北陸・富山県利賀村上畠の山腹にある「瞑想の郷」を訪れる観光客は必ず、「瞑想の館」に掲げられた極彩色の大きな曼荼羅(まんだら)を見上げながら、説明のスタッフに「なぜ利賀に曼荼羅があるのか」と質問します。
「瞑想の郷」は宮崎道正村長ら関係者が思いもしなかったひょんなきっかけで生まれました。
毎冬開かれる「利賀そば祭り」は、大勢の観光客でにぎわいますが、ルーツは前利賀村長の野原啓藏さんが利賀郵便局長を務めていた昭和40年代にさかのぼります。
野原さんは、大口の預金者や保険契約者を接待する「そば会」を毎年、地元で開いてました。
村長になった後の1985年(昭和60年)、富山県が雪対策条例を制定したのを機に、村のイメージアップに「そば祭り」を村のイベントとして計画、1986年(昭和61年)に第1回「利賀そば祭り」が開かれました。
これが図に当たり、そばによる村おこしが始まりました。
拠点として「そばの郷」が建設されることになり、計画は宮崎村長に引き継がれました。
●ツクチェ村を訪問
1989年(昭和64年)1月、宮崎村長ら19人の調査団は利賀村を出発、ソバ原産地の一つであるネパール・ツクチェ村に向かった。
「ソバの郷」の中心施設、ソバ博物館に展示するソバ文化に関する資料収集を兼ねての友好提携調査団です。
悪天候に足止めされ、ツクチェ村にたどり着いたのは1週間後でした。
ツクチェ村の村民は総出で一行を「ナマステ」と出迎え、大歓迎しました。
「ナマステ」はネパール語で「こんにちは」の意味です。
翌日、羽織はかま姿の宮崎村長がツクチェ村と友好提携を調印しました。
●曼荼羅に目を奪われ
ツクチェ村は、日本の高僧、河口慧海が1868年(明治初年)、チベットに潜入した時に一時隠れ住んだゆかりの地でもあります。
村の寺院を訪れた宮崎村長は荘厳な曼荼羅壁画に目を奪われ、息をのみました。
曼荼羅を描いたのはツクチェ村の画僧、サシ・ドージ・トラチャンさんです。
全く予定にはありませんでしたが、宮崎村長はサシさんの手を取り、「利賀村に来て曼荼羅を描いてくれませんか」と申し出ました。
利賀村に曼荼羅を収蔵する「瞑想の郷」建設のきっかけはこの時に始まります。
佐々部光章
■瞑想のやり方
https://kamittochuuch.com/meisou-how.html
