191~200
☆191
二十日、正午前。約束の砂丘は雲が垂れ込めている。灰色の空。風は強い。少し寒くもあった、海沿いの場所。潮の香、吹きすさぶ。
そんな風の中、歩きながらイバラキは思っていた。これほどに見張らしが良い場所ならば、途中で逃げ返すことは無理だと。
馬で来ても捕まっただろう。そこは彼が予想していたよりも広く平らに続く砂地だった。視界が開け過ぎている場所。
さらに悪いことに足が砂にとられる。斬り返す時、それは自分にとって不利だった。立ち廻るのにも踏み込みで足が沈む。
多勢を相手に斬り合うとすれば、しばらくして必ず捕まることになるだろうと予想できた。ここは土の上でない。それだけ体力の消耗は激しくなるはずだと。
この場所で矢と綱を飛ばされたら逃げ切れないか―
イバラキは不利にある自分の状況を顧みていた。さらに、この場所を指定してきた相手の狡猾さを生々しく感じとっていた。
自分は確かに腹を立てていたのかもしれない。天網に襲われた一件で。自分の居場所を朝廷へ通告したのは、太陽と鉄に違いないと感じてもいた。卑怯なことをしやがって野郎が―だからそれを問い正す、太陽と鉄に会わずにはいられなかった、頭に血が上った―
それだけ気が急いてもいたのだろう。ある意味、自分は奴らの招きにはめられた―と、イバラキはここで気付いたが来てしまっていた。約束の砂丘、逃げられぬ場所に。
人を卑怯と言える柄か、この俺がさ。いいさ、来ちまったんだ―
イバラキは歩き続ける、止まらない。
俺の力なら―
前方に灯る海沿いは炎の列。炎周辺に相手部隊のたむろが見えかけていた。相手全員がそこに揃っていることをイバラキは知る。約七十騎と捕虜五十人の影。待ち受けていた。
畏れて何になる。自分がシュテンに伝えることは最初から決めていた。それだけさ、そいつは今も変わらない。そいつを伝える、それだけだ―
残しておいた酒をここで飲み干した、イバラキが行く。鉢巻く長髪、四本の刀と共に。
☆192
太陽と鉄の一団。遠方から近付いて来た人影を見つめている。すべての音を止めて黙ったまま。シュテンもその影を認め眼を細めた。
炎が激しく揺らめく。その気炎が太陽と鉄の佇まいを陽炎のようにくねらせて見せた。強い浜風。砂が舞う。風と炎と砂の音。灰色の空。
ひとり来た男。男は太陽と鉄の駐屯する砂丘、その対面の砂丘上に立ち止まった。両者の間を低く平らな砂地が隔てている。太陽と鉄から人が二人、転げるように進み出てその砂地を走り行った。二人は小人の男たちだった。
小人たちは時々に立ち止まり、自軍を振り返り見ながらその男へと進んで行った。小人二人は男が立つ砂丘を登っていき、頂に立っている男を呼んだ。
「おまえさん、誰だい」
「イバラキだ。シュテンに会いに来た」
そのイバラキは胸元から書状を取り出し、二人へ差し出した。最初、小人二人は驚くように顔を見合わせた。二人とも短刀を腰に差している。
―猛者だな
イバラキは直感した。
二人のうち一人が、警戒しながらイバラキの元へ登り、それを受け取って滑りながら後ずさりした。イバラキは小人二人の間合いの取り方に感じた。
―相当に戦い慣れしている
渡し際、見切った小人の手。その手のつくりは強い者の手だった。鍛えあげた拳。
小人が広げた書状をもう一人へ見せている。それはシュテンがイバラキへ送った返事に間違いない品物だった。一人はそれを持って、踊るように転げ落ちながら部隊へ走り戻って行った。
残った一人はイバラキを見て笑っている。イバラキは動かない。その小人を視界にも入れず、ただ遠くを見ていた。
「あんたさんが、イバラキさんですかい」
イバラキは動かない。小人はイバラキの周りを廻りはじめていた。
☆193
「一人で来なすったんですかい」
その小人がイバラキの握る殺界へ入らないようにしているのが、イバラキにはわかった。
「あんたさんと大蛇の噂は聞いてますよ。南土から来なすってね、イバラキさんはかなり強いらしいって。セキ兄弟もイバラキさんの手に掛かったんですよね、そぉ聞こえてますよ」
