なぜかコウヘイは、妻のヒトミにさえ阿久津ミナのことを話す気になれなかった。
 それでもコウヘイは、ミナがあの夜に話していたこの海を自分の目で眺めてみたかった。
「出発する前に、この辺りを散歩しないか?」
 思いとは裏腹に、コウヘイは軽い感じヒトミを海の方へ誘った。
「どうしてこっちの海はこんなに寂しく見えるのだろうね」
 やはり砂浜に人影がなかったからだけではなかった。ヒトミが言うのと同じように、コウヘイも目の前の景色から感じていた。
 浜には絶え間無く波が打ち寄せる。それを眺めているコウヘイを、また遠い過去へ連れて行った。

 その日、コウヘイはサキと待ち合わせていた。
 父親から東京に引っ越すと聞いた翌日であった。
「引っ越すことになったんだ」
「え、どこに?」
「東京!」
「エエ~」
 二人にとって東京は、海外と同じ距離にある。移動手段の限られた中学生には、思い付きだけで訪れる場所とは言えなかった。
 薄々はわかっていた。もしかしてここで会うのが最後かもしれないと……。
 しかし、コウヘイだってサキだって、そんなことはない。間違いなのだと信じていた。逢いたいと思えば、この先でいつかまた必ず出会えるのだと……。
 二人の願いをあの化学事故が引き裂いた。サキの笑顔とともに。

「ゴホ、ゴホ……」
「大丈夫?」
 ヒトミがコウヘイの背中を摩った。立っていられなくなったコウヘイが、しゃがみ込んでしまった。
「まだ苦しい?」
 不安を滲ませたヒトミが、咳き込むコウヘイに問い掛けた。