私もついに、ブログというものを書いてみようと思い、
今まで読む専門だったのですが、書いてみることにしました。
14日に、父が亡くなりました。
自分で言うのもなんですが、とてもいい家族だったので、
本当に本当に悲しいです。
私にとって父は、ある意味、主人よりも大きな存在で、
‘父の言うことは絶対’的なものがありました。
厳しかったけれど、とても心優しく、
短気だけれど、心配性で。
最期の日、もしかしたら今晩にもって医師から伝えられていて、
朝からずっと病院にいたのに、
ちょっと父の容態が落ち着いてる気がしたので、
いったん家でシャワーを浴びて、すぐに病院に戻って
その日は病院に泊まるつもりだったのに、
家に帰ってる間に、父は逝ってしまいました。
母から電話を受けて、すぐに走って病院に向かったのに、
『待ってて、待ってて』って一生懸命走ったのに、
父は私を待たないで逝ってしまいました。
せっかちなところは、最期まで。
なんでシャワーなんて浴びに帰ってしまったんだろう。
と、何度も悔やみましたが、後悔しても遅く。
父が亡くなる前に、本当は父に伝えたかったことがありました。
父も母も、お互いすごく頼りながら生きていたので、
父は母のことをとても心配していました。
‘母親のことは、大丈夫だから心配しないで。’
‘今まで本当にありがとう。’
でも、それを父が意識がある時に言えませんでした。
それを言ってしまうと、父が亡くなるのを認めるみたいで、
父に「あなたはもうすぐ死んでしまうのよ」って
言っているみたいで。
自分でも認めたくなかったし、父にも知らせたくありませんでした。
もちろん父は、もうわかっていたのでしょうが、
それでも言えませんでした。
葬儀や、葬儀が終わって家に帰って来てからも、
遺影が父の写真なのが、どうしてもしっくりこず、
なんかおかしい。なんかおかしい。と思っています。
いつの日か、受け入れられる時がくるのでしょうが、
今はまだまだ納得がいかないというのか、
なんという表現をしたらいいのかわかりません。
今日の朝、6歳の息子に
「みつくん(父)、いなくなっちゃったね」
と言ったら、
「ママ! そうた(息子)がいるから大丈夫だよ!」
と言われました。
私は、6歳の息子に慰められ、
まだまだかわいい息子がとても頼もしく思えました。
そんなこともう言えるんだって、
嬉しくもあり、驚きもし。
4歳の弟の方も、私が泣いていると、
「ママどうしたの?」
と心配そうに優しい声をかけてくれるし、
息子たちにとても救われています。
いつまでも泣いてないで、しっかり母親をやらないとなって
思った日でした。