今までだってやってきたんだ。
この一言に関ジャニ∞メンバー、個々の気持ちが総て集約されている気がした、大きな挑戦、目標の24時間テレビが終わりました。
メインパーソナリティーに任命された彼等が、あの時を迎えるまでの間“大きなプレッシャー”と一言で表現するには乏しい感情が常に付きまとっていたと思います。
こればっかりは、私の言葉の引き出しの少なさに嘆くばかりです。
きっと、個々に言葉に出来ない感情を抱きながらも、自分達がそれを見失ってしまったら、あとに続く共演者の方々やスタッフやファンもそれを見失う結果になると思い、口には出さなかったんだと思いました。
彼等だけで番組を作り上げるわけではないけれど、メインパーソナリティーという大役は、24時間テレビの舵を取り、その先を導く役割を果たしていることに何ら変わりはありません。
今は本当にお疲れさまでした。の気持ちと、それをやり遂げた彼らに賛辞を送りたいと思います。
正直、彼等がメインパーソナリティーに任命された時は喜びよりも、本当にその大役を果たせるか、それほどまでの器なのかと思ってしまいました。
私は彼等の悪乗りを沢山見てきたからです。
不安だったんです。
私は知っていました。
嵐が初めて24時間テレビのメインパーソナリティーに任命された時、視聴率の悪さからかなりの酷評をもらっていたことを。
エイトも酷評を浴びせられ、傷付くのを見たくなかった。
彼等には、やり遂げる事が出来ないと、頭から決め付け勝手に胸を痛めていました。
信じてなかった。彼等を。
そんな大役、果たせるわけがないと、頭から決め付けていたんです。
彼等の背中を押せなかった、eighterを名乗るには申し訳ない私がいました。
しかし、それは冒頭の約数分
彼等が金色のTシャツを着て堂々と挨拶している姿を見て、覆されました。
照明の光ではない、金色のTシャツの力ではない、彼等自身が放つ“今までだってやってきたんだ。”という強い気持ちから放たれる光に目を奪われました。
それは、私が初めて渋谷すばるを見た時に感じた胸から溢れ出る感情に良く似ていて、彼等を信じられなかった浅はかな自分が悔しくて涙が出ました。
24時間テレビが始まる数日前に、私は友人にこんな気持ちを吐露しています。
エイトは変わった。
昔のような、やってやるって気持ちがあまり感じられない。
彼等は昔の気持ちを失ってしまった。
昔のような、強い光を放つ眼差しが感じられない。と。
しかし、実際、変わってしまったのは私でした。
長い月日と、彼等を取り巻く環境に左右され、いつの間にか彼等の心に燃え続ける炎を見失っていたのです。
大きな会場でライブをして、自分達に愛情をくれる人達が増えたことに甘んじて、自分達を見失っている。
私が必死に背中を追い続けた彼等の足並みはスピードを落とし、いつか来る、人気の低迷をただ先伸ばしにしている。
違いました。
自分達を追うファンの為に振り返り、私達が追い付き一緒に歩んでいけるように、ゆっくり進んでいた。
私達からの愛情を溢れ落とさぬように手を広げていた。
恥ずかしかった。
情けなかった。
あんな気持ちを吐露し、昔から彼等を応援しているという立場に甘んじていた自分が。
彼等を信じることが出来ていなかった自分が。
メンバーに謝りたい。
申し訳ない。本当に。
彼等は昔からそうだった。
どんな時もやってくれた。
失敗を恐れていなかった。
私は変わりたくない。
彼等を追い始めた“関ジャニ∞ならやれる”って気持ちを心に強く留めていたい。
私は、もう見失わない。
eighterとして彼等を。