此のブログでも
何度か
幸福 と云う言葉を使った事は有りますが

果たして
ひとにとって
幸せ とは一体何でありましょう ?



ひとは誰しも
幸福になる為に生まれて来た  なんて云う
道徳憲章ちっくなことはさておき

幸せ
って
何だろうなあ



例えば
何年か前のわたし

…肩の怪我をして
丸3年が過ぎましたが



指先の
神経が戻る迄

痛み止めを
なるべく我慢するように言われたけれど
あれは人生最高の痛みでした(暫定)



物理的な痛みに加え
大失恋の大ショック(去年の今頃の「失恋記念日」参照)

おまけに
何が起きたのかすら よく分らない



こう云うのはきっと
不幸のどん底 って

あるひとは思うのかも識れないですね
わたしもそう 当時は思っていました



だけど
よく考えてみると

貴方が行ったお国では

怪我をしても 碌すっぽ治療すら受けられない侭
亡くなる人も居て

そう云う次元で考えると
日本と云う国は 本当に恵まれて居る



わたしだって
命が助かっただけで御の字
腕が繋がったのだって奇跡

今こうして

わたしの左腕は 不器用乍らもAとS
WとEをタイピングしている
(不自由も随分残っては居るけれど)



此れを幸運 そう言わずに何と言おう

それとも
そもそも怪我をするのは不幸 ?
病気に罹るのは不幸 ?



でも

今夜のわたしは おどんぶりが美味しかったし
ヒーターはあったかくて
明日の雪も なんとか凌げるだろう



こんなに幸せ
なのに

如何して今更 「幸せ」について考えるのだろう



少なくとも
わたしの周りのひとは

普通に生きているにも拘らず
幸せについて 考えていると思います



わたしは運良く 結婚したけれど
同い年くらいの友人は

結婚をしないと
幸せになれないだとか

幸せな結婚が出来なかっただとか



結婚=幸せ ともあまり思わないけれど
結婚=恋愛 とするのなら
恋愛は自己承認の最たるものだと思うので

結婚出来る と云う事は
ある種 幸せな事なのだろうなあ



でも
結婚そのものが 幸せじゃあなかったって
早くも離婚の話もちらほら

幸せとは

一緒に居る相手に依っても 変わるものなのだろうか



例えば貴方

昨日の記事にも書いたけれど
貴方は時折



「幸せ」で居る事に 否定的な気さえする



一緒に居る事が幸せ
安寧が 幸せ

何も無い事
退屈な事



日常が ごく普通に流れる事



否定的
って云うのは
本人に聞いた訳では有りませんが

時折
厳しい目をして
バラエティ番組を消そうとしたり
音楽を消して下さいと言ったり
(耳がいいから煩いのかな とも思うけれど)



この寒いのに
水風呂に 浸かりたがったり

(去年の「氷魚」記事参照)



でも
解っては居るのです

幸せと云うものは
本人の中にだけ 存在するもので



幸福も
不幸も

本人の中に有る 幻想そのもので



例え
食べ物の無い 紛争地帯に放り出されたとしても

本人が
幸せなのなら

それでいいのだ ってこと



痛みも
病気も

本当は
感覚以上に支配するものが
自分の精神には有って



考え方ひとつで 如何にでもなるってことも



うーん

幸せを論じるには
わたしはまだまだ修行不足です



でも
貴方

今夜のお酒は 美味しいのかな

わたしは



貴方の幸せが

わたしに向かっていたらいいのにな



そんな
この上なく身勝手で
修行不足の賜物な理想を




密かに

願って仕舞うのです














(やっぱり中途半端に成って仕舞った、、、、、、)