ちょっと昔の話をしようか。
姉は、高校時代不登校になった。
理由は、同級生の女の子達が、先生の目の前では先生と仲良いふりしているのにその裏では先生の悪口をしているからというものだった。
小中学時代、田舎の学校で、裏表のない男友達との関係が多かった姉からすれば大きなカルチャーショックだったのだろう。 「女子を信じられない。怖い」と、そこから鬱が診断され、だんだん学校から遠のいた。
そこからは泥沼だ。
家で泣き叫び、周りに当たり散らし、説得しようとする母親に知っている限りの暴言録を投げつけ、言葉の端々に揚げ足を取る。 部屋に引きこもり、漫画だのゲームだのに金をつぎ込む。 みんなが学校に行っている時間、親が汗水たらして働いた金を湯水のように使ってケーキだの漫画だの漫画のグッズだのに埋もれていく。そして父親と夜は大げんか。
毎日のように先生が来て、学校に来るよう説得する。
妹のスナフキンは母親がかわいそうで、必死に学校に通った。そしてそんな妹はまるで繊細な花のように蚊帳の外においやられ、実の姉が落ちていく姿見守るしかない。そして大人に「気にしなくていいのよ。知らなくていいの。お姉ちゃんは今ちょっと自分がわからないだけ」と言いきかされる。
知ってる?教師がわざわざ家に来ても、子供は学校に行こうとは思わない。 逆に、どんどん追い詰められているのでる。
なぜか? だって、「学校の先生が家までやってくる=学校でも噂になってる?=学校で先生に声をかけられるかもしれない=学校の人たちが勘づいていろいろな言われるのではないか? 」て観形式が成り立つから。 不登校の生徒は、間違いなく自分は、「特別視」されるのを望んでいない。 教師が意図してなくても、子供は敏感で残酷だ「先生がよく声をかけている」異常を察知すると、その頭の中では「あの生徒は普通じゃない、かわいそうな生徒像」が造形されていくのある。そしてターゲットに定めることもある。
これが、不登校者の頭に中だ。
実際、周りは気にしていないかもしれない。しかし、そのコロニーの中に、そういった感情察知能力がとても繊細で、創造性豊かな人が若くも老いくもいることを忘れないでほしい。
さて、一つ言わせてもらおう。
家は落ち着く。 両親は仕事で不在、大好きな猫も犬もいる。ご飯は好きなものを作って食べればいい。TVもパソコンもゲームも漫画もある。
そりゃもう子供にとっては完璧な城である。 出たくなくなるのも無理はない。 天照大神は外に楽しさを感じて外に興味を持った。 しかし、この場合全て興味を引くものは内側にある。全てが手の中だ。
じゃあ、どうするか。 どやって全てを持った天照をそとに出すか。
それは、嫌うものを投げ込むことだ。
スナフキンは小学校時代、担任教師との口論から不登校を宣言し、宣言通り学校に通わなくなった。
最初は母も「どうせ2週間もしたらケロっとまた学校に行き始めるでしょう。」なんて思っていたらしいが、1ヶ月経っても一向に学校に行こうとしないスナフキンに焦りを感じたらしい。せめても社交性だけは失って欲しくないと、母は外に出るたびにスナフキンを連れてまわった。
最初は嫌がっていたスナフキンも、だんだんと慣れていった。
そして今度は、不登校のこたちが通う場所に行くことまで義務付けられ、母の仕事がある日は自分の自転車やバスで行かされた。
最初はすごく惨めな気分で嫌だったけど、友達ができると楽しい場所になった。
すると今度は「働かざる食うべからず」ということで、学校に行かない間、家事手伝いをさせられた。
食器洗いや洗濯干し、ゴミ捨て、犬のウ◯チ広い。 ともかくなんでもさせられた。
自分から進んでするのはいいのだが、誰かに指図られたことをするのはともかく大っ嫌いなスナフキン。ゴミ捨てに外に出れば近所のおばさんが声をかけてくる。なんだか居心地が悪かった。
ただ、不登校の間も母はたまにスナフキンを学校に連れて行ってPTAの手伝いをさせたり、たまに教室に無理矢理押し込んでは逃げ出すスナフキンと大げんかしたり、学校というものから完全に遠ざけさせることはしなかった。
