









ゴールデンウィークに合わせて
実家へ帰省中だった12年前…
祖父が亡くなりました
長く入院していましたが
じじばばっ子だったワタシにとって
祖父の弱り果てた姿を見るのは
本当に辛いものでした
生きてはいるけれど…
もう二度と
歩くことも食べることもできない
気道を確保するために
不自然なほどに首を反って…
鼻からも腕からも
点滴のチューブがのびたまま
どこか遠くを…
見つめ続けていた祖父
あの日は雨が降っていて
少し肌寒い日でした
朝から祖父を見舞い
仕事の都合で先に福岡へ戻る夫を
駅まで見送りました
一人になり
また病室にもどり祖父の横で
死を待つだけの時間について
考えました
不謹慎にも…
このまま死なせてあげたい…
と思いました
チューブにつながれて生き延びることに
どれだけの意味があるのかな…と
祖父だって苦しいだろうに
祖父だって苦しいだろうに
雨の中
とぼとぼ歩いて家へ帰りつくと
祖父が息を引き取ったと
病院から連絡を受けた母が
あわただしく
出かける準備をしていました
「私…今まで病室にいたのに…」
死なせてあげたい…と
私が一瞬でも考えたから
もしかして…
私がチューブを抜いたのでは
私が祖父を死なせた?
それから何年もの間
命日が近づくたびに
あの病室での時間を思い出しては
考えていたのです
ひとり残された祖母は
祖父がいつも座っていた場所を
必ずあけて
となりでご飯を食べていました
その祖母も
やがて亡くなりましたが
何も分からなくなった
祖母の病室に毎日つき添い
ずっと話しかけていた母の姿を見て
さいごの点滴は…
生き延びるためのものではなく
残される私たちに
これまでの思い出を
ふり返る時間を与えるためだったんだと
ようやく
思えるようになりました