動かないイバラキ。小人はその反応に続けた。
「どれがハヤテなんだろうな、その刀のうちの。怖くてこれ以上は近づけませんね、イバラキさん。何の用なんですか。シュテンだってね、強いんですぜ」
書状を持っていった小人が、部隊が駐屯する向かい側の砂丘を登っていくのが見える。
「おまえじゃ話にならん。シュテンを出せ」
小人はイバラキを見上げている。イバラキはその小人を視界へ入れないでいた。
「いやこりゃ凄いや。イバラキさん。あっしはシュテンとずっと一緒してきたんです。でもねイバラキさん、惚れた。大したもんだ。イバラキさん。あんさんには惚れた」
ここでイバラキはその小人を自分の前横下に見つめた。
「あっしはクワイってんで。みんなカイって呼んできますがね」
砂丘の頂上にいるイバラキはカイを見下ろした。カイはイバラキを見上げている。二人は睨み合った。その面に嘘はない。
「イバラキさん。あんたここで死ぬには惜しい」
イバラキは黙っていた。
「あっしが生かしてみせますぜ。シュテンに話をつけて」
風が吹く。向かいの砂丘では、小人が持ち帰った書状を見るため、数人の影が集まっているのが見えた。その対面の様子をイバラキは見つめている。さらにひとつの大きな人影の立ち上がるのが見えた。
カイは自軍の様子、それを見続けるイバラキを見比べながら言った。
「あれがシュテンで」
イバラキは言った。
「燃えるぜ魂」
☆194
何があったって人は誰かを悪く言う。
そうだよ、自分を守るために。
自分のことばかりさ。
人は皆。
でも俺は違うぜ。
最初から人を憎んで生きてきた。
そう
最初から。
俺は言い訳で自分を助けていくような奴等とは違う。
最初から死んでいくんだよ、
人に理解されたときが人の死で
何が悪いのさ
イバラキ伝
☆195 これまでのあらすじ(五)
河へ流された王子。桃源郷より遥か下流の炭焼きの地へ流れていった。流れる籠をキビが拾う。籠の中には赤ん坊が包まれていた。キタもその子を見た。子の装いは、まるで流れ着いた桃のようであった。キタとキビは、拾った赤ん坊を家へ連れ帰る。
バクセという偽名を使って生きていたキジ。王子の流された渓流の岸を下っている。キタとキジ、ふたりはその渓流の岸で偶然に再会する。ツジで出会ってから数年ぶり―
キタはキジを家へ招き、河から拾った赤子をキジに見せた。キジはその子が桃源郷の王子であることを認め、その事実をふたりに告げる。キジはその子を捕えなかった。キタとの再会、なぜか不思議と見逃した。キジは部下を引き連れて朝廷軍へと戻って行く。
キジとの再会、キタは不思議と決めていた。この子を育てると。キタとキビは、住み慣れた家を残し姿を消す。キジも桃源郷討伐と王子捜索の後、その消息を絶つ。
滅ぼされた桃源郷王家、唯一の生き残り、王子の消息は失われる。
貴族のみが支配した社会、そこから新しい時代が生まれようとしていた。国は変貌をはじめている。武力を掲げる者たちが出現しはじめていた。出生に関わらず支配する力を持つ者たち。各地方で武力をもって支配する者たちが台頭をはじめた時代。
彼らは自ら士(し)と名乗り、武装化と集団化を進めていった。わずか数年の間に各地に人身売買の市場が生成されていく。朝廷の権力が及ばない場所、無法地帯の人造。誘拐と拉致が最も盛んな時代に突入し、人身売買市場には莫大な金が流通していた。
反貴族、反朝廷の意識を持つ者たちの登場。彼らは遂に朝廷の脅威となりはじめる。
時が過ぎて。コンという男がいた。彼はキジに率いられ、桃源郷討伐に参戦した経歴を持つ。キジの下、桃源郷王子を捜索した部隊のうちの一人であった。
コンはこの時、天網(てんもう)の主要なひとりとなっていた。天網とは反朝廷勢力を抹殺するために組織された部隊。朝廷により運営された暗殺部隊である。
コンは反朝廷勢力と戦っていた。コンは、バクセという偽名を用いた伝説の武人、キジの消息も追っていた。さらにキジが見逃した桃源郷王子の消息をも追っている。
