こんばんは。
21:26 今年も何事もなく過ぎてくれました。
やっぱりトラウマになってるなぁって思います。
普段は忘れてるくせに、4月14日の夜になると時間が気になる。
本震の時は寝てたから、恐怖がより強いのは前震なんだなぁって思います。
早いですね、もう2年。けど、まだ2年。
今日は朝から地元のテレビで特番やってました。
録画して、仕事から帰って見たんですけどね、その中の一つに、あの時の警報の音や揺れの映像がそのまま使ってあるのがあって、もう1回ちゃんと防災グッズをチェックしなくちゃって思いました。
これ書いたかなぁ。
阪神淡路大震災の8カ月後、大学のスクーリングの為に、西宮市の従姉の所にいました。
で、休みの時に従姉が、三ノ宮とか元町歩いてこいって言って、自分の足で山手の方から海に向かって歩いて、8カ月たっても道路の歪みや、ずれがそのままになってるのに驚いたのを覚えています。
そして、東日本大震災の時。
色々考えました。
もし、この地震が熊本であったら。
近くには1級河川もあるし、職場は山の方で、もしかしたら山崩れとか起きるかもしれないって。
多分、すぐに職場に行くだろうってのは浮かんだけど、もし、うちの利用者に何かがあったらどうする?
何ができる?
それこそ、本当に最悪の状態であっても、人の尊厳を重視しした対応ができるか。
自分が盾になれるか。
沢山考えて、実家に電話して、母とも沢山話しました。
これが、良かったのかなぁって思います。
決して冷静ではなかったと思うし、変な興奮状態ではあったけど、すべきこと、しなくちゃいけない事は、ある程度できてたと思います。
今日も、北海道と愛知で震度4~5の地震がありました。
いつどこが揺れるかわからない状態ですが、私が、阪神淡路・東日本大震災から教えてもらった事が活かせたように、熊本地震の様子で、何か防災のヒントになればいいなって思います。
あ、テレビでも消火栓が使えず、防火用水を使ったって話があって、消防士さんたちの脳裏にあったイメージは、阪神淡路大震災の時の事だったそうです。
だから、もし消火栓が使えなかった場合の事も想定して、すぐに防火用水を使おうって判断ができたそうです。
2年たって、復興したかって言ったら、そうじゃないです。
家を立てようにも、大工さん等職人さんが足りなくて、途中で停まってたり。
ご先祖から受け継いだ土地を手放さなくてはいけなかったり。
元の場所でお商売をしたくても、道路の拡張でできなかったり。
皆葛藤を抱えながらも、前を向いて頑張っていこうとしてました。
そして、そんな人たちに助言をしてくれているのが、関西の人達そして、東北の人たちです。
あの時から、全国の皆さんが、色々な形でいっぱい手を差し伸べてくださったこと、本当に感謝しています。
あ、熊本城の大天守に、シャチホコが一個乗りました。
道のりは長いけど、地元が完全に復興する日をイメージしつつ、自分ができる事をやっていきたいと思います。
纏まんないけど、そう思った4月14日でした。