そして、小学校時代高学年、PTAのところにスナフキンがいることを聞いた新しい担任の先生は、スナフキンと仲の良い生徒を連れてPTA会議室を数度となく訪れた。 「来なさい」とは言わなかった。少し緊張を含んでいるものの、「来たら楽しいよ?行かない?」 まるで友達が遊びに誘うような言い方だった。「行かない」と身を硬くして拒むと、「じゃあまた明日来るね。いつでもおいでね」とだけ言い残して去っていった。
ずっと頑なに拒んでいたものの、だんだん友達といる楽しさを覚え、少しずつ教室に行くようになった。
授業が嫌になったら保健室に逃げ込んだり、廊下の端っこに座り込んで動かなかったり。 それでも担任の先生は変に説得はしてこなかった。体を硬くして話を聞こうとも動こうともしないスナフキンに、ただ、「入ってきたかったら入っておいでね」とだけ言い残すだけだった。
その頃からだろうか「学校 」「教室」というものに窮屈さより自由さを感じたのは。
小学校の校長先生も、「しなさい」という人ではなかった。「楽しいらしいぞ。興味あったらしてみたらいいじゃないか」という人だった。
苗字にさん付けで呼ぶのではなく、下の名前で呼び捨てだった。
まるで、近所のおじさんやおじいちゃんのような。「教師」「生徒」という堅苦しさを感じさせない人だった。
教室に行かず、校長室で延々と好きなことや嫌いなことを話したこともあった。 「スナフキンは本や絵が好きなのか?タイピングができるのか。じゃあ本を書いてみればいいいじゃないか!やりたいように好きなことをやりなさい。」
楽しそうだなって思って、絵本を書いた。自信満々に、翌日校長先生に店に行った。 今思えば下手な文章に下手な絵。確か小さなキュウリが豚の赤ちゃんになって、主人公の豚がお兄ちゃん豚になる。なんて話だった気がする。それでも先生はちゃんと読んで、「スナフキンはうまいな。将来は作家だな!」って目を見て褒めてくれた。
時には、不登校の子が集まる場所にも出向いて、真面目に説得してくる時もあったが、そんなことされるともっと行かなくなることを知ってか、あまり長々としたごく当たり前な教師のどっかで聞いたことのあるような使い古された戯言は言わず。
子供としての扱いではない。目をまっすぐ見て、ただ、真面目に1人の大人として話をした。
次第に、学校の楽しさを覚え、家で家事手伝いをするよりも学校に行くことの方が楽しいことに気づいて、学校に少しづつ行くようになった。
子供は繊細だ。大人が思っている以上に考えて、周りの情報を一気に察知する。
「教師」の教師には心を開かない。「同じ子供」の教師に心を開く。
理由なしに学校に行かない子供はいない。口にしない、うまく説明できないだけ。 本当はそこまで行動力がある、芯の強い人間である。
芯が強いからこそ、たくさんの司会を作ってあげなければならない。
最後に選ぶのは子供だが、選択肢の幅を広げさせるのは親の手伝いがいる。 そう、まるで小さなお腹の中という世界しか知らなかった赤ん坊をその空間から出し、外の世界を教えるように。
子供の部屋に鍵はつけない
家にいる間は何か一つでも嫌なことをさせる
学校に行くこと自体を全面的にシャットダウンさせない。
ま、スナフキンの経験談でしかないけれど。
追伸
今でも小学校時代の恩師とはたまに連絡を取り合って、校長先生とは帰国のたびにあって小一時間ほど話すが、今では下の名前呼びから苗字にさん付けで。互いに敬語の大人として対等の立場として話をさせてもらっている。
子供だから と侮ることをしない。この芯がある校長先生と恩師がいなければ、今の自分はなかったと言っても過言ではないだろう。
不登校克服?なにそれ。 克服って、なんだか不登校が悪いみたいじゃない。 理由がちゃんとあるからこそ学校にいかな核なっただけなのに、思ったことを行動に移すことを認められないっておかしいよ。
不登校 は悪いことじゃない。
その時期をどこでどう過ごすか次第で視界は一気に広がっていく。だから。気にしすぎなくてもいいと思う。
淡々とレールの上を歩く人より、どうせなら自分を突き通す。人間くさい人に私はなりたいなぁ。