☆196
遠雷は近付き、今コンの宿の真上にある。雷雨。
コンと先に話した男、ほかにひとり新手がいた。部屋にはコンのほか、天網がふたり。
あとから来た男の情報では、朝廷がキサラギから挙兵した。行く先は二十日正午の砂丘。目的はシュテンとイバラキの捕獲。数は六百騎。
雷が落ちた。
シュテンは砂丘を降りていく。イバラキの書状を持ってきた小人が、シュテンに付いて降りていく。向こう側の砂丘上では、イバラキとカイが見ている。
慣れぬ海風。炎が舞い立つ。
太陽と鉄のほかの連中が話し合った。
「見ろ。カイの野郎、イバラキに付いてやがる、畜生」
「カイはよ、強いと見た野郎にはすぐに惚れ込んじまう」
「それならイバラキは強いんだ、どうするんだ、シュテンは」
「シュテンはよ、馬鹿なんだ」
爆笑が起こり、その音にシュテンは振り向いた。
「馬鹿がこっち向いたぞ」と、太陽と鉄はシュテンに手を振る。
向こう側の騒がしい様子。見ていたイバラキは、横下のカイに眼で問うた。
「えへへへ、いつもこんなんだ、俺たちゃへへ」
「なら気に入った」
「え?」
「気に入ったぜ」
イバラキは鉢巻きを整え直した。砂丘を降り際、イバラキは言った。
「見届けな」
☆197
ベニイに遣わされた大蛇のふたり。砂に寝そべり遠く偵察していた。イバラキが砂丘を降りて見えなくなる。
「イバラキが行ったな」
「おう。あの下で斬り合うのか、どうする。俺たちも行くか」
ふたりは身を潜め近付いていった。
砂丘を降りたイバラキ。前から歩いて来るシュテンと小人。カイは自分の後ろにいる。
砂丘と砂丘のつなぎ目。最も低い場所。イバラキとシュテンは、近付き続けていく。太陽と鉄、捕虜たちは、上から見下ろしている。
イバラキはさらにシュテンに近付こうとした。
「おっと」と、手の平をイバラキに見せ、シュテンは止まる。イバラキも止まった。まだお互いが遠い距離。どちらの殺界にも入らない場所。お互いは見合う。
―こいつがイバラキ
シュテンは思った―なんて細い野郎だ
イバラキは思った。
―シュテン、肉が厚い。ハヤテ一本では貫けない。最初にほかの刀で斬り付ける。何本使うことになるか。弱らせ最後の一撃でハヤテを使う。勝てる。長引けば捕まる。最速でいくしかない。あとは追っ手からどこまで逃げきれるか
カイはイバラキの背に妖気を読み取った。「やめろ」とシュテンに平手を切って見せる。シュテンは立ち止まっている。
「なんだカイ!てめぇ裏切りやがったか」
シュテンの横の小人が叫ぶ。風が吹く。舞い上がる砂。太陽と鉄、捕虜たちは凝視している。カイがシュテンの前へ出ようと進んだ時。
「この野郎う!シュテンがてめええ!」
イバラキは吠えた。
「俺の居場所、漏らしやがったな畜生が」
☆198
シュテンは無言でいた。イバラキが前へ動く。
「待て!」
シュテンはイバラキを止めた。
「誰か、おまえんとこに行ったんか」
「おうよ、襲われた。てめえのせいだ」
「どんな奴だ」
「とぼけるなよ。ありゃ朝廷の天網だ。シノビだ」
イバラキは懐から一枚の鋼を取り出し見せた。それはヒトデのようだった。シュテンもカイも、もうひとりの小人も、イバラキの見せたそれを見つめる。
「見ろ」
イバラキはそれを投げつけた。鋼は転がっていた白木に飛んで行き、音を立てて突き刺さる。カイが走り寄り、白木に投げ刺さったヒトデを検分した。
見たこともない飛び道具。
「その刃先には毒が塗られていた。奴等の武器だ」
それは手裏剣であったが、当時、誰も見たことがなかった。
「皆、黒装束だった。天井から降りて来やがった」
風が舞う。シュテンが、「シノビは何人で来た」かと訊いた。イバラキが応える。
「三人だ。三人とも斬ってやったがな、そのうち一人は女だった」
朝廷の運営した暗殺部隊を天網という。天網とは、忍者の集団であった。忍者とは忍術を使う者をいう。
忍術とは、先に大陸で起こっていた剣術と対立するため、朝廷が秘密裏に開発した戦闘法のひとつである。
