出張で三重県の尾鷲市に行った時の話の第二弾です。時期的には、尾鷲市の主張は1999年の10月頃から、2000年の2月頃でした。従って、家内の伯父さんに招待して貰った時期とも重なりますし、私の長男が、ホームページコンテストのジュニア部門でグランプリを取得した際、副賞で貰ったAdobeのWEBコレクションを、ヤフオクで未開封で売却した時期も、この時期に当たります。笑

 

尾鷲市の発電所の出張工事に従事していた私達は、休日になると、仲間全員で社有車の三菱リベロに同乗しては、日帰り可能な近隣の観光に出かけたものでした。ある日、那智の滝に行った帰りに、河原に湧く温泉を発見しました。その場所は、50mプールを衝立で囲んだ様なところでしたが、私達は、興味津々の体で、車から降りて、全員でぞろぞろと近くまで見学に行ったものでした。

 

衝立の中は、まだまだ明るい時間帯にも関わらず、正に裸天国でしたが、その光景を、服を纏った私達が、衝立越しに眺めていると言うシュールな状況でした。周囲を観察すると、道路側からは直通の人工橋で行けそうでしたが、チケット売場があるのも確認出来ず、どうしたら、入浴出来るのかが、さっぱり不明でした。その日は、その方法が分からないままに帰る事にして、夕食の時に、旅館の女将さんに聞いてみたのでした。

 

「今日、那智の滝に行った帰り道で、河原に温泉がある場所を見つけたのですが、あれって、どうやったら入浴できるんでしょう?」すると、女将さんが、「貴方達が到着した初日に、私が言ったでしょう!川湯温泉があるって!その温泉は、仙人風呂とも言われている、その温泉の事よ!あの温泉は無料の温泉だよ!」と教えてくれたのでした。そう言われて、旅館に着いたばかりの時に、聞いた事を思い出したのでした。

 

更に女将さんから、「その河原の温泉は、さっきも言ったけど、川湯温泉と言って4ヶ月限定(現在は3ヶ月になってる様です)の無料温泉で、熊野温泉郷の温泉組合の人が、川をブルドーザーを使って堰き止めて作る河原の温泉だよ」との追加情報まで齎らしてくれたのでした。それからは、週末の日帰り観光が、「温泉」を中心として組み立てた観光ドライブに変わり、先ずは、女将さんに教えて頂いた川湯温泉(仙人風呂)の入湯からスタートを切ったのでした。

 

川湯温泉に辿り着くまでに、観光で行ったスポットは、熊野古道から高野山参拝、伊勢神宮参拝、熊野三社参拝、那智の滝、等々でしたが、その後の、日帰り観光ドライブは、勝浦温泉の「ホテル浦島の日帰り入湯プラン」や、地図で調べた温泉を、ピックアップしておいて、その温泉から近い観光スポットを加えたプランで実行したりしていました。そんな中、名勝地である瀞峡にある奥瀞(おくとろ)温泉や、奈良の下北山村にある「きなりの湯」には、特に頻繁に通ったものでした。

 

きなりの湯は、割と尾鷲市に近かった事もあり、尾鷲市の発電所の工事関係者(出張者)も頻繁に利用していました。私達も、新しく増員されて来た時や、逆に帰任する時には、決まった「きなりの湯」で、歓迎会や送別会と銘打って、「温泉三昧プラスビール会」として、利用したものでした。しかし、年明けに私がハイエースを持ち込んだ事と、それらの会の時にも、私がハイエースを運転した事で、社有車の三菱リベロの運転手が不足する事にもなり、交換条件も消滅していたのでジャンケンで運転手を決めていましたね。

 

当時、勝浦温泉のホテル浦島がやっていた「ランチ付き温泉入り放題プラン」は、総勢5人にも関わらず、団体割引にしてもらった上に、通常であれば、専用の通船でアクセスするところ、トンネルを利用して、ホテルに直接アクセス出来た事が本当に良かったですね。不思議な事は、何年か経って、ホテル浦島に宿泊した時には、トンネルの有無ですら、無かった事になっていました。聞いたところによると、現在は、ホテルに資材を搬入する専用ルートになってるとの話でした。

 

奈良県下北山村の「きなりの湯」で、特に気に入ったのは、当時のサウナの温度が110度と半端なく高かったので、入ったら直ぐに汗が噴き出て、短時間のサウナで満足できるところでした。しかも、日帰り観光の往路は、決まって責任者のKさんが運転していましたが、入湯後は、全員が決まってビールを飲むので、復路の運転は、私が担当していました。そんな理不尽な要求に対して私が応じたのは、責任者のKさんが、ある交換条件を出してくれたからでした。

 

その交換条件とは、週末は日帰り観光で使用される社有車三菱リベロでしたが、就業後であれば、私が自由に使っても良いと言う話で、おまけに、ガソリン代も、経費扱いで良いと言うダブルの好条件を提示してくれたのでした。そのお陰で、川湯温泉に初めて入湯してから、すっかり川湯温泉信者になった私は、平日であっても、片道2時間掛けては、尾鷲市の旅館から、和歌山県田辺市の熊野本宮温泉郷の川湯温泉まで、通う事が可能となったのでした。

 

片道2時間と言っても、決して、安全運転で、ゆっくりと走った2時間ではありませんでした。特に葛折りの下りのコーナーでは、アグレッシブにパワースライドで攻めて、飛ばせる新宮市からの道では、目一杯の速度で走っての2時間でした。そうして、週に2〜3回の頻度で通っていた川湯温泉でしたが、中には、こんな事もありました。川湯温泉は、川を堰き止めて人工的に作った温泉でしたが、何もしないと源泉の湯温が70度近い事もあって、川湯温泉全体がチンチンの高温地獄になってしまうのでした。

 

その為、毎朝、温泉組合の人が、川湯温泉の湯温を調節する為に、上流にある取入れ口を開放して、冷たい川の水を引き込んで湯温を調節していました。どれだけ取り入れたら、適切な湯温になるのかは、温泉組合の方は熟知していたと思うのですが、それでもミスがある様で、そんな時に、入湯して遭遇した悲惨なエピソードを、述べたいと思います。まず、ひとつ目は、温泉組合の人が、寝坊したか何かの事情で、朝に川の水の取水調節を忘れて、その後も夜まで気付かなかったケースです。