1.11 24:00
ハイエースに乗り合わせて現地へ出発。
1.12
4:30ごろ現地到着。
8:00ごろ
まずご家族が流されたお宅へ。
父母、娘さんお二人、息子さんおひとりが行方不明とお亡くなりに。
残されたのはご自身と奥様のみ。
ご自宅はそのままに横に新しい家を建てていらした。
御線香をあげて、ひとまず移動。
9:00 他団体と合流。
皆さんほぼ毎週末、仕事終わりに車を走らせ現地入りしているそう。
海岸の清掃。
遺骨探しも含めて。
写真のような状態からまっさらな状態に。
しょっぱなから誰かが履いていた靴を見つけたり、ペットボトルや髪をとかすくしを見つけたりと
生活感溢れるものがたくさん。
私は見つけられなかったけど、骨や歯も見つかったみたい。
生活していた家が一瞬で飲みこまれたんだなと改めて。
午前の作業が終わり、ご飯を食べに定食屋さんへ。
原発から20kmちょっと。
すぐそこには検問がある場所。
でも結構早くからこの定食屋さんはやっていたそう。
地元の人もいっぱいいた。
肉野菜炒め定食。
ボリューム多くて食べるのに必死。
しかも東北らしく味が濃い。
好きです、福島。笑
午後は、再度流されたお宅へ。
震災後に生まれたお子さんと遊ぶ。
震災後にお子さんが生まれたと聞いて私は「おめでたい!」とすぐに思ってしまったけど、
そんな心境には簡単にはならないらしい。
やっぱり娘さん、息子さんのことを思い出して切り替えが難しいとのこと。
一番上の子の年齢を超えるまでは。
1時間程遊んでから、海岸清掃へ復帰。
ひたすら拾う、拾う。
16:00
清掃終了&後片付け。
その後、銭湯でお風呂に入り、チェックインして、新年会へ。
周り誰一人として知らない中、出陣。(ボランティア中に少し話した程度)
人見知りにハードル高すぎ。。
さっきから登場している自宅が流された方の誕生日が前日だったので誕生日会を兼ねた新年会。
誕生日なんか全然めでたくない、子どもさんと祝った記憶がフラッシュバックしてしまう。とのこと。
生きていることがなんなのか。生きていなくてはいけないのか。私自身もよくわからなくなった。
新年会では被災各地でボランティアをしている人、最初から南相馬で活動を行っている人、
色々な人の話が聞けた。
以前、石巻(だったかな?とりあえず岩手か宮城)でボランティアをしていた人は
去年5月、南相馬に来て唖然としたそう。
活動していた場所ではもう花を植えたりする環境整備の段階なのに
いまだにがれき撤去すら進んでいないのかと。
新年会では私自身も周りもみんな笑っていたけど、心の中はそれぞれ笑っているのか泣いているのかどうだったのかはわからない。
でも2年前は誰も笑えなかった。
と言われ、少し考えさせられた。
震災を認識しながら、笑うこと
震災を忘れながら、笑うこと。
現地とそれ以外、関心を持ち続けている人とそれ以外。
笑うことに違いがあるような気がした。
考えすぎかもしれないけど。
2次会は行かずにホテルに戻り、就寝。
翌日朝、現地を発ち、東京へ。
そして解散。
そんな日程で過ごしてました。
雑多な感想。------
本当に自分が情けなくなった。
現地の今の情報を追えていなかったことに。
震災関連のニュースが少なくなっている。
だったらブログでもなんでも現地の情報を追うことができたはず。
でもそれをせず、もうあらかた片付いているんだろうなどと勝手に考えていた。
現地に行ったら、まだまだな状態だし、流された家がそのままの場所もあるらしい。
よく「震災を忘れない」とか言うけど、震災は日本人誰でも忘れはしないよ。(たぶん)
でも次第に情報を見ることはなくなっていくんだな。
ニュースでやらなくなれば、現地の情報を知らない。
そうやって記憶が薄れて関係ないと思う人が増える。
文章にするのは難しいんだけど、つまり
関心を持ち続けている人とそれ以外の人の差が大きくなりすぎている気がした3日間でした。
こんな状態から