朝廷は他にも戦闘態形を開発していた。そのひとつに妖術がある。妖術とは亡霊の力を使って闘う方法であり、危険であった。
帝都キサラギ、そこには妖術を使う者もいた。
☆199
朝廷軍六百騎は、二十日の砂丘外環に待機していた。目的は、イバラキとシュテンの捕獲である。
昼夜、燃え続ける炎の列がある。遠洋の猟師が通報していた。炎は士の一隊らしい、砂丘に駐屯しているらしかった。
探れば炎の主は、太陽と鉄に間違いなかった。太陽と鉄は動かないでいる。何かを待っている。シュテンの居場所はキサラギへ伝わった。
シュテンがキサラギへ送った捕虜、後に失踪した男によれば、イバラキとシュテンが二十日に会う、場所は知れない。
ならばイバラキは、シュテンのいる砂丘へ向かっているはず。イバラキが二十日、シュテンと会うために砂丘へ北上していると読めた。
朝廷軍は二十日の砂丘へ向けて、キサラギから挙兵した。十六日である。出撃の情報は、宿にいるコンにも伝えられた。十八日である。
二十日。太陽と鉄は、イバラキを待ち受けている。東西に広がる砂丘、その西寄り、さらにその海岸沿いの北の場所、砂丘西部最北に部隊は駐屯していた。
太陽と鉄が灯し続けた炎は、イバラキへの信号だったのか。代償としてシュテンの居場所はキサラギに漏れた。
―それでもいい、俺たちゃ男だ、かかってこいや、キサラギよ
―イバラキを倒しても、流浪は続く
―貯まった金を山分けにして、解散してもいい
―でも誰も、シュテンから離れないで行くと思うぜ
―俺もそう思う、シュテンと一緒にここまで来たんぞ、最後まで行く
―俺も行く、死んでもかまわん
―俺もだ、金なぞいらんが、シュテンには付いて行く
朝廷の六百騎は各二百騎ごと、三隊に分かれた。それぞれ西、南、東、すでに太陽と鉄を包囲していた。早朝から各隊が横に拡がる形状で、緩やかに海岸線へ詰め登って行った。
☆200
ベニイは、砂丘の外環に立っている。場所は砂丘の最西端、その最北端である。朝廷西隊の待機場所より北の場所。最西の北の海岸に大蛇は陣取っていた。
大蛇、五十騎。部隊としては小さい。それでも見つからぬようにしてもいる。何人かは我を忘れ、海辺に降りて遊んでもいた。心は虚ろだった。
誰もが強者、でも知らぬ土地。頭のイバラキは行方が知れない。北側の海、その大きさに圧倒されてもいた。泳ぎを知らない者も多い。
獲った魚に大声を上げても、嬉しくはなかった。焼いて食べようが好きにすればいい。
イバラキの不在から、部隊は自己を見失いつつあった。それほどにイバラキは大きな存在、指標だったのである。
ベニイは海先を見つめている。イバラキと似た長髪。赤毛。吹き付けた知らぬ風が。
―這い上がってきたのさ、南土からさ、やっとしてよ
―イバラキと会わなかったら、もっと早くに死んでいただろう
それがベニイの想いだった。
ベニイは赤毛であった。赤毛ゆえ差別された、見知らぬ人々から。親族からも罵られた。幼少時代よ。
イバラキは無法だった。常識は無い。表面に意味がないことを悟っていた。だからベニイの非常の内に才を認めることができ、さらに重きも置いていた。
ベニイは戦時、赤い鉢巻きをする。ベニイの赤毛はイバラキの赤面と馴染んで、赤鬼と成っていく途中にあった。
放っていた一騎が戻って来た。進軍する朝廷軍を見たという。その数、二百騎。
本土で最初に交戦したセキ軍が二百騎だった。今度の朝廷軍も二百。この士気では負ける、とベニイは読む。他の大蛇も同じだった。部隊は戦闘を回避する。
朝廷軍の向かう先にはイバラキがいるんだろう。前に太陽と鉄、後ろから朝廷軍とさ。イバラキは挟まれたんだ。ただ一人で。
ベニイは馬を東に走らせた。海岸線。イバラキの救出に向かった。部隊には何も言わなかった。ベニイは離隊したのである。イバラキよ、今行く、待ってろ、と。
部隊はここで解散となったが、残りの者全てベニイに続いた。海岸を疾走していく。
☆
