以下の文章は、公序良俗に抵触するかも知れない、内容を含んでいる可能性がありますので、御留意頂いた上で、読まれる事をお願い致します。以下は、小学4年生から中学2年生までは苛烈とも言える青春時代を送り、高校時代は、ほぼ男子校(クラスによっては女子が少数在籍)だった事で、少林寺拳法をメインに据えての毎日で、割と硬派として過ごして来た輩の恥ずかしいエピソード集です。^^;

 

今回は3部作でお送りします。笑

 

「思春期の思い出」から・・・。

 

小学校の帰り道にあった、文房具店の片隅に、雑誌のコーナーがありました。そこに置いてあった週刊プ〇〇ボーイの過激な表紙に、子供心がザワついた記憶があります。しかし、所詮は小学生でしたから、本を手に取る事も、中身を確認する事も出来ませんでした。その後、中学生になった頃、友人の間で、輸入雑誌のプ〇〇ボーイの、「墨を消す」と言う作業が、流行った時期がありました。私も友人と一緒になってシンナーであったり、マーガリンであったりと色々と試したものでしたが、悉く、失敗に終わりました。笑

 

中学3年生の頃には、あるカルチャーショックを受ける出来事に遭遇します。それは、街外れの街路樹の根元に落ちていた、〇〇雑誌との出会いでした。その雑誌は、その後、一世を風靡したビニール本以前の、下世話な三流雑誌でしたが、雨に晒されていたらしく、多くのページが開けない、ページが引っ付いた様な状態で、表紙は変色しており、変な匂いもしていました。しかし、それを拾ってまで見たいと言う、男の欲求を駆り立てる写真と見出しの文言があったのでした。私は人目を憚りながら、速攻で服の下に潜り込ませ、足早にその場を後にしました。

 

そして、公園のトイレに駆け込んだのでした。改めて、その三流雑誌を見てみると、多くのページは開く事が出来ませんでしたが、開けたページには、官能的な写真や記事、広告に躍るガラナチョコレートと言う、意味不明な文字に、暫し、心を奪われたものでした。そんな雑誌の存在を知ってしまった私は、俄然、欲求が増して来る事になります。欲求が頂点に達したある日、サングラスにマスクと言う、如何にもと言う格好で、古本屋を訪れて、恥ずかしいからと吟味もせずに、片っ端から三流雑誌を買い求めました。それが出来たのは、価格がいずれも30円以内だったからでした。

 

あまりに多くの古本だった事もあり、古本屋に段ボール箱を貰って、密かに自宅に持ち帰ったものの、たちまち、隠し場所に困る事になります。色々と探して見たものの、結局は、押入れの天井をノコギリで切って、箱ごと内部に隠したのでした。しかし、所詮は詰めの甘い輩のこと。2歳下の弟にも、気前よく古本を振る舞っていた事で、結局は、古本の隠し場所を両親が知る事になるのですが、古本は、こっ酷く怒られて捨てられた事は言うまでもありませんが、2歳下の弟にも見せていたと言う事実の方が、余計に怒られたのでした。

 

続いて「恐怖体験」のエピソードです。

 

大学生になって、親元を離れ自由を満喫しつつあった頃の話です。男ですから、やはり18禁の世界に憧れるものです。高校時代には、古本屋でエ◯本を密かに買っていた私でしたが、一人暮らしを経験した事で、先ずは「P映画館デビュー」を果たそうと思い立ちました。そして、いかにもと言う看板に引かれて入ったのが、京都の新京極通りを少し入った辺りにあった「京都八千代会館」でした。

 

その映画館は、正真正銘のP映画館でしたが、最初は、夕方の闇に紛れて、入館する事考えたものの、翌日も講義があったので、夜のスケジュールがキツくなると考えて、逆に、平日の人の少ない時間帯の方が調整し易いのでは?と考え直しました。京都八千代会館のチケット売場では、ワザと眉間に皺を寄せて変顔を作り、ドキドキしながら、勇気を振り絞ってチケットを購入しました。

 

急いで入館すると、わざわざ人の少ない2階席の最前列のど真ん中に着席しました。その時点で、周囲を見渡すと、人もまばらで、皆、一定の距離を置いて座っていました。やがて、放映開始時間が来て、映画が始まりました。主演は確か、橘雪子と言う女優だったと思います。当時のP映画は、今ほどには過激では無かったものの、初体験の輩には充分な刺激でした。

 

そんな時、最初は気づかなかったのですが、背後に、何かしらの異様な雰囲気を感じて来ます。それは、周囲の状況が刻々と変化してる様な、何とも言えない違和感でした。私は、映画を一生懸命に観る振りをしながら、チラッチラッと背後に注意を払っていると、その違和感の正体が判明したのでした。それは、かなり後方にいたと思っていた客が、徐々に近付いて来ていたのでした。

 

それも、列を一列づつ変えては、席の端に座るの繰り返しで、明らかにヤバイ挙動でした。私には、最早、映画を観る余裕は無くなっていました。これは、単に前で観たいからなのか?だとしたら最初から前にいるよな。だったら何?とか、色んな考えが浮かんでいました。そんな時、迂闊にもP映画がクライマックスを迎えた事で免疫の無かった輩の素がでてしまったのでした。

 

