笑しながら筒の水を口に含んだ。

従者は自分の置かれた状況が非常に悪いことに気を揉めた。

「死体を並べたのも、あれもおまえか」というキジの問いに

すかさず「いや、あれは私ではありませぬ!」と答えた。

それを聞いたキジは大笑いして言った。

「ならばあれ以外はおまえの仕業ということだな」

失敗したと遅れて気付いた従者のうつむく姿にキジは告げた。

「心配しなくていい。おまえがカワナニの所へ戻ることは

二度とないから。主人の顔色を伺うことも二度とないんだよ」

そう言ったキジの眼光に冷酷を察知して従者は恐れ固まった。

思い出してキジは自分が牢部屋に入る前、従者におどけたこと

それが見えたかどうかを訊いたが従者は固まって動かなかった。

「何だ、それも答えてくれんのかおまえは」

夕刻へと近づいていく空を見上げ南門の方角に目をやったキジ。

馬はまだか…どいつもこいつも…

四隊はすでにその各門へと着いているはずである。

いつ僧侶たちによるツジ粛清が開始されてもおかしくはない。

その時、静けさに遠くホラガイの音が聞こえた。

音の来た方角を聞き定めようとキジは上空を見上げる。

従者はギロリと目を剥いた

☆050

そのホラガイの音は南からのものだった。

平坦に吹くそれは準備の前にあることの知らせである。

それに続いて北、西とホラガイが鳴った。

それぞれ微妙に音階の違うそれらが重なり鳴り聞こえる。

キジは天空にその視線を当ててその音を聞いていた。

その様子を怯える従者が見つめ仰いでいる。

キジは今、ツジの中央部付近にいた。

そして東門の方角を見た。

東門からの応答がない。

キジは目を細めた。

しばらくその平坦なホラガイの鳴りが遠く聞こえていた。

東が鳴らない。

そして北から抑揚を付けたホラガイの音がした。

その音は北門が閉められたことを意味する。

キジは動かずその音を黙視した。

しばらくして西門からも同じ抑揚のホラガイが鳴った。

おかしい、東門がまったく応答しない。

キジはそれらの様子をじっとして耳に集中させた。

そして南から抑揚のホラガイが鳴った。

東門の閉じたことを確認せずに南門が閉じられた。

東で何かが起こった、キジは察知した。

僧侶たちの策がその予想通りには運んでいない。

キジは東門に向かって歩きはじめた、

首輪と腕輪をはめた男のことなどまったく忘れて。

そのままで置いていかれようとする従者は慌てた。

しかし東門へと走りはじめたキジにそれが届くはずもない。

キジは東門へと走った。

死を待つ者たちの視線がその武具の音に振り向く。

その死の静寂を切り裂いてキジが行く

☆051

南門ではすでに騒ぎが起こされていた。

この南門に最も多くの僧侶たち八十人が配置されている。

そしてそれに対応して兵たちの多くもここに十二人いた。

この南門の僧侶たちの中に男を抱き犯すこと、

それを習慣とする者たちが数多く含まれていた。

その代表格ともいえる変態がツジへと入る前に

その外廻りをキジに強く願ったあの体格の良い僧である。

彼は兄弟子の内でも年長であり皆これを批判できなかった。

彼とその一派がその習慣を続けても皆これを放っておいた。

そして男色の僧たちは以前からこの日を心待ちにしていた。

その睾丸が張って南門外で待っている間も興奮して震えた。

東門からの応答がないことはわかっている。

しかし待ちきれず南門を閉めるように独断しそれを強行した。

あの体格の良い僧侶も閉めろ!閉めろ!と命令の大声を上げた。

兵士は東門を指摘したが混乱で皆それをまったく聞かなかった。

兵士たちも最後は流れに抗いきれずに僧たちと一緒にツジへと入った。

そして南門は閉められた。

ツジにいた犯罪者たちはその僧と兵の入門の様子に騒然とした。

僧たちの多くのは詔の実現が関心事でツジを粛清するためだけにやって来ていた。

逃げる犯罪者たちを捕まえて素手で次々と打ち倒していった。

僧たちの腕力は非常に強く犯罪者たちは歯が立たなかった。

兵士たちは闘わずにその成り行きを後ろから見守っている。

その一方で男色の一派も捕まえた男たちを

次々と門近くの家屋へと連れ込んだ。

捕まった男たちは皆それら僧たちの怪力に驚いた。

身ぐるみをはがされ両脇を掴まれ次ぎの部屋へと運ばれる。

奥で待っていたのは全裸で勃起した腕組みの僧侶たちだった。

その先頭があの体格の良い僧であり彼は常に一番手であった

☆052

南門で乱僧たちの暴れる様子を見ていた兵士は

そこに血を吹いて倒れている説教の若僧を見つけ歩み寄った。

僧侶たちは失態の若僧にはまったく目を向けないで暴れていた。

もう一人、念仏の若僧の方は連れ込まれた部屋で丸裸にされた。

そしてその肛門からは激しく血を吹かせたままに気絶している。

しばらく後にそれを兵士が見つけ若僧二人は保護された。

新たに登場した怪僧たちの乱交ははじまったばかりである。

その体格の良い一番手は常に他の僧たちに先駆けて手を付けた。

彼は一発で相手の肛門を裂くことに関して絶対の自信があった。

