これまで太平洋側にある宮城県仙台市や多賀城市には、出張だったりプライベートだったりで、訪れた事がありましたが、新潟県の長岡市に天然ガス施設の設置工事で出張した事で、俄然、日本海側の仕事にも弾みがつきます。それ以前では、福井県敦賀市にある、敦賀原子力発電所の管理区域外の仕事に従事した事がありましたが、福井県以北の仕事には、新潟県長岡市の仕事があるまで縁がありませんでした。

 

新潟県長岡市の次に出張したのは、山形県酒田市にある発電所でした。広島市の事業所から酒田市の現地には、社有車で2回往復しましたが、その際、決まって、宿泊経験のある長岡市のインターネットホテルに一泊したものでした。それでも、長岡市までの往路は、それなりの距離がありましたが、逆に翌日の酒田市までの距離は、それほどでも無く、そのバランスの悪い行程に、上司に呆れられたものでした。

 

特に復路では、朝に酒田市を出発しても昼過ぎには、長岡市に到着してしまうので、2往復目では、酒田市の現地で午前中に仕事をしてから、午後に移動する様に調整して、上司の追及から逃れていました。酒田市の現地では、2往復目の最終日に客先筋との打ち上げで、養老の滝で飲み会をしましたが、鳥海山に蓄えられた地下水と、その眼下に広がる水田で、育てられた米による日本酒の旨さに感嘆したものでした。

 

東北地方は案外近いと言う、心象と言いますか、イメージを持った私の、次の仕事は、福島県の相馬市にある火力発電所での仕事でした。いつもは、夜勤での業務が多かった中、この時の仕事では、昼間の仕事だったお陰で、割と普通の生活パターンで過ごす事が出来ました。その仕事は、旧財閥系企業の子会社の同業他社に、応援と言う契約で従事する形態だった事から、私の会社の全国各地の事業所からも応援が来ていました。

 

旧財閥系企業の子会社の人は、陣頭指揮であったり、客先筋との報連相に当たり、実作業を受け持つのは、主に私の会社の人間と言う体制であったので、私と同じ会社の、他の事業所からの応援者が多数いた事で、久し振りに会う人も多く、同窓会の様相も呈していました。私は、出張工事課所属でしたから、全国各地にある事業所に、応援要員として赴任する事も多かったので、その場の全員と既知の間柄でした。

 

現地での仕事は、旧財閥系企業の子会社の社員も含めて、全員が気心が知れた仲であったお陰で、実にチームワークの取れた現場となりました。仕事も順調に推移していた事から、私を含めた応援者全員も現場から旅館に戻ってからの、アフター6だったり、休日を思い思いに過ごしていました。そんな応援メンバーの中に、山口県徳山市の事業所から参加していたKさんが居ました。Kさんとは、所属部署が近く、特に既知の間柄でした。

 

そのKさんの趣味は釣りでした。赴任の当日には、逸早く、旅館に2台しかなかった、共用自転車を借りる許可を得ていて、休日には、ひたすら海を目指して自転車を漕いで通っていました。しかし、一度も釣って帰った事はありませんでした。釣った後で、リリースしている可能性もありましたが、Kさんは、魚を食べるのも大好きで、近くのスーパーで魚を買っては、三枚に下ろしてもらっている事を知っていたので、その可能性は消しました。

 

ある日、Kさんに、「一体、何を狙ってるんですか?」と質問してみました。すると、意外な答えが返って来たのでした。そのKさんの答えは、「鮭を狙っている」と言うものでした。聞いたところによると、鮭が海を回遊している時には、釣っても罪に問われないが、河口から産卵の為に、川に入り込んだ鮭を釣ると罪になるとの話で、その河口に入るまでの鮭を、狙っているとの話でした。しかし、そこにはある問題が潜んでいました。

 