迫って来ていた後方の客は、それをチャンスと捉えたのでしょう。それまでは、少しずつだった距離を一気に詰めていたのでした。強烈な違和感を感じた私は、恐る恐る後方を確認すると、直ぐ後ろの列の端に座って、こちらを見てニヤニヤ笑っていたのです。その客は、赤ら顔のおっさんでしたが、私はびっくり仰天して、その場から一目散に逃げ出しました。

 

おっさんに何の意図があったのか、知る由もありませんが、とにかく、めちゃくちゃ、気持ち悪い出来事でした。満を持してのP映画デビューで、運悪く遭遇した不測の事態に、それ以降は、すっかり、行く気を失いましたね。そんな「気持ち悪い繋がり」では、更に、こんな事もありました。出町柳から下鴨神社に抜ける橋の右手にあった公衆トイレでの出来事です。時間は昼過ぎでした。

 

かなり緊急だった事もあり、大慌てで小用トイレに入ったのですが、そのトイレは、昔のタイプの横長の石造りのトイレで、仕切りの無いタイプでした。先客が、既に用を足していたのですが、いつまでたっても、外に出ないのが気配で判りました。私がチラッと横を向いたところ、おっさんが自分の◯◯◯を摘んで振りながら、こちらを向いてニヤニヤしていました。

 

私は、映画館の時と違って、その時からは、月日も経っていたので、ポーカー・フェイスで、その場をやり過しましたが、終日、嫌な気分は消えませんでした。世の中には、本当に変◯が多いなと感じた出来事でした。ちなみに、当時の私は、痩せた色白の青年でしたが、奴等からすれば、そんなタイプに見えたのでしょうか?当時も今も、まったく、その気は無いのですが。笑

 

最後に「友人H君」

 

大学進学前の春休みに、下宿先探しは、実母に丸投げして、ひたすら、広島市南区出島の鉄工所で鉄筋の仕分けのバイトに勤しんでいました。そのバイトで、ガッツリと稼いだ私でしたが、とある出来事で散財する事になるのでした。高校時代の友人にH君と言う人がいました。H君と私は、学部は違いましたが、同じ大学に進学しました。とは言え、高校時代には親しかった訳ではなく、むしろ、進学先が一緒になった事でH君から認知されたくらいの関係性でした。

 

大学に入学してから、慌ただしく過ごしていた私でしたが、特にH君とは連絡を取り合う事もありませんでしたが、オリエンテーションの時に、一度だけ学内で会った時、H君が応援部に入ったことを教えて貰った事がありました。その時は、お前は何部に入るのか聴かれて、高校時代に街の道場(道院)に通っていた少林寺拳法部に入ろうと思ってると答えたものでした。少林寺拳法は、ブルース・リーが流行る前に入門した294期生でした。

 

最初の夏休みは、広島に帰省する事にしました。自宅でマッタリ過ごしていると、H君から電話があり、夏休みで帰省してるなら、一緒に飲もう!と言われたのでした。当時は、まだ未成年でしたが、飲む事には全く問題はありませんでした。と言うのは、中学生の頃から、小学生の弟を巻き込んで、親に内緒で酒盛りしたり、高校生の時にも、時々、就寝前に、父親の日本酒を、冷やで飲んだりする不良だったので、H君の誘いに二つ返事で答えたのでした。

 

広島市中区の繁華街である「流川」の入口で、待合せした私達でしたが、H君は、居酒屋に行くのでは無く、何故か、まだ時間が早いとか言いながら、スト〇〇プ劇場のロキシー座に行こう!と言い出したのでした。スト〇〇プ劇場は未体験でしたが、私もその場のノリに突き動かされて、直ぐに快諾して、行く事にしたのでした。H君は、慣れてる雰囲気で、舞台の真ん前に陣取りましたが、流石に、それは遠慮して離れたところから、初体験のスト〇〇プ劇場を楽しんだのでした。

 

ロキシー座から出た私達でしたが、次こそは居酒屋かな?と思いきや、H君はまたしても、慣れた感じで、とある店のドアを押して入店したのでした。その店は、キャ〇〇ーでした。薄暗い店内で、H君は従業員に耳打ちしていました。席に通された私達の直ぐ後から、女の子が2人付いて来たかと思うと、H君と私の隣りに座りました。H君は私に「〇〇も、好きに過ごせや!」と言うと、私の目の前で好き勝手を始めたのでした。

 

キャ〇〇ー初体験の私は、好きに過ごせや!と言われても、どうする事も出来ず、伊藤蘭似の隣りの女の子と他愛もない話で、終始する事しか出来ませんでした。しかも、隣りに座った女の子も、私を見切っていたのか、客あしらいが上手で、満を持して、好き勝手な方向に進めようとしても、巧みにはぐらかされて、何も進展が無いままに、ましてや、酔う事もなく、その夜は、お金だけ消費した夜になりました。

 

その後が、思い出す事も憚れる様な、愚の骨頂でした。その翌日の事でした。前日に経験したスト〇〇プ劇場はともかくとして、キャ〇〇ーに関しては、その時の私には、何か残るものがあったのでしょう。愚かにも同じ店を訪れて、前日の女の子を指名して、特に進展も無いままに、長時間に渡り、店に居座り、折角、蓄財していたバイト料も散財する結末となりました。若気の至りと言えばそれまでですが、高い勉強代になった事は確かですね。