先月の26日早朝、大好きだったじいちゃんが旅立ちました。

大正5年生まれの97歳。
昭和16年に私の母が生まれ、約半年後召集されて満州へ
終戦後、ソ連の捕虜としてシベリアへ抑留。
約2年間強制労働の末、栄養失調になり強制送還。
赤子だった母は6歳になってました。


子供が生まれて一番可愛い盛りに見ることも、抱くことも出来ないなんて今じゃ考えられない。

じいちゃん、今は平和で良いね、と言ったら、しみじみと『あぁそうだなぁ』と言ってました。

じいちゃん、シベリアは寒かったかい?と聞くと
『寒いんじゃねんだよ、痛いんだよ』と教えてくれました。

68歳の時に、ばあちゃんが亡くなってから約30年。
迷惑を掛けないように、自分のことは自分でやるといつも言ってました。
80歳後半まで自分で車を運転し、彼女を作ったり(笑)
90歳位で膝を悪くするまでゴルフやダンスを習ったり、
俺は死ぬまでカラオケだなんて言うスーパーじいちゃんでした。

90歳を超えてもステーキ150gをぺろりと食べたり、膝のリハビリをしたり常に前向きな人でした。
きっと抑留されてたときに、死んでいった仲間の分まで生きようと思っていたのかな?

今年の3月に体調を崩し、ガンが見つかり、余命宣告。
100歳まで生きると前向きなじいちゃんには告知せず。
過度な延命治療は希望しないで、痛くない、苦しくない治療をお願いしました。

亡くなる数日前までデイサービスに通ってカラオケをやっていたそうです。
施設でも人気者のじいちゃんだったみたい。



自慢のじいちゃん、長い間お疲れ様でした。

もう膝も痛くないでしょ?
ばあちゃんに会えたかい?



自分があの歳まで頑張れって言われても無理だと思う。
凄いじいちゃんでした。


それにしても97歳って凄い!

だって『関東大震災の時は、南の空が赤かったなぁ』って言ってたもん!