二十日、正午前。約束の砂丘は雲が垂れ込めている。灰色の空。風は強い。少し寒くもあった、海沿いの場所。潮の香、吹きすさぶ。
そんな風の中、歩きながらイバラキは思っていた。これほどに見張らしが良い場所ならば、途中で逃げ返すことは無理だと。
馬で来ても捕まっただろう。そこは彼が予想していたよりも広く平らに続く砂地だった。視界が開け過ぎている場所。
さらに悪いことに足が砂にとられる。斬り返す時、それは自分にとって不利だった。立ち廻るのにも踏み込みで足が沈む。
多勢を相手に斬り合うとすれば、しばらくして必ず捕まることになるだろうと予想できた。ここは土の上でない。それだけ体力の消耗は激しくなるはずだと。
この場所で矢と綱を飛ばされたら逃げ切れないか―
イバラキは不利にある自分の状況を顧みていた。さらに、この場所を指定してきた相手の狡猾さを生々しく感じとっていた。
自分は確かに腹を立てていたのかもしれない。天網に襲われた一件で。自分の居場所を朝廷へ通告したのは、太陽と鉄に違いないと感じてもいた。卑怯なことをしやがって野郎が―だからそれを問い正す、太陽と鉄に会わずにはいられなかった、頭に血が上った―
それだけ気が急いてもいたのだろう。ある意味、自分は奴らの招きにはめられた―と、イバラキはここで気付いたが来てしまっていた。約束の砂丘、逃げられぬ場所に。
人を卑怯と言える柄か、この俺がさ。いいさ、来ちまったんだ―
イバラキは歩き続ける、止まらない。
俺の力なら―
前方に灯る海沿いは炎の列。炎周辺に相手部隊のたむろが見えかけていた。相手全員がそこに揃っていることをイバラキは知る。約七十騎と捕虜五十人の影。待ち受けていた。
畏れて何になる。自分がシュテンに伝えることは最初から決めていた。それだけさ、そいつは今も変わらない。そいつを伝える、それだけだ―
残しておいた酒をここで飲み干した、イバラキが行く。鉢巻く長髪、四本の刀と共に。
☆192
太陽と鉄の一団。遠方から近付いて来た人影を見つめている。すべての音を止めて黙ったまま。シュテンもその影を認め眼を細めた。
炎が激しく揺らめく。その気炎が太陽と鉄の佇まいを陽炎のようにくねらせて見せた。強い浜風。砂が舞う。風と炎と砂の音。灰色の空。
ひとり来た男。男は太陽と鉄の駐屯する砂丘、その対面の砂丘上に立ち止まった。両者の間を低く平らな砂地が隔てている。太陽と鉄から人が二人、転げるように進み出てその砂地を走り行った。二人は小人の男たちだった。
小人たちは時々に立ち止まり、自軍を振り返り見ながらその男へと進んで行った。小人二人は男が立つ砂丘を登っていき、頂に立っている男を呼んだ。
「おまえさん、誰だい」
「イバラキだ。シュテンに会いに来た」
そのイバラキは胸元から書状を取り出し、二人へ差し出した。最初、小人二人は驚くように顔を見合わせた。二人とも短刀を腰に差している。
―猛者だな
イバラキは直感した。
二人のうち一人が、警戒しながらイバラキの元へ登り、それを受け取って滑りながら後ずさりした。イバラキは小人二人の間合いの取り方に感じた。
―相当に戦い慣れしている
渡し際、見切った小人の手。その手のつくりは強い者の手だった。鍛えあげた拳。
小人が広げた書状をもう一人へ見せている。それはシュテンがイバラキへ送った返事に間違いない品物だった。一人はそれを持って、踊るように転げ落ちながら部隊へ走り戻って行った。
残った一人はイバラキを見て笑っている。イバラキは動かない。その小人を視界にも入れず、ただ遠くを見ていた。
「あんたさんが、イバラキさんですかい」
イバラキは動かない。小人はイバラキの周りを廻りはじめていた。
☆193
「一人で来なすったんですかい」
その小人がイバラキの握る殺界へ入らないようにしているのが、イバラキにはわかった。
「あんたさんと大蛇の噂は聞いてますよ。南土から来なすってね、イバラキさんはかなり強いらしいって。セキ兄弟もイバラキさんの手に掛かったんですよね、そぉ聞こえてますよ」
