
「日本チアリーディング協会20年史」の9章は、
見開き2ページにわたって、
会長の奥様による文章が掲載されています。
ジャパンカップのプログラムを見るとわかりますが、
今回も大会副会長のところに、お名前があります。
協会の理事もなさっている方です。
この方、NHKの紅白歌合戦や、フジTVのスターかくし芸大会の
振り付けなどをなさっていたという程度のことは、
この本を読む前にも知っていましたが、
日本における競技チアリーディングの立ち上げに深く関与した方である
ということを、この文章を読んで初めて知りました。
いずれにしても、この本の中で、一番読み応えがあったのが、この9章です。
時計の技術屋さんであるお父さんに東京へ行けと言われ上京し、
日本舞踊の先生の家に住み込んで内弟子になって、
そこから始まる波乱万丈の半生が綴られています。
例えてみれば、日本経済新聞に連載されている「私の履歴書」のような感じです。
そして、そもそもの事の始まりは、
この方が、ロサンゼルスオリンピックの開会式に出かけ、
帰りの道が混むからと、半ば時間つぶしで、
開会式後のデモンストレーションを見たことに遡るようです。
デモンストレーションの中に、チアリーディングの演技があったのです。
それを見て、このスポーツを日本の子ども達にやらせたいとの
強いインスピレーションがわき、協力者を探したところ、
当時、ある日本企業のロサンゼルス支社長であったげ現会長を紹介され、
第一歩のスタートが切られたということのようです。
さて、この2ページの文章で、一番印象に残ったのは、
「忘れられない出来事」と題された50行ほどの文章です。
この本が近くある方は、ぜひ、そちらの方をご覧下さい。
以下はあくまでも要約ですので。
協会が発足して間もない頃の話です。
一生懸命加盟チームを増やそうと努力していたころ、
軽井沢で合宿しているチームのキャプテンから電話がかかってきたそうです。
「協会からのビデオが届かない」
送った、着いていない、の押し問答の末、
「ビデオが無ければ明日からの練習に差し支えるでしょうから、今からお届けにあがりましょう」
と、この方が軽井沢まで届けることにしたそうです。
なんとも、滅茶苦茶な話ですよね。
ビデオのために、わざわざ軽井沢まで行くなんて。
しかし、小さな同好会の立ち上げから、会社の起業まで、
何か組織を作ったことのある人ならわかると思いますが、
組織を作った直後って、
「よし! 良いと思うことは、何でもやってみよう」と、後で考えたら
信じられないほど、アクティブな気持ちになれたりするものです。
そういうような気合が入ってらしたからかもしれませんし、さらに、
合宿地に出向いて、選手をはげまそう、という気持ちもあったのかもしれません。
いずれにしても、ビデオを持って、電車に乗り、
タクシーを乗り継いで、軽井沢の合宿所についたのは、夜中の午前0時すぎ。
そこで、ショッキングなことが起こります。
玄関に出てきたキャプテン。
「ああそう。そこに置いといて」
とだけ言って、お礼を言うことも無く去ってしまったのだとか。
夜道を逆に戻り、早朝の駅のベンチで、
泣きながら始発列車を待ったそうです。
それがきっかけで、(技の教育だけでなく)チアリーディングの精神を
持つ選手を育てなければならないと痛感し、それが、
その後のチアへの関わり方に大きく影響したとのことです。
なお、この話には後日談があって、その後、そのチームを訪問したところ、
キャプテンにかわって1年生の選手がきちんと謝罪されたこと、
そして、その1年生の選手が3年生になりキャプテンになったときには、
そのチームは全国屈指のチームになったことなどが書かれています。
「チームは、人なのだ」と、改めて感じたそうです。
また、ビデオのほうは、実は軽井沢に届いていたが、
チーム内の連絡の手違いで、見つけることが出来なかったらしいとのことでした。
さて、この文章を読んで思い当たったのが、
手続きミスによる大会不参加の件です。
自分が最初に新聞で見た2010年の文理大のケース以前にも、
少なくとも3件は、同じような理由での不参加があったようです。
単なる、興行の主催者であれば、たいした額でもないのだし、
「次から気をつけてね」でやりすごしてしまうところですが、
異様なまでの こだわり。
そこには、この軽井沢の件を発端として協会に脈々と受け継がれている
「チアリーディングのチーム全体として、責任を持って行動せよ」
という強い理念が根底にあるような気がするのです。