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「過去を綴る日記じゃなくて?」
「うん。未来を綴ってある本。見てみたい?」
私は、誕生日プレゼントということで彼から本をもらった。
――未来の本。何でもこれからの自分のことが綴ってあるそうだ。
「だけど、ちょっと怖いね」
私は、素直に自分の想いを口にした。
そんな私を上目遣いで見つめたかと思うと、彼は広げた本にまた視線を落とした。
「書いてある。書いてある」
「何が書いてあるの?」
「ちょっと怖いって言うの」
「嘘だ?!」
「じゃあ、見てみる?」
すこし意地悪く、彼は閉じた本を目の前に差し出した。
アンの本。
深い緑色の表表紙に、少し黄色味がかった文字でそう書いてある。手にした私は、しばらく表表紙を眺めて、背表紙へと本を回した。
厚さは、3.5センチ。ざっと三百ページといったところだろうか。つまりその厚さ分だけ私のこれからが詰まっていることになる。
「準備はいい?」
「ちょっと待って。もう少し落ち着いてから……」
軽く目をつぶり、私は両手で本の重さを確かめた。これが、これからの私の人生。そう考えると、この重みがどれ程の物なのかと無意識に想像していた。
「人生は、長さでも重さでもないよ」
「エ?」
私は、彼の言葉に驚いた。なぜって、今ちょうど、本の重さを感じようとしていたからだった。
「作家によってはね。500ページもの分量で長い長い一日の出来事を作品にすることもあるんだ」
目を閉じたまま私は小さく頷いた。
「3ページで、一生を描くこともある」
彼の言葉を心で理解して、私はもう一度、頷いた。
「アン!」
彼が呼ぶので、私は小さな声で返事をした。
「そこに、どんな物語が描かれていると思う?」
「……物語?」
彼が口にした”物語”という言葉は、昨日まで知っていた空想の夢物語ではなくて、未来へと生きていく私がいつか辿るれっきとした実話なのだと思うと、ずっしりとした手ごたえとなって伝わってきた。
「アンの物語は、どんな場面から始まるのだろうね?」
かつて一度でも小説など書いたことがなかったから、上手い書き出しなど簡単には浮んで来なかった。
雪が降っていた。
町は静けさに包まれていて、馬の蹄と馬車の車輪が降り積もった雪を踏みしめる音だけがかすかに私の耳にも聞こえて来た。
「雪って何色なの?」
子供ころから、私は母に何色だとよく聞いた。
「白。目を見開くのさえ大変なほど眩しくて、思わす顔を背けてしまう眩しい色よ」
「雪は白色なのね!」
「そうよ。雲と同じ色。だけどもっと輝きに満ちているわ」
「ママ、今も眩しい?」
「エエ、もちろんよ。太陽の光を反射して、町中が白く輝いているわ。とっても綺麗よ」
「うわぁ~!」
母から教えられた色の世界を、私はずっと頭の中で描いて来た。太陽も空も星も、みんなみんな母が教えてくれた色の世界で私は想像して来た。
「ねぇ、ママ」
「なぁ~に?」
「パパみたいな人が、いつか私を迎えに来てくれるの?」
「そうよ。パパのように優しくて力持ちの男性がいつか貴女を迎えに来るわ!」
まだそれは遠い未来の出来事だと思っていた。
「プロローグだけ読んでみた」
「何が書いてあった?」
「内緒!」
私は、彼にさえ話したくなかった。
開いたページには、一見、文字など書かれていなかった。なのに、その紙を眺めていると、不思議なことに物語が始まるのだった。
一体、この私をどんな男性が向かいに来てくれるのだろうか。ふと彼を見て、私は吹き出した。
「何がそんなに可笑しいんだ?」
「内緒!」
私は彼からもらったその本を閉じて、そのまま両膝の上に置いた。
本を手で覆うように置き、彼の方をみて微笑んだ。
「ステキなプレゼントをありがとう」
冬もやがて春となり、夏を向かえ秋となる。季節が巡り、私は年を重ね、誰かと人生を一緒に歩んでいく。子供が生まれて育児に追われ、成長を感じ巣立ちを見送る。その頃には少し目元にもしわが出来、また夫と二人だけで暮らす。
季節の移ろいを今まで以上にありがたく感じ、穏やかな日々を過ごしていく。
「そろそろ行こうか?」
「そうだね」
何だか急に彼の手を握りたかった。
「ハイ」
「どうしたの?」
ちょっと驚く彼が振り向いた。
「繋ぎたくなったの!」
フフフと癖のある笑い方をする彼が前を向いて歩き出した。私は少しあごを上げて、彼の表情を見つめていた。
これからどんな未来が私を待っているのだろう。そんなことを思いながら彼と一緒に歩いていると、さっきプロローグでママから教えられた人が誰だか分かったような気がした。
まだ彼には内緒にしておこう。私は、そっと彼の手を握った。半歩先を歩いていく彼が無意識に握り返してくれた。
「春だね」
急に振り返った彼が空を見上げて言った。
あまりに突然だったから私は何も言えなくて、「そうだね」と答えた。
フフフ。彼が笑った。だから私もフフフと笑ってみた。