動かないイバラキ。小人はその反応に続けた。
「どれがハヤテなんだろうな、その刀のうちの。怖くてこれ以上は近づけませんね、イバラキさん。何の用なんですか。シュテンだってね、強いんですぜ」
書状を持っていった小人が、部隊が駐屯する向かい側の砂丘を登っていくのが見える。
「おまえじゃ話にならん。シュテンを出せ」
小人はイバラキを見上げている。イバラキはその小人を視界へ入れないでいた。
「いやこりゃ凄いや。イバラキさん。あっしはシュテンとずっと一緒してきたんです。でもねイバラキさん、惚れた。大したもんだ。イバラキさん。あんさんには惚れた」
ここでイバラキはその小人を自分の前横下に見つめた。
「あっしはクワイってんで。みんなカイって呼んできますがね」
砂丘の頂上にいるイバラキはカイを見下ろした。カイはイバラキを見上げている。二人は睨み合った。その面に嘘はない。
「イバラキさん。あんたここで死ぬには惜しい」
イバラキは黙っていた。
「あっしが生かしてみせますぜ。シュテンに話をつけて」
風が吹く。向かいの砂丘では、小人が持ち帰った書状を見るため、数人の影が集まっているのが見えた。その対面の様子をイバラキは見つめている。さらにひとつの大きな人影の立ち上がるのが見えた。
カイは自軍の様子、それを見続けるイバラキを見比べながら言った。
「あれがシュテンで」
イバラキは言った。
「燃えるぜ魂」
☆194
何があったって人は誰かを悪く言う。
そうだよ、自分を守るために。
自分のことばかりさ。
人は皆。
でも俺は違うぜ。
最初から人を憎んで生きてきた。
そう
最初から。
俺は言い訳で自分を助けていくような奴等とは違う。
最初から死んでいくんだよ、
人に理解されたときが人の死で
何が悪いのさ
イバラキ伝
☆195 これまでのあらすじ(五)
河へ流された王子。桃源郷より遥か下流の炭焼きの地へ流れていった。流れる籠をキビが拾う。籠の中には赤ん坊が包まれていた。キタもその子を見た。子の装いは、まるで流れ着いた桃のようであった。キタとキビは、拾った赤ん坊を家へ連れ帰る。
バクセという偽名を使って生きていたキジ。王子の流された渓流の岸を下っている。キタとキジ、ふたりはその渓流の岸で偶然に再会する。ツジで出会ってから数年ぶり―
キタはキジを家へ招き、河から拾った赤子をキジに見せた。キジはその子が桃源郷の王子であることを認め、その事実をふたりに告げる。キジはその子を捕えなかった。キタとの再会、なぜか不思議と見逃した。キジは部下を引き連れて朝廷軍へと戻って行く。
キジとの再会、キタは不思議と決めていた。この子を育てると。キタとキビは、住み慣れた家を残し姿を消す。キジも桃源郷討伐と王子捜索の後、その消息を絶つ。
滅ぼされた桃源郷王家、唯一の生き残り、王子の消息は失われる。
貴族のみが支配した社会、そこから新しい時代が生まれようとしていた。国は変貌をはじめている。武力を掲げる者たちが出現しはじめていた。出生に関わらず支配する力を持つ者たち。各地方で武力をもって支配する者たちが台頭をはじめた時代。
彼らは自ら士(し)と名乗り、武装化と集団化を進めていった。わずか数年の間に各地に人身売買の市場が生成されていく。朝廷の権力が及ばない場所、無法地帯の人造。誘拐と拉致が最も盛んな時代に突入し、人身売買市場には莫大な金が流通していた。
反貴族、反朝廷の意識を持つ者たちの登場。彼らは遂に朝廷の脅威となりはじめる。
時が過ぎて。コンという男がいた。彼はキジに率いられ、桃源郷討伐に参戦した経歴を持つ。キジの下、桃源郷王子を捜索した部隊のうちの一人であった。
コンはこの時、天網(てんもう)の主要なひとりとなっていた。天網とは反朝廷勢力を抹殺するために組織された部隊。朝廷により運営された暗殺部隊である。
コンは反朝廷勢力と戦っていた。コンは、バクセという偽名を用いた伝説の武人、キジの消息も追っていた。さらにキジが見逃した桃源郷王子の消息をも追っている。
☆196
