彼の理解力、ブログでもたまに書くように、スナフキンの性格や能力などに対してはかなり高い。

たぶん、彼自身もそうだから。



スナフキンのLDは英語を書く場合にはあまり特性が出てこない。

字を書くスピードも日本語よりも早くかける。 

ローマ字なので、漢字みたいにはらいや点の数を気にしなくていいからだろう。

ADD(AD-HD)もあまり気にされない。 

集中力が途切れるなんて、こっちはそんな子がたくさんいるから。

それに先生たちも生徒が退屈しないように工夫してくれているから。


例のいつもの彼。

彼は字を書くのがスナフキンよりも遅い。 

だからよく先生が先に板書を消しちゃうので友人のノートを写しているのをよく見る。

そして字が他の人より少し大きい。

それに、じっとしていられない。 

椅子に何度も座りなおしたり、 

後ろを向いてずっと友達と話したり、

先生の注意がたまに耳に入っていなかったり。

気が抜けると授業に集中できてない。

それにイベントなどの時の流れは事前にきちんと把握しておきたい。

先生を選ぶというとおかしいが、 やはり気の合う先生だとどうしても気が緩みやすくなる。

例えば、物理の授業。 物理の先生はかなり怖い。

だからみんな私語をしない。 彼もしない。 

だけど、数学のクラス。先生は優しく、基本皆私語をしている。

数学の時間で、彼がきちんと先生の話を聞いているのを見たのはほぼない。



たまに、彼も自分と同じじゃないかと思う。

彼の場合はADDではなくADHDだと思うが。

LDの方は読みの方は平気らしいので、スナフキンと同じ書字障害の方。

まぁ、スナフキンはプロじゃないからよくわかんないけど。 たまにそんな気がする。


でも、別にだからといって気にすることはない。


だって何も支障はない。

すべて「個性」であり、「キャラクター」だから。

助けが必要なら助けを頼めばいい。

困っているなら助ければいい。


逆に互に互いの特性や性格を理解している分助け合いやすい。


彼がスナフキンの英語を正してくれるように、

スナフキンが彼に休みの間のことを連絡するように、

彼がスナフキンの不安を察してスケジュールを教えてくれたり、助けを提案してくれるように、

スナフキンが彼に助けを頼むように。


ただそれだけ。

何も難しいことではない。


「give and take」の関係である。


相手が助けてくれる。

すると嬉しくて次は自分もしてあげようと思う。

で、相手はまた助けてくれる。


息を吐いたら吸う。

それと一緒。


合わない人とはとことん合わない。

だからタイミングや感じ方が一緒の人だと楽。


誰だって個性なんてあるのだ。

障害は手足と一緒である。


むかし、小学生でおませなスナフキンは母にこういった。


「お母さん、 プロポーズってさ、いろんな言葉があるでしょ?

「結婚してください」

「一生大切にします」

「君の味噌汁が毎日飲みたい」

「暖かい家庭を一緒に築いてくれませんか」

「残りの人生を僕お一緒に歩んでください。」

色々あるけどさ、どれもスナフキンが欲しい言葉じゃない。

どれも理想を語られてるだけに感じて安心できない。


スナフキンは障害があって、普通の人と少し違う。

スナフキンのお母さんたちはスナフキンが障害児だとわかったうえできちんと生んでくれて、

大変なのにいっぱい周りの人を説得してくれたり助けてくれる。

でも、障害者って聞くと嫌な顔をする人もいるし、子供からはなれる人もいる。


スナフキンは他の人とちょっと違うから。


障碍はスナフキンにとって生まれてからずっと一緒のまるで腕や足のような外せないもの。

直そうと思っても直せない。 体の一部だから。


だからね、スナフキンは将来の旦那さんになる人にはこういってほしいの。


「障害なんて気にしない。だってそれが君だろう? 

誰だって苦手なことや得意なことはある。僕だって苦手なことはあるよ。

生まれたときから障害なんて手足と同じだよ。 それは君の一部なんだ。 

君の全てひっくるめて好きなんだ。僕は君だから好きになったのであって、君のパーツをとろうとは思わないよ。すべてが今の君を作り上げているのだから。」


母は「そんな長いセリフ相手が思いつくかわかんないわよ。でも、そう思ってくれている人と出会えるといいわね。」と微笑んでいた。



ま、おませな子どもだったのよ。

スナフキン。