「こはるは誰に対しても優しいね」
顔はかっこいい訳でもない。スタイルが良い訳でもない。取り柄がない私はよく優しさを褒められる。
父は言う。
「他者に対して優しくできるここが男の強さだ」
それが強さなのかは分からない。
生物として強いのはきっと攻撃力だと思う。
ただ私は人を殴ったこともない非力な男だ
ましては暴力は怖く格闘技は今まで見れたことがない。鍛え上げた鋭い拳が相手の顔を貫通してしまったらと考えたら、見れないのだ。
だが、男としての強さかは分からないが
誰に対しても優しくすることは、確かに難しい事は実感している。人としては強いのかもしれない。
きっと褒める場所が見つからず、不確定要素が多いがために手軽に褒められるから、人は自分に対して優しいという。
確かに私は優しいし、気を遣える。
ずっと私はそう思っていたし疑わなかった。
2年と少し前に、家族で沖縄に行った。
母が癌で亡くなる3ヶ月前に思い出作りに。
その時母は1人で歩けるし、まだ元気だった。
沖縄での写真を見ているといつも母は写っていなかった。母しか写真を撮らないから。
いつも母は写っていなかった。沖縄以前に小さい頃からずっとそうだ。
もし私が気を遣えるならきっと写真を撮れている。
帰りの飛行機で母は私に窓側の席を譲ってくれた。
母は真ん中の席に座った。
病気もあるし、疲れている。休みたいと思う。
それなのに私に譲ってくれた。
沖縄から家に帰ってから母は体調をすぐに壊して、急に悪化した。
もし私が母に対して優しく、気を遣えていたら。
きっと母はもう少し長生きできて、成人式の前撮りも出来ただろう。
額縁の中に母の居場所はない。
誰よりも優しかった母に居場所はなかった。
人は私に優しいという。
優しいとは、無償の愛だと思う。
私は人に対して無償の愛をあげられない。
母は近所の子どもや、私の友達にもとても優しかった。見返りなんて求めずに。
母の存在を知っている私は決して自分のことを褒めてあげられない。
優しくなれたら、大切な人の笑顔を額縁に飾ろう。