遠雷は近付き、今コンの宿の真上にある。雷雨。
コンと先に話した男、ほかにひとり新手がいた。部屋にはコンのほか、天網がふたり。
あとから来た男の情報では、朝廷がキサラギから挙兵した。行く先は二十日正午の砂丘。目的はシュテンとイバラキの捕獲。数は六百騎。
雷が落ちた。
シュテンは砂丘を降りていく。イバラキの書状を持ってきた小人が、シュテンに付いて降りていく。向こう側の砂丘上では、イバラキとカイが見ている。
慣れぬ海風。炎が舞い立つ。
太陽と鉄のほかの連中が話し合った。
「見ろ。カイの野郎、イバラキに付いてやがる、畜生」
「カイはよ、強いと見た野郎にはすぐに惚れ込んじまう」
「それならイバラキは強いんだ、どうするんだ、シュテンは」
「シュテンはよ、馬鹿なんだ」
爆笑が起こり、その音にシュテンは振り向いた。
「馬鹿がこっち向いたぞ」と、太陽と鉄はシュテンに手を振る。
向こう側の騒がしい様子。見ていたイバラキは、横下のカイに眼で問うた。
「えへへへ、いつもこんなんだ、俺たちゃへへ」
「なら気に入った」
「え?」
「気に入ったぜ」
イバラキは鉢巻きを整え直した。砂丘を降り際、イバラキは言った。
「見届けな」
☆197
ベニイに遣わされた大蛇のふたり。砂に寝そべり遠く偵察していた。イバラキが砂丘を降りて見えなくなる。
「イバラキが行ったな」
「おう。あの下で斬り合うのか、どうする。俺たちも行くか」
ふたりは身を潜め近付いていった。
砂丘を降りたイバラキ。前から歩いて来るシュテンと小人。カイは自分の後ろにいる。
砂丘と砂丘のつなぎ目。最も低い場所。イバラキとシュテンは、近付き続けていく。太陽と鉄、捕虜たちは、上から見下ろしている。
イバラキはさらにシュテンに近付こうとした。
「おっと」と、手の平をイバラキに見せ、シュテンは止まる。イバラキも止まった。まだお互いが遠い距離。どちらの殺界にも入らない場所。お互いは見合う。
―こいつがイバラキ
シュテンは思った―なんて細い野郎だ
イバラキは思った。
―シュテン、肉が厚い。ハヤテ一本では貫けない。最初にほかの刀で斬り付ける。何本使うことになるか。弱らせ最後の一撃でハヤテを使う。勝てる。長引けば捕まる。最速でいくしかない。あとは追っ手からどこまで逃げきれるか
カイはイバラキの背に妖気を読み取った。「やめろ」とシュテンに平手を切って見せる。シュテンは立ち止まっている。
「なんだカイ!てめぇ裏切りやがったか」
シュテンの横の小人が叫ぶ。風が吹く。舞い上がる砂。太陽と鉄、捕虜たちは凝視している。カイがシュテンの前へ出ようと進んだ時。
「この野郎う!シュテンがてめええ!」
イバラキは吠えた。
「俺の居場所、漏らしやがったな畜生が」
☆198
シュテンは無言でいた。イバラキが前へ動く。
「待て!」
シュテンはイバラキを止めた。
「誰か、おまえんとこに行ったんか」
「おうよ、襲われた。てめえのせいだ」
「どんな奴だ」
「とぼけるなよ。ありゃ朝廷の天網だ。シノビだ」
イバラキは懐から一枚の鋼を取り出し見せた。それはヒトデのようだった。シュテンもカイも、もうひとりの小人も、イバラキの見せたそれを見つめる。
「見ろ」
イバラキはそれを投げつけた。鋼は転がっていた白木に飛んで行き、音を立てて突き刺さる。カイが走り寄り、白木に投げ刺さったヒトデを検分した。
見たこともない飛び道具。
「その刃先には毒が塗られていた。奴等の武器だ」
それは手裏剣であったが、当時、誰も見たことがなかった。
「皆、黒装束だった。天井から降りて来やがった」
風が舞う。シュテンが、「シノビは何人で来た」かと訊いた。イバラキが応える。
「三人だ。三人とも斬ってやったがな、そのうち一人は女だった」
朝廷の運営した暗殺部隊を天網という。天網とは、忍者の集団であった。忍者とは忍術を使う者をいう。
忍術とは、先に大陸で起こっていた剣術と対立するため、朝廷が秘密裏に開発した戦闘法のひとつである。