河口付近の実績のある場所には、地元の釣り天狗グループが、ガッチリと陣取っていて、産卵の為に、遡上する鮭を待ち伏せして、釣り上げているとのこと。そんな理由で、河口以外で釣ろうと試みてはいるものの、毎回、カスリもしないで終わっているとの事でした。それでも、Kさんは楽しいと言っていました。その話を聞いてから、生きた鮭を、見た事が無かった私は、俄然、回遊する鮭を見たくなりました。

 

とは言え、旅館にあったもう1台の自転車は、既に、次の休日も予約が決まっていたので、Kさんと休日に、一緒に海に行く事は無理だな。と考えていると、自転車の対応をしてくれた従業員の方から、ある有力情報が舞い込んだのでした。それは、「鮭を釣る目的で無いのであれば、その辺りの川で、幾らでも見る事が可能ですよ!」と言うものでしたが、騙されたと思いながら、旅館の近くの川に見に行く事にしました。

 

川の端からは、川の法面があり、よく見えなかったので、少し歩いて、橋の上から、改めて覗き込んだところ、一見、でかい黒い鯉と見間違うくらいの鮭が、割と深そうな場所に、ウヨウヨと泳いでるではありませんか。俄然、嬉しくなった私は、もっと川の上流に行けば、ワンチャン鮭の遡上を見る事が出来るのでは?と考えて、川に沿って更に上流に歩いて行くと、浅い砂地エリアの手前で泳いでいる鮭を見つけました。

 

私はギャラリーをすべく、土手の法面に腰掛け、鮭が浅瀬を遡上する様子を動画に撮ろうと、ガラケーを構えて待っていましたが、一向に鮭が浅瀬に来る気配がありませんでした。あまりに変化が無いので諦め気分になり、しかも、辺りが暗くなり始めた事もあり、腰を上げて法面から土手に上がりかけた瞬間、狙いすませた様に、バシャバシャと浅瀬を遡上する鮭がいたのでした。それは、私の行動を知っていた様な動きでした。

 

その後、辺りが完全に暗くなってからも、定期的に、川の方からは、バシャバシャと鮭が遡上する水音が聞こえていた事から、完全に、鮭は私の行動を注視していたと言う、確信めいた感情が芽生えたものでした。私が構えていた浅瀬は、鮭にとっては過酷とも言える場所でしたが、それでも無理して遡上する事から、最終地点に到着する頃には、身体の表面は傷だらけなんだろうな。と考えたら、自然の摂理は尊くも厳しいものだと知りました。

 

私は、2006年〜2009年に掛けて、「アスキー・アート作りの趣味」がありました。アスキーとは、1963年にアメリカ規格協会(ANSI)が定めた、情報交換用の文字コードの体系で、1967年に国際標準化機構(ISO)で定められた、情報交換用符号の国際規格「ISO 646」とほぼ同じものです。7ビットで表現され、128種類のローマ字、数字、記号、制御コードで構成されています。つまり、パソコンで使用する文字で作成された文字絵ってことですね。アップ画像でも判る通り、左端の記号や数字の順番で、絵が構成されてるということです。記号にも正規の順番があり「!!!」とか「###」etc.....色々、使用されています。

アスキー・アートは大別して、ふたつの種類が存在してまして、それは、黒背景に白文字と言うパターンと、白背景に黒文字というパターンです。黒背景とはDOS画面のような背景を指し、白背景はその逆ですね。私が作成したAAは、1作品を除いて全て黒背景です。2チャンネルでは、猫をモチーフにした「モナー」が有名ですが、私のアスキーは立体的である事を主に、特徴的な表情をリアルに表現することに主眼を置いて作成していました。

 

現在では、作り方も失念してしまい、新たに作る事も、その意欲も既にありませんが、当時に作成したAAのキャプチャー画像を所持してるので、また、ボチボチとアップして行きたいと思っています。初回は、「ドラマ JIN - 仁 - の登場人物もどき」です。解ってもらえるか不安ですね。笑