学生時代の話です。先ずは、前提としては、私は瀬戸内海育ちの癖に、あろう事か、魚が大の苦手です。母親は逆に、「お前は猫か!」と言うくらいの魚好きでした。但し、調理の方法によっては食べる事が可能と言う、所謂、「ワガママ魚嫌い」なんですね。その流れで言うと、「刺身」に関しては、サーモン以外は何でも食べますし、「煮魚」でも、解し易い魚であれば、何とか食べる事が出来ますが、とても汚い食べ方になります。サーモンは何故か好きになれません。多分、単なる食べず嫌いだと思います。

 

母親によると、幼少期には食べていたそうでしたが、何故、嫌いになったのかを深く考えた時、保育所時代に、幼馴染の女の子が、魚の骨が喉に刺さった時に、自分の手を喉に突っ込んで取っていたのを見た時に、行き着くので、何かしらのトラウマになったと考えています。それから、広島と言えば「穴子」が有名なんですが、実は、それも食べられません。更に言うなら長い生き物も好きではありません。例えば、蛇とかですね。初孫のお食い初めを、宮島の対岸にある料亭で開いた時にも、穴子料理メインで困った事がありました。

 

ある日、下宿の奥さんの紹介で、大学生になって、初めてバイトをする事になりました。バイト先は、京福電車の終点「鞍馬駅」の近くにあった洗濯屋さんでしたが、その洗濯屋さんの主な仕事は、そうめん流しで有名な、貴船の料亭(川床料理)に納める、浴衣のプレス作業が、その大半でした。洗濯屋さんは、ご夫婦と子供さん(女の子)の3人暮らしでした。時給は、多くはありませんでしたが、その代わりに、下宿学生には、特に嬉しい「賄い」が付いていました。バイトの時間によっては、一日2食になる事もあって、本当に助かりました。

 

一日2食になる様な長時間のバイトは、あまり無かったので、昼ご飯に何を食べたかは、あまり記憶に残っていませんが、夕食で食べた「あの日」のメニューだけは、今でもハッキリと覚えています。ある日、こんな事がありました。夕食の時の事です。食卓には、丼物と赤味噌の味噌汁と漬物が並んでました。丼の蓋を開けると、ご飯の上には、何やら茶色の物体が載っていたのでした。その物体の裏側を箸でめくってみると、魚のウロコのような雰囲気を感じたのでした。実は、それは、洗濯屋さんが奮発して出してくれた「鰻の蒲焼=鰻丼」だったのですが、私にとっては初物でした。

 

私は、その時はまだ「穴子料理または穴子の蒲焼」も見た事が、ありませんでしたが、鰻の蒲焼の裏側の焼けた部分を見た事で、「これは、魚に違いない!」と感違いしたのでした。そんな先入観では、到底、「鰻の蒲焼=鰻丼」が、喉を通る訳もなく、それでも、自分なりに頑張ってみたものの、最後には、不謹慎にも吐き出してしまったのでした。その場は、一気に気まずい雰囲気が流れます。奥さんの表情も険しく感じます。そんな時、優しいご主人が「なんか、〇〇君の口には、合わんかったようやね。」とフォローしてくれたのでした。

 

その後、奥さんが、鰻の蒲焼(鰻丼)を片付けようとしましたが、その場を平謝りした私が、懸命に残りの鰻丼を平らげたので、その場は、何とか事なきを得たのでした。後になって考えた事は、繁盛しているとは言い難い、洗濯屋の奥さんが、バイト風情の私の為に、奮発して「鰻の蒲焼=鰻丼」を出してくれたであろう事は想像出来ました。その好意に対して、取り返しのつかない事を、仕出かすところでした。その後のバイト期間中に、蒲焼がメニューに上ることはなかったですが、本当に失礼な事をしたなって思いがありました。

 

その後、その洗濯屋さんは廃業されて、どこかに引っ越されたのですが、その洗濯屋さんのあった場所(今は駐車場です)を見るたびに、そんな思い出に心を馳せるのでした。

 

 

左側は鞍馬寺の仁王門方向です。(ストリートビュー)

 

 

右側に回ります。(ストリートビュー)

 

 

正面は花背峠方向です。(ストリートビュー)

 

 

この駐車場に洗濯屋さんがありました。(ストリートビュー)