被災地訪問(1日目): (気仙沼→)陸前高田→大船渡
<5/3(火)続き>
気仙沼を後にして向かったバスが向かった先は、ほぼ壊滅状態に
なってしまった陸前高田市。
あまりの状態に、ただただ言葉を失い立ちすくんでしました。
そして、海辺近くに立ったとき、
磯の香りと共に、何かとてつもなく重い空気も吸い込み、
一瞬息ができなくなりました。
でも、、、
遠くから来た私が感じるこの重みより、きっとここに住んで
おられた方々が感じられるものというのは、想像に絶するもの
なのでしょう。。。
悲しくて、やるせなくて、つらくて、苦しくて、、、
そんな中でも、必死に生きていこうとされている方々のことを
思うと、本当に頭が下がります。
そして、陸前高田市の次は、大船渡市も訪れました。
まずは海岸沿いの住宅地に降り立ちました。
住宅地…と言っても、もはや残っているのは「基礎」の部分のみで
どのような街並みだったのかは、もはや知る由もない状態でした。
3F建てのマンションも、
漂流物が一番上の部屋の中にまで流れ込んでいました。
海から黒いうねりをあげたマンションよりも高い波が
間近に迫ってきたときの恐怖感を思うと足がすくみます。。。
その後、バスで高台にある大船渡市・本増寺まで行きました。
すると、その日はちょうどイベントが開催されていました。
奥州市出身のシンガー・ソングライター松本哲也さんや、
盛岡市の飲食店有志の方々が企画された「いわて三陸復興食堂」
が来ていたのでした。
寺の境内では、子供たちがにぎやかな声を上げながら駆け回り、
大人たちは「復興食堂」の食事を食べながら時には笑い声を上げて
話していたり、ボランティアの方々によって提供されいた靴や洋服を
真剣に吟味しながら見てまわったり。
一見、イベントのためにお寺に集ったような雰囲気ではありましたが、
イベントが行われていた場所から下を見ると…
以前は商店街やいくつかのお店があったであろう海辺の街が、
波によってすべて流され、寒々とした街になっている光景が
見えるのでした。
気仙沼を後にして向かったバスが向かった先は、ほぼ壊滅状態に
なってしまった陸前高田市。
あまりの状態に、ただただ言葉を失い立ちすくんでしました。
そして、海辺近くに立ったとき、
磯の香りと共に、何かとてつもなく重い空気も吸い込み、
一瞬息ができなくなりました。
でも、、、
遠くから来た私が感じるこの重みより、きっとここに住んで
おられた方々が感じられるものというのは、想像に絶するもの
なのでしょう。。。
悲しくて、やるせなくて、つらくて、苦しくて、、、
そんな中でも、必死に生きていこうとされている方々のことを
思うと、本当に頭が下がります。
そして、陸前高田市の次は、大船渡市も訪れました。
まずは海岸沿いの住宅地に降り立ちました。
住宅地…と言っても、もはや残っているのは「基礎」の部分のみで
どのような街並みだったのかは、もはや知る由もない状態でした。
3F建てのマンションも、
漂流物が一番上の部屋の中にまで流れ込んでいました。
海から黒いうねりをあげたマンションよりも高い波が
間近に迫ってきたときの恐怖感を思うと足がすくみます。。。
その後、バスで高台にある大船渡市・本増寺まで行きました。
すると、その日はちょうどイベントが開催されていました。
奥州市出身のシンガー・ソングライター松本哲也さんや、
盛岡市の飲食店有志の方々が企画された「いわて三陸復興食堂」
が来ていたのでした。
寺の境内では、子供たちがにぎやかな声を上げながら駆け回り、
大人たちは「復興食堂」の食事を食べながら時には笑い声を上げて
話していたり、ボランティアの方々によって提供されいた靴や洋服を
真剣に吟味しながら見てまわったり。
一見、イベントのためにお寺に集ったような雰囲気ではありましたが、
イベントが行われていた場所から下を見ると…
以前は商店街やいくつかのお店があったであろう海辺の街が、
波によってすべて流され、寒々とした街になっている光景が
見えるのでした。