またまた、話を年末に戻します。川湯温泉は全員の共通認識として、「必ず入るべき温泉」と言う確固ある地位にありましたが、その野趣溢れる川湯温泉にプラスして、割と近隣にあった日本最古の温泉である「湯の峰温泉」にも、足繁く通ったものでした。湯の峰温泉は、歴代天皇も入湯したと言われている有名な温泉でしたが、僅か1〜2名の入湯しか出来ない「つぼ湯」が、その有名な温泉でした。しかし、湯の峰温泉には、その源泉を利用して、建屋の中にも温泉が作られていました。

 

建屋の中の湯の峰温泉は無料ではありませんでしたが、それでも好んで利用したものでした。形式は個人の家にある風呂の様な場所でしたが、時には身体を洗う事も出来たので便利な場所でもありました。時々、近隣のスーパーで買い求めた生卵を使って、湯の峰温泉の直近にある源泉井戸で、温泉卵を作っては、車の中で皆で食べたりもしました。但し、日本最古の温泉のつぼ湯にだけは入りませんでした。それには、ある理由も関係していました。つぼ湯は、狭いので一度に入れる人に制限があった為、常に待ってる客がいたので、面倒臭かった事が、その最たる理由でもありました。

 

湯の峰温泉は温泉水を汲みに来ている車も多く、業務用のポリタンクを、大量に持ち込む人までいました。そんな風に、休日を使っていた観光や温泉三昧をしていた私達でしたが、仕事場では温泉に来たのか、仕事をしに来たのか分からないな!と揶揄われたものでした。そうこうするうちに、年末がやって来ました。同僚が全員、マツダのボンゴに同乗して広島に帰任する中、私は京都の義母が12月30日から、長島スパーランドに招待してくれるというので、私だけ、仕事仲間とは別行動となりました。

 

同僚は、12月29日から帰任する予定となり、その際には社有車のリベロを1台残してくれたので、12月29日に同僚を見送った後、かねてより、計画していた川湯温泉三昧に向けて、ひとり、旅館を出発したのでした。プラン的には、ゆっくりと川湯三昧した翌日に長島温泉に行けば良いと考えていたので、かなりの余裕を感じていました。しかし、実はそこに、ある重大な勘違いをしていたのです。尾鷲駅から駅を名古屋よりに2駅移動したところに、紀伊長島温泉という駅がありました。私は、その長島温泉が、義母が招待してくれた長島スパーランドと、盛大に感違いしていたのでした。

 

つまり、私は、尾鷲駅の近隣にある長島温泉なら、簡単に行けるとたかを括っていたのでした。翌日の昼に、旅館に戻ってきた私は、駐車場に社有車の三菱リベロを駐車して、女将さんに車の鍵を預けて、年末の挨拶を済ませました。そして、尾鷲駅までタクシーで向かい、駅から電車に乗って、予定通りに紀伊長島温泉に降り立ち、駅の周辺をウロウロと徘徊して、長島スパーランド行きのバス停をを探しまくったのでした。しかし、当然として見つかる訳もなく、結局、駅員さんに聞くことにします。すると、一頻り、大笑いされた後で、「お客さんが言う長島温泉は、ここから特急で2時間先にある桑名の長島温泉ですよ」と言われたのでした。

 

そこからは、焦って、特急を乗り継いで、やっとの思いで辿り着きましたが、ステーキバイキングの夕食の時間に、少し食い込んだ程度で、到着出来たので胸を撫で下ろしたのでした。(これ以降は、前出の内容と被りますが)長島スパーランドのホテルオリーブで1泊して、その後は義弟の車に同乗して、年末年始を京都で過ごしていた私は、本来であれば、主張先に持ち込む事は御法度であったところ、京都の義弟に3年落ちのハイエースのEFI 3,000ccディーゼルターボ車を譲り受けた事から、責任者のKさんの許可を得ずの、事後承諾的に、年明けは、ハイエースで尾鷲に再赴任することにしたのでした。

