35年振りにハワイに渡航した2017年6月に続いて、2017年8月には、学生時代に四国一周ツーリングをきっかけに入会し、社会人になったタイミングで退会(更新しなかった)した「ユース・ホステル」の会員に、35年振りに再入会しました。その動機としては、仙台に住む次男夫婦に、待望の第一子が誕生した事から、そのお祝いで仙台に行くタイミングに、可能であれば、近隣の観光地もプチ旅行しようと言うものでした。その際、学生時代には行く事が出来なかった、東北地方のユース・ホステルに宿泊する事も考えて再入会した経緯でした。

 

それに、35年の時を経て、ユース・ホステルの会員になったのは、とある事情も絡んでいました。と言うのは、私は、2010年8月から某SNSでユース・ホステルのコミュニティを運営していて、その参加者さんの中には、今でも現役ホステラーとして、今や凋落の一途を辿るユース・ホステルを応援する気持ちで、宿泊を重ねておられる方が在籍されているのですが、その参加者さんに対して、学生時代だけの経験だけで、再入会すらしてない管理人ってどうなん?と言うジレンマを感じていたからでした。

 

宮城県仙台市には、それまで、東北石油内(現エネオス仙台製油所)にあった、仙台事業所への応援出張で複数回、訪れた事がありました。そのいずれの出張も、最低でも1ヶ月間に及ぶ出張期間でしたが、その間、特に観光する事もなく、宿泊先の多賀城市にあった会社の寮と、仙台事業所を往復する毎日でした。最初に仙台に出張した時は、確か1996年(平成8年)だったと記憶しています。それは、当時、テレビで流れていた、アトランタオリンピックの映像が焼き付いているからですね。

 

休日になると、たまに、同僚と仙台市に遊びに行くと言いますか、物見遊山で訪れる程度でしたが、何度目かの出張では、グローバルバイキングの1号店が仙台に進出した時に、焼肉をガッツリ食べる目的で行った事がありました。後から仙台事業所所属の同僚に聞いた話では、元々、仙台には、焼肉食べ放題と言う概念は存在して無かったそうで、そう言う意味合いでも、グローバルバイキングの出店は、注目を浴びているとの事でした。

 

次男は某企業の東北事業所(仙台市)に転勤した際、仙台生まれ仙台育ちの東北事業所所属だった女性と縁あって、2016年3月に結婚しましたが、その結婚式は仙台で行われたのですが、それに先立って、次男夫婦には直接的には関係の無い、ある出来事がありました。当時、私の実母は病院のベッドにいました。病状としては深刻で、厚木に住む長女(姉)も名古屋に住む次女(姉)も、帰って来ていて、広島に住む私達夫婦と弟も、病院に詰めていました。

 

そんな中、直近に迫った私の次男の結婚式の日程が、覆い被さって来ていました。しかも、病院に詰めていた全員が結婚式の招待客でした。実母の意識は既にありませんでしたが、私達は、そのベッドの側で、次男の結婚式の対応の相談をしたのでした。それにより、私の弟が結婚式を欠席して実母を看取り、その他の全員は結婚式に参列する為に移動。実母が逝ったら葬儀屋のクーラーボックスで遺体を一時保管して貰い、結婚式が終了次第、全員が帰って来て葬儀を執り行うと言うものでした。

 

段取りが決まってからは、各自が準備の為に一旦、帰宅する事にします。姉2人は新幹線で帰り、私達夫婦も自宅に向かいました。看取る予定の弟も一旦、自宅に帰りました。そんな時、弟から一報が舞い込んで来たのでした。弟は、病院から割と近くに住んでいたので、緊急連絡先として、自分の電話番号を提供していました。その病院からの一報は、実母の急逝を報せるものでした。それから、全員に報せが行き、再び病院に戻る事になりました。

 

姉達は、既に福山市に到達していました。その後、再び、全員が病院に集い、実母の病床で結婚式の対応を協議した際、実母の意識は既に無いと考えていた私達でしたが、実母は私達の話を聴いていて、そんな状況に忖度して、誰にも死に目に立ち会わせずに、逝ってしまったのだろうと、話し合ったものでした。それから、バタバタで葬儀(家族葬)が執り行われ、葬儀が終わってからは、全員が、仙台の結婚式に向けての準備の為に帰宅して行きました。

 

実母の遺骨は、私の自宅に保管して、私達夫婦も翌日(結婚式の前日)には、仙台入りする事が出来ました。おめでたい式ゆえに、実母の急逝の件は箝口令を敷いて結婚式に臨み、無事に招待客全員で次男の結婚を祝福する事が出来ました。その翌日は、姉夫婦や弟が帰宅する中、結婚式の日程が決まってから予定していた、仙台周辺の観光に向けて、長男家族と共に、「日本三景の松島」に出掛けました。その時に、昼間から飲んだ生ビールの味は忘れられない味になりました。

 

日本三景の松島では、松島センチュリーホテルに宿泊して、定番とも言える「松島島巡り観光船」に乗ったり、「円通院」では、数珠づくり体験をして、オリジナルの数珠を作ったりしました。一方で東日本大震災の時に、海水が到達したレベルを刻む表示を見つけ、震災の記憶が呼び起こされたのでした。そんな中、タクシーに忘れ物をすると言う失敗を犯す輩がいました。戻って来たので事なきを得ましたが、懸案が一気に解決して開放的になっていたのでしょうね。

 

松島センチュリーホテルです。

 

 

福浦橋です。(翌朝の朝食前に行きました)

 

 

松島 島巡り観光船です。

 

 

円通院です。

 

 

円通院の数珠つくりです。