朝廷は他にも戦闘態形を開発していた。そのひとつに妖術がある。妖術とは亡霊の力を使って闘う方法であり、危険であった。
帝都キサラギ、そこには妖術を使う者もいた。
☆199
朝廷軍六百騎は、二十日の砂丘外環に待機していた。目的は、イバラキとシュテンの捕獲である。
昼夜、燃え続ける炎の列がある。遠洋の猟師が通報していた。炎は士の一隊らしい、砂丘に駐屯しているらしかった。
探れば炎の主は、太陽と鉄に間違いなかった。太陽と鉄は動かないでいる。何かを待っている。シュテンの居場所はキサラギへ伝わった。
シュテンがキサラギへ送った捕虜、後に失踪した男によれば、イバラキとシュテンが二十日に会う、場所は知れない。
ならばイバラキは、シュテンのいる砂丘へ向かっているはず。イバラキが二十日、シュテンと会うために砂丘へ北上していると読めた。
朝廷軍は二十日の砂丘へ向けて、キサラギから挙兵した。十六日である。出撃の情報は、宿にいるコンにも伝えられた。十八日である。
二十日。太陽と鉄は、イバラキを待ち受けている。東西に広がる砂丘、その西寄り、さらにその海岸沿いの北の場所、砂丘西部最北に部隊は駐屯していた。
太陽と鉄が灯し続けた炎は、イバラキへの信号だったのか。代償としてシュテンの居場所はキサラギに漏れた。
―それでもいい、俺たちゃ男だ、かかってこいや、キサラギよ
―イバラキを倒しても、流浪は続く
―貯まった金を山分けにして、解散してもいい
―でも誰も、シュテンから離れないで行くと思うぜ
―俺もそう思う、シュテンと一緒にここまで来たんぞ、最後まで行く
―俺も行く、死んでもかまわん
―俺もだ、金なぞいらんが、シュテンには付いて行く
朝廷の六百騎は各二百騎ごと、三隊に分かれた。それぞれ西、南、東、すでに太陽と鉄を包囲していた。早朝から各隊が横に拡がる形状で、緩やかに海岸線へ詰め登って行った。
☆200
ベニイは、砂丘の外環に立っている。場所は砂丘の最西端、その最北端である。朝廷西隊の待機場所より北の場所。最西の北の海岸に大蛇は陣取っていた。
大蛇、五十騎。部隊としては小さい。それでも見つからぬようにしてもいる。何人かは我を忘れ、海辺に降りて遊んでもいた。心は虚ろだった。
誰もが強者、でも知らぬ土地。頭のイバラキは行方が知れない。北側の海、その大きさに圧倒されてもいた。泳ぎを知らない者も多い。
獲った魚に大声を上げても、嬉しくはなかった。焼いて食べようが好きにすればいい。
イバラキの不在から、部隊は自己を見失いつつあった。それほどにイバラキは大きな存在、指標だったのである。
ベニイは海先を見つめている。イバラキと似た長髪。赤毛。吹き付けた知らぬ風が。
―這い上がってきたのさ、南土からさ、やっとしてよ
―イバラキと会わなかったら、もっと早くに死んでいただろう
それがベニイの想いだった。
ベニイは赤毛であった。赤毛ゆえ差別された、見知らぬ人々から。親族からも罵られた。幼少時代よ。
イバラキは無法だった。常識は無い。表面に意味がないことを悟っていた。だからベニイの非常の内に才を認めることができ、さらに重きも置いていた。
ベニイは戦時、赤い鉢巻きをする。ベニイの赤毛はイバラキの赤面と馴染んで、赤鬼と成っていく途中にあった。
放っていた一騎が戻って来た。進軍する朝廷軍を見たという。その数、二百騎。
本土で最初に交戦したセキ軍が二百騎だった。今度の朝廷軍も二百。この士気では負ける、とベニイは読む。他の大蛇も同じだった。部隊は戦闘を回避する。
朝廷軍の向かう先にはイバラキがいるんだろう。前に太陽と鉄、後ろから朝廷軍とさ。イバラキは挟まれたんだ。ただ一人で。
ベニイは馬を東に走らせた。海岸線。イバラキの救出に向かった。部隊には何も言わなかった。ベニイは離隊したのである。イバラキよ、今行く、待ってろ、と。
部隊はここで解散となったが、残りの者全てベニイに続いた。海岸を疾走していく。
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