その陰茎の太さを周りの変態たちにいつも自慢していた。

時折裂けない肛門に出くわすと逆上して裂けるまで掘り続けた。

連れ込まれた男は二人の僧に四つん這いで首を押さえられている。

身動きがまったくとれないままのその肛門に陰茎の先が触れた。

その四つん這いにされた男は常々、掘り専門であった。

しかしこの時は掘られる側へと力任せにまわされてしまった。

たまったものではない。

体格の良い僧はその我慢し続けていた陰茎で男を掘りまくった。

悲鳴をあげて男は謝り続けたがその様子に皆ますます喜んだ。

抑えられた頭から横目で見れば順番待ちの勃起の列ができている。

これだけの本数が待っていることに男は狂乱し続けた。

抑える方にもその力がますます入る。

その間にも外から男を連れた僧たちが次々と駆け込んでいた。

太い陰茎に男の肛門は裂け体格の良い僧も一番手に射精した。

陰茎を抜いた僧は血のしたたる肛門を皆に広げ見せて叫んだ。

「ほら見ろ!おい、ほら見ろ!」

そして歓喜の雄叫びとして犬の遠吠えを真似て見せるのである。

他の僧たちもそれに呼応して犬真似で遠吠えを繰り返した。

順番待ちをしていた二番手が倒れたままの男を揺すり起こす。

体格が良く極太い陰茎の僧は続けて叫んだ。

「満足!よし、次!」

そして横で羽交い締めにされて待つ二人目の男の腰に手を当てた

☆053

南門周辺にたむろしていた犯罪者たちは一人、また一人と

意識が飛ぶほど僧侶たちに暴行され綱につながれていった。

逃げた者はまだ入ったことのないツジ内部へと走った。

それらは皆、他の門でも僧が暴れていることを知らない。

そしてそれらの門からツジ外部へと出ようと考えていた。

そんな状況を見ていた兵士たちの一人が一軒に気がついた。

そこは僧侶たちが男色の乱交を行っているあの家であった。

殴り捕らえた男を抱えては次々と僧がそこへ入っていく。

そして出てこない、何匹か犬がいるのか、遠吠えが聞こえる。

出てきてもそれは僧だけでほとんど全裸に近い格好だった。

さらに捕らえる男を探して裏道へと入って消えた。

兵士は気になりその家屋の内部の様子を伺いに行った。

そしてしばらくして無表情な顔をしてそこから出て来た。

その兵士はその家を指さして他の兵士たちにこう言った。

「あそこの犬が鳴く一軒家で坊主たちが酒盛りをしているぞ」

それを聞いた何人かが、おれも、おれもと入って行った。

そしてそこにいたのは捕らえた男たちを代わる代わる抱き

執拗に掘り続けるあの糞坊主たちである。

僧侶たちは兵士たちを見ても気にせずにさらに掘りと吠えを続けた。

捕らわれた何人もの男たちが尻から血を吹いて倒れている。

それらの兵士たちはそこを出て嘘を言った先の兵士に言った。

「馬鹿野郎、悪いもの見せるんじゃねぇや、ヘドが出る」と。

そしてその場でお互いがお互いの腹を抱え叩いて大笑いした

☆054

僧呂たちはツジ外部から侵入していた男たちを激しく追った。

それは北門、西門でも同じである。

それを逃げた者たちは次第にツジ中央部へと集まってきていた。

キジが東門に着こうとしていたのはその頃だった。

遠くからその東の門が開いたままであるのが見える。

東門配置の僧侶たち四十人と兵士たち六人は門の下に集まっていた。

走り寄って来たキジの方を皆が見た。

キジは徐々にその歩る速さを落とし歩いて門へと寄って行った。

キジは自分を見る顔々の表情が困惑の様子であるのを見た。

門の両戸はその裾に土が高く盛られ固まって動かなかった。

それは確かに素手で除ける類のものではなかった。

「他の門は閉じられたぞ、聞こえただろ」

キジは兵と僧たちに言った。

「今まで何だ、この盛り土を見つめていたのか、おまえらは」

そして空き家から農具でも探してすぐに土をどかせと命じた。

僧侶たち何人かが先に行かせた若像二人が戻って来なかったために

こんなことになった、とぼやいている。

キジはここで先に行った若僧に託されていた役割を知った。

計画途中に予想外のことが起こることにキジは慣れている。

しかしこの東の隊の僧と兵はかなり強い反目の状態にあった。

そしてどちらも率先して盛り土を除こうとはしないでいた。

しかし今は早く門を閉じる必要がある、自分たち兵は目付に過ぎぬが。

─まずいな…そうキジは思った。

北、西、南の粛清を逃れた者たちが東門へ集中して来るかも、

奴等は飢饉を見物に訪れるような非情な者たちである、

その狡猾さは人並み以上であることは間違いない、

東門が開いていると察知されるのが先か、閉めるのが先か、

東門の手勢は南に比して薄いが、

逃げる者の多くがここへ集まってきたとしても絶対に一人も外へ出すなと、

キジはそこにいたすべての者に伝えた。

そして一人も殺さないようにと、

キジはその旨を兵士たちに伝えた。

そして進攻前に馬と馬士たちが来なかったことを確認した。

キジは皆に絶対に一人も逃がすなと再度強く命じた。

そして自分は馬を連れてここへ戻ると言い残し

東門から続くツジの外壁の内側に沿って南門へと走り下った