自分をひとりぼっちだと思っているのは、案外、自分だけだったりして。
ひとりぼっちだと思って、殻に閉じこもっていても、そこから出てくるのを待ってくれてる人が、意外といたりするものだ。鳥かごの鍵は、いつだって開いてる。そこから飛び出すもそこに留まるも、結局は自分が決めること。
外の世界だって、悪いことばかりではなかったりする。
ひとりぼっちだと思って、殻に閉じこもっていても、そこから出てくるのを待ってくれてる人が、意外といたりするものだ。鳥かごの鍵は、いつだって開いてる。そこから飛び出すもそこに留まるも、結局は自分が決めること。
外の世界だって、悪いことばかりではなかったりする。
ご近所さんたちとの衝突をくり返し、頑固で偏屈で不機嫌で笑顔のないオーヴェ。彼だって、昔からこんなだったワケじゃない。愛する妻ソーニャを亡くし、片意地をはって周囲とぶつかることでしか自分を保って来れなかったけれど、彼が本当にそれを望んでいた、ってワケではない。ソーニャがいなくなって絶望して寂しくて何度も死んでしまおうとしたけれど… 彼は、ひとりぼっちじゃなかった。
自らの手で壁を築き、嫌われ者になっていくオーヴェの前に、突如現れたパルヴァネとその一家。まさに人は、出逢うべく時に出逢うべく人と出逢うようになっているのだと実感… 陽気で自由で奔放なパルヴァネは、ある日オーヴェの鳥かごに、突っ込んできた(笑)
彼女のことだから、きっと扉を開けっ放しにしたまま出て行ったんだろうな… ぎゅっと固く絡まってしまったオーヴェのココロの糸が、パルヴァネのおかげでだんだんと解かれていく。父親のことや、ソーニャのこと、愛のためにこれまでオーヴェが戦ってきたこと… 歳をかさねてきた分だけ彼が見てきたことを、パルヴァネは優しく耳をかたむけて聞いてくれる。
彼女のことだから、きっと扉を開けっ放しにしたまま出て行ったんだろうな… ぎゅっと固く絡まってしまったオーヴェのココロの糸が、パルヴァネのおかげでだんだんと解かれていく。父親のことや、ソーニャのこと、愛のためにこれまでオーヴェが戦ってきたこと… 歳をかさねてきた分だけ彼が見てきたことを、パルヴァネは優しく耳をかたむけて聞いてくれる。
オーヴェとソーニャの、愛の物語… これが、あまりに美しくて涙がこぼれる。
たとえ、自分が失っても人には与えられるような、そんなソーニャの生き方はワタシの理想。そしてそれを解り尊重し、そのすべてを包み込むような大きな愛をそそぐことができるオーヴェとの奇跡のような出逢い。本当に、2人が愛し合っていたことが伝わってくるから、その分、幸せ半ばで彼らを襲う不運には胸がしめつけられるような思いだった。
たとえ、自分が失っても人には与えられるような、そんなソーニャの生き方はワタシの理想。そしてそれを解り尊重し、そのすべてを包み込むような大きな愛をそそぐことができるオーヴェとの奇跡のような出逢い。本当に、2人が愛し合っていたことが伝わってくるから、その分、幸せ半ばで彼らを襲う不運には胸がしめつけられるような思いだった。
しかめっ面の意固地なオーヴェだけど、その姿には、くすくす笑いが止まらない。映画のなかでは、そんな姿も可笑しくって愛おしくあるけれど、やっぱり人とふれ合ってこそ生まれる喜怒哀楽を味わえる人生がいいな。
愛することの喜びも悲しみもを知っている彼の、笑顔やココロの奥底にある暖かさは、ちゃんとまた蘇った。オーヴェは、ひとりぼっちなんかじゃない。
弱き者たちが苦悩のどん底にいるというのに、なぜ神は沈黙のままなのか。
どれだけ祈りをささげたところで救われることはない。
信じる神のために闇に隠れ拷問されて生命を落とすのなら、神を信じるのは何のためなのか。
正しい答えは、どこにもない。
くり返される残虐な拷問で生命を落としていく信者を前に、いくら祈っても神の沈黙は果てなくつづく…信仰をつらぬくべきなのか、信者の生命を守るために信仰を捨てるべきなのか…。
それは宣教師としての心もが揺らいでしまうほど。
生きるためにキリストの絵像を何度も踏んだキチジローも、生命尽きる最後の瞬間まで聖歌を歌いつづけたモキチも、結局は棄教したロドリゴもそれを拒んで殉教したガルぺも皆、その信仰心に嘘はなかったはず。
けれど…信じて、祈って、生命をささげたとしても、パライソなんてきっと、ただの、まぼろし。
そして神は依然として、沈黙の、まま。
けれど…信じて、祈って、生命をささげたとしても、パライソなんてきっと、ただの、まぼろし。
そして神は依然として、沈黙の、まま。
宣教師もまた、沈黙を選び神への祈りの言葉を心の内に閉ざした。
けれど、許しを乞いながら信仰心はより深まっていたのではないだろうかと、ワタシは思う。
心の中だけは自由であり、心の中こそが、神の宿る場所だから。
信仰って、なんなんだろう。
神って、なんなんだろう。
正しいことって、なんなんだろう。
心の中だけは自由であり、心の中こそが、神の宿る場所だから。
信仰って、なんなんだろう。
神って、なんなんだろう。
正しいことって、なんなんだろう。
キリスト教徒ではないワタシにも、ずし~んとくる。
原作の小説はかなり前に読んでいるけれど、馴染みある長崎に、こんなにも暗くて辛い歴史があるのだということを、ワタシも改めて胸に留めておくようにしたい。
この映画を好きかどうかと聞かれたら、正直ワタシは好きにはなれなかった…。
ワタシはトランスジェンダーへの偏見は全くないつもりだし、憧れのコペンハーゲンの街は美しいし、注目されていた主演2人の演技も文句なしに素晴らしいと思うのだけれど…この居心地の悪さはなんなんだろう。
女性目線で観てしまうせいか、どうしても自分をゲルダ寄りに置き換えてしまう。
女性目線で観てしまうせいか、どうしても自分をゲルダ寄りに置き換えてしまう。
もしも、愛して結婚したはずの夫が、身も心も「女」になっていったら…ワタシはどこまで彼を理解し、受け入れ、そして愛し続けていけるんだろう。
夫と妻だけでなく、男と女をも超えて、友達ともまた違って…人を人として包みこむゲルダのようなココロの広さは、誰もが持っているものではないと思う。
ゲルダは素晴らしい。けれど、彼女のあり方は違和感だらけだ。
そして、ゲルダに気持ちがありながら、自分を抑え続ける友人のハンスの寛大さもまた、違和感だらけ。
夫と妻だけでなく、男と女をも超えて、友達ともまた違って…人を人として包みこむゲルダのようなココロの広さは、誰もが持っているものではないと思う。
ゲルダは素晴らしい。けれど、彼女のあり方は違和感だらけだ。
そして、ゲルダに気持ちがありながら、自分を抑え続ける友人のハンスの寛大さもまた、違和感だらけ。
外見なんて、ただの箱。
愛した人が、男だろうが女だろうが、それはどちらでも良いとワタシは思うけれど…愛を貫くというのは、相手が誰であれ、なかなか難しい。