 

京都を出て、大阪市内から阪和道で和歌山方面に下っていくと、田辺市を過ぎた辺りで、標識に本宮方面の文字があるのを目にしました。そこで、ついでだからと、川湯温泉に入湯してから尾鷲に行く事を思い付きます。時折、雪が残る山道を通って川湯温泉に到着すると、河原の臨時駐車場には、日本製のキャンピング・カーや、外国製のモーターホームがズラリと並び、羨ましくも、年末年始を、川湯温泉で過ごした雰囲気を醸し出していました。圧巻と言う言葉がピタリと嵌る情景でしたね。

 

その後、尾鷲市の現地に再赴任してからの、私の川湯温泉詣は、激しいものになりました。同僚達は、週末には、変わらずの温泉巡りを敢行してましたが、私は単独で、週3回ペースで川湯温泉に通ってました。特に週末には、ハイエースをフルフラットにして、女将さんの許可を得て、旅館の自分の部屋から、マットレスを含んだ布団一式を持ち出して、車に積み込み、いつでも横になれる様に、キッチリと敷いた状態で、18時くらいから川湯温泉に向けて出発していました。そんな姿を見た旅館の女将さんからは、〇〇さんは、ほんまにユニークやね。こんな人、初めて見たわ!と大笑いされたものでした。

 

片道は、約2時間でしたから、20時に到着して3時間程入浴して、23時に閉門するので、それから、朝6時までは、ハイエースの中で仮眠を摂り、6時前に起床して、川湯温泉の開門と同時に入浴スタートしていました。その後は、昼過ぎまで入浴してから帰るというタイムスケジュールですね。川湯温泉では、身体を洗うと言う事は出来なかったので、時折、帰り道に、日本最古の温泉である湯の峰温泉の建屋の中の温泉や、瀞峡にある奥瀞温泉・奈良の下北山温泉で頭や身体を洗って帰る事もありました。

 

直接、旅館に帰る場合には、旅館の風呂で、しっかりと頭や身体を洗ったものでした。そんな至極の温泉三昧生活を2月の中旬まで続けた私でしたが、ハイエースで仮眠して、朝の6時から入湯する時には、決まって上流の取水エリアからスタートする事にしていました。その取水エリアで、岩を枕にして、大の字になって寝そべり、最初は、頭を温泉側に向けて寝そべり、上流側に足を投げ出すスタイルでしたが、暑くなると、上流側に頭を向けたりもしましたが、その時には、寒さに耐性の無い私は、直ぐに元のスタイルに戻したりしてました。その内には、朝陽が差し込んで来たりして、その情景を楽しんだりしたものでした。

 

そんな風に取水エリアで楽しんだ理由は、上流から来る水は、本当に冷たかったので、その温度差が特に気に入っていたからでした。川湯温泉では、いつも天気だった訳ではありませんでした。川湯温泉の真正面には、富士屋ホテルがありましたが、そこの客も川湯温泉が目当て宿泊していました。彼等は、通常は、浴衣を着用して入湯してましたが、雨の日には、ホテルから編笠風の帽子を借りて入湯していたのが、特に印象的でした。私は雨晒しでしたが、湯の中は暖かいので苦になる事はありませんでした。

 

2月中旬に後ろ髪を引かれながら、尾鷲の現地から帰任してからも、暫くは、ノスタルジックな気持ちに浸る思いもあり、富士屋ホテルの掲示板に書き込んで、富士屋ホテルのホームページ担当者の「仙人さん」とやり取りしていましたが、いつの間にか遠のいて行きました。義母による長島スパーランドへの招待は、それから数年間続きましたが、次の家族旅行の目的地となったのは、勝浦のホテル浦島でした。長島スパーランドの次に何処にするかの選定段階では、その都度、川湯温泉を推したものの、遊びのコンテンツ不足により、却下されてしまいました。今でも川湯温泉は、懐かしい記憶として残っていますね。