姉は、高校時代不登校になった。
理由は、同級生の女の子達が、先生の目の前では先生と仲良いふりしているのにその裏では先生の悪口をしているからというものだった。
小中学時代、田舎の学校で、裏表のない男友達との関係が多かった姉からすれば大きなカルチャーショックだったのだろう。 「女子を信じられない。怖い」と、そこから鬱が診断され、だんだん学校から遠のいた。
そこからは泥沼だ。
家で泣き叫び、周りに当たり散らし、説得しようとする母親に知っている限りの暴言録を投げつけ、言葉の端々に揚げ足を取る。 部屋に引きこもり、漫画だのゲームだのに金をつぎ込む。 みんなが学校に行っている時間、親が汗水たらして働いた金を湯水のように使ってケーキだの漫画だの漫画のグッズだのに埋もれていく。そして父親と夜は大げんか。
毎日のように先生が来て、学校に来るよう説得する。
妹のスナフキンは母親がかわいそうで、必死に学校に通った。そしてそんな妹はまるで繊細な花のように蚊帳の外においやられ、実の姉が落ちていく姿見守るしかない。そして大人に「気にしなくていいのよ。知らなくていいの。お姉ちゃんは今ちょっと自分がわからないだけ」と言いきかされる。
知ってる?教師がわざわざ家に来ても、子供は学校に行こうとは思わない。 逆に、どんどん追い詰められているのでる。
なぜか? だって、「学校の先生が家までやってくる=学校でも噂になってる?=学校で先生に声をかけられるかもしれない=学校の人たちが勘づいていろいろな言われるのではないか? 」て観形式が成り立つから。 不登校の生徒は、間違いなく自分は、「特別視」されるのを望んでいない。 教師が意図してなくても、子供は敏感で残酷だ「先生がよく声をかけている」異常を察知すると、その頭の中では「あの生徒は普通じゃない、かわいそうな生徒像」が造形されていくのある。そしてターゲットに定めることもある。
これが、不登校者の頭に中だ。
実際、周りは気にしていないかもしれない。しかし、そのコロニーの中に、そういった感情察知能力がとても繊細で、創造性豊かな人が若くも老いくもいることを忘れないでほしい。
さて、一つ言わせてもらおう。
家は落ち着く。 両親は仕事で不在、大好きな猫も犬もいる。ご飯は好きなものを作って食べればいい。TVもパソコンもゲームも漫画もある。
そりゃもう子供にとっては完璧な城である。 出たくなくなるのも無理はない。 天照大神は外に楽しさを感じて外に興味を持った。 しかし、この場合全て興味を引くものは内側にある。全てが手の中だ。
じゃあ、どうするか。 どやって全てを持った天照をそとに出すか。
それは、嫌うものを投げ込むことだ。
スナフキンは小学校時代、担任教師との口論から不登校を宣言し、宣言通り学校に通わなくなった。
最初は母も「どうせ2週間もしたらケロっとまた学校に行き始めるでしょう。」なんて思っていたらしいが、1ヶ月経っても一向に学校に行こうとしないスナフキンに焦りを感じたらしい。せめても社交性だけは失って欲しくないと、母は外に出るたびにスナフキンを連れてまわった。
最初は嫌がっていたスナフキンも、だんだんと慣れていった。
そして今度は、不登校のこたちが通う場所に行くことまで義務付けられ、母の仕事がある日は自分の自転車やバスで行かされた。
最初はすごく惨めな気分で嫌だったけど、友達ができると楽しい場所になった。
すると今度は「働かざる食うべからず」ということで、学校に行かない間、家事手伝いをさせられた。
食器洗いや洗濯干し、ゴミ捨て、犬のウ◯チ広い。 ともかくなんでもさせられた。
自分から進んでするのはいいのだが、誰かに指図られたことをするのはともかく大っ嫌いなスナフキン。ゴミ捨てに外に出れば近所のおばさんが声をかけてくる。なんだか居心地が悪かった。
ただ、不登校の間も母はたまにスナフキンを学校に連れて行ってPTAの手伝いをさせたり、たまに教室に無理矢理押し込んでは逃げ出すスナフキンと大げんかしたり、学校というものから完全に遠ざけさせることはしなかった。
そして、小学校時代高学年、PTAのところにスナフキンがいることを聞いた新しい担任の先生は、スナフキンと仲の良い生徒を連れてPTA会議室を数度となく訪れた。 「来なさい」とは言わなかった。少し緊張を含んでいるものの、「来たら楽しいよ?行かない?」 まるで友達が遊びに誘うような言い方だった。「行かない」と身を硬くして拒むと、「じゃあまた明日来るね。いつでもおいでね」とだけ言い残して去っていった。
ずっと頑なに拒んでいたものの、だんだん友達といる楽しさを覚え、少しずつ教室に行くようになった。
授業が嫌になったら保健室に逃げ込んだり、廊下の端っこに座り込んで動かなかったり。 それでも担任の先生は変に説得はしてこなかった。体を硬くして話を聞こうとも動こうともしないスナフキンに、ただ、「入ってきたかったら入っておいでね」とだけ言い残すだけだった。
その頃からだろうか「学校 」「教室」というものに窮屈さより自由さを感じたのは。
小学校の校長先生も、「しなさい」という人ではなかった。「楽しいらしいぞ。興味あったらしてみたらいいじゃないか」という人だった。
苗字にさん付けで呼ぶのではなく、下の名前で呼び捨てだった。
まるで、近所のおじさんやおじいちゃんのような。「教師」「生徒」という堅苦しさを感じさせない人だった。
教室に行かず、校長室で延々と好きなことや嫌いなことを話したこともあった。 「スナフキンは本や絵が好きなのか?タイピングができるのか。じゃあ本を書いてみればいいいじゃないか!やりたいように好きなことをやりなさい。」
楽しそうだなって思って、絵本を書いた。自信満々に、翌日校長先生に店に行った。 今思えば下手な文章に下手な絵。確か小さなキュウリが豚の赤ちゃんになって、主人公の豚がお兄ちゃん豚になる。なんて話だった気がする。それでも先生はちゃんと読んで、「スナフキンはうまいな。将来は作家だな!」って目を見て褒めてくれた。
時には、不登校の子が集まる場所にも出向いて、真面目に説得してくる時もあったが、そんなことされるともっと行かなくなることを知ってか、あまり長々としたごく当たり前な教師のどっかで聞いたことのあるような使い古された戯言は言わず。
子供としての扱いではない。目をまっすぐ見て、ただ、真面目に1人の大人として話をした。
次第に、学校の楽しさを覚え、家で家事手伝いをするよりも学校に行くことの方が楽しいことに気づいて、学校に少しづつ行くようになった。
子供は繊細だ。大人が思っている以上に考えて、周りの情報を一気に察知する。
「教師」の教師には心を開かない。「同じ子供」の教師に心を開く。
理由なしに学校に行かない子供はいない。口にしない、うまく説明できないだけ。 本当はそこまで行動力がある、芯の強い人間である。
芯が強いからこそ、たくさんの司会を作ってあげなければならない。
最後に選ぶのは子供だが、選択肢の幅を広げさせるのは親の手伝いがいる。 そう、まるで小さなお腹の中という世界しか知らなかった赤ん坊をその空間から出し、外の世界を教えるように。
子供の部屋に鍵はつけない
家にいる間は何か一つでも嫌なことをさせる
学校に行くこと自体を全面的にシャットダウンさせない。
ま、スナフキンの経験談でしかないけれど。
追伸
今でも小学校時代の恩師とはたまに連絡を取り合って、校長先生とは帰国のたびにあって小一時間ほど話すが、今では下の名前呼びから苗字にさん付けで。互いに敬語の大人として対等の立場として話をさせてもらっている。
子供だから と侮ることをしない。この芯がある校長先生と恩師がいなければ、今の自分はなかったと言っても過言ではないだろう。
不登校克服?なにそれ。 克服って、なんだか不登校が悪いみたいじゃない。 理由がちゃんとあるからこそ学校にいかな核なっただけなのに、思ったことを行動に移すことを認められないっておかしいよ。
不登校 は悪いことじゃない。
その時期をどこでどう過ごすか次第で視界は一気に広がっていく。だから。気にしすぎなくてもいいと思う。
淡々とレールの上を歩く人より、どうせなら自分を突き通す。人間くさい人に私はなりたいなぁ。