三重県の尾鷲市の火力発電所に出張していた時の話です。家内と電話で話していた時、親戚の伯父さんも、尾鷲に仕事で来ているという話を聞きます。その時は、そうなんや。程度で終わったものでした。しかし、後日、家内が伯父さんに、旦那(私の事です)も尾鷲で仕事してると言う事を、話したことから話がややこしくなったのです。叔父さんの仕事は庭師でした。庭師の会社も経営していて、とある京都の有名なお寺の専属庭師として、名を馳せていました。天皇陛下にも拝謁したことのある地元の名士で、尾鷲にも全国的に著名なお寺(名前は伏せますが)の、お坊さんの為の研修センター(お寺)の新設に合わせて、庭を作るために来ていました。

 

伯父さんとは、家内の実家で会った事もありましたが、とにかく豪快な人と言うイメージでした。下鴨の高級住宅街に住まいを構え、春夏秋冬と言わず、その時々の旬の逸品を、家内の実家に届けてくれる人で、そのお溢れに預かる事も多々ありました。自動車電話が、世に出回った時、逸早く、自分のクラウンに取り入れた事は、記憶として残っています。その伯父さんが、折角、尾鷲に来ているのなら、姪の旦那と食事でもしようと言ってると、家内から聞かされました。私だけじゃなく、出張仲間も一緒で構わないからと言う話でした。私としては個人的な事と、会社をリンクさせたくなかった思いもあり、即座に断ったのですが、「折角、伯父さんが言ってくれているのに!そんな事言う?」と怒りモードで言われてしまいました。


私は、仕方なく「一応、責任者に言ってみるよ」と、その場を収めたものの、気持ち的には断る気満々でした。その後、責任者のKさんに事情を話し、「個人的な事情を持ち込んですいません!断りを入れるので、大丈夫ですから!」と言ったところ、責任者のKさんは、「それは良い話ですね!ついでに忘年会も兼ねましょうか!」と大乗り気で、一気に具体化してしまったのでした。私は、渋々、家内に責任者が了承してくれた事を話し、それを聞いた家内も安心した様子で、「そやろ!Kさんの反応が普通やで!伯父さんとの連絡はしたるさかい、安心しとき!」と、言われたのでした。家内と伯父さんの調整により、伯父さんとの会食の予定が決まった当日、夕方に尾鷲駅で待ち合わせる事になりました。但し、迎えは、一緒に仕事をしてる部下を行かせるからとの話でした。


約束した時間より少し前に、尾鷲駅に到着した私達でしたが、車に乗ったままで待っていると、それらしい人が、軽トラに乗ってやって来たのでした。軽トラから降りて来たBさんは、運転席のKさんに「〇〇さんですか?」と尋ねたので、助手席に座っていた私が、「はい!」と答えました。全員で、軽く挨拶を交わした後、Bさんの先導で後を着いて行く事になりました。そうして到着した場所は、建立中のお寺と言う話でしたが、既にお寺の方は完成してる雰囲気で、庭には、建設機械が無造作に置かれていました。お寺の奥から、笑顔の伯父さんが現れて全員で挨拶をしました。板間の本堂に通されて、車座になって、先ずはビールで乾杯しました。すると、奥から、テレビでも見たことのある有名なロンパリの住職と、外国人の僧侶も合流したのでした。


外国人の僧侶は、アメリカのカリフォルニア生まれの、56歳の人でしたが、流暢な日本語を話すフレンドリーな方でした。郷里に娘さんを残して出家したと言う話でした。娘さんの写真も見せて頂いたものでした。何本目かのビールとおつまみで過ごした後、「ご馳走するって、まさかコレ?」と思い始めた頃、伯父さんから「さあ、行こか~!」と大号令が掛かったのでした。宴会の窓口の私と、伯父さんの部下は、当然として運転手の役割でした。車座でビールを飲む際にも、ジュースで乾杯しました。ご馳走したいと言う話があった時から、こうなる事は想定していたので、当日も、自ら、運転を買って出ました。外国人の僧侶とロンパリの住職とは、お寺でお別れして、伯父さんと部下が乗る軽トラが先導して、私達の車が後を追うカタチで、尾鷲駅方面に移動したのでした。


その後、伯父さん達が乗る軽トラが尾鷲駅の近隣にあった、小さな小料理屋の駐車場に車を入れたので、私達もそれに追随して駐車場に入れて車から降りました。伯父さんに促されるままに、小料理屋の中に入ります。小料理屋は、調理場の前にカウンター席があり、カウンター席の右隣りには、小上がりの畳席が一席ある小じんまりとした店内でした。店内には女将さんと板前さんがいました。伯父さんはカウンター席に座り、早くもビールを注文します。私達は女将さんから、小上がりの畳席に誘導されました。他に客は居らず、書き入れ時にも関わらず、変だな?と思い始めた時、伯父さんから、今晩は貸し切った事を聞かされたのでした。伯父さんが部下のBさんに目配せすると、Bさんが、奥の冷蔵庫から発砲スチロールの箱を持って来ました。伯父さんは発泡スチロールの蓋を開けて、中を見せてくれました。


箱の中には、贈答用の高価な伊勢エビや、魚介類。霜降りの牛肉のステーキとかが、所狭しと入っていました。伯父さんは、その食材の入った発泡スチロールを板前さんに渡します。私達もビールやコーラを注文して、お寺に続いて2度目の乾杯となりました。板前さんから、最初に届けられたのは、鮑の刺身でした。私達が、美味い!美味い!と舌鼓を打つ姿を和かに見つめる伯父さんがいました。すると、徐に店の扉が開き、先ほどお別れした、ロンパリの住職と外国人の僧侶も合流しての大宴会になりました、次々と運ばれて来る、魚介類に酒も進みます。(Bさんと私以外です。笑)霜降りの牛肉も、結構、量があったのですが、飢えたハイエナ軍団の前には、一溜りもありません。霜降り牛肉だけが、直ぐに無くなったしまったのでした。


その時、後輩のD君が伯父さんに、「この店の牛肉で良いので、追加で頼んでもいいですか?」と、厚かましくもお願いしたのです。叔父さんは「ここのメニューで良かったら、どんどん、注文したらええで!」と太っ腹で言ってくれたので、D君が喜び勇んで、注文しようとしたところ、板前さんが、「うちの牛肉を注文するのは、止めたほうがいいですよ!」と言ったのです。板前さんは続けて「贈答品と比べたら、その味にガッカリしますよ!」と言ってくれたものの、肉好きのD君には届かず、それでも良いから!と注文を強行したのでした。しかし、D君は、運ばれて来た牛肉のステーキを一口食べた後、不謹慎にも吐き出してしまい、みんなの大顰蹙を浴びたのでした。


その肉は、切り分けて皆んなで食べましたが、吐き出す程のものか?と、再び、D君は顰蹙を買ったのでした。この時の楽しかった思い出は、家内の実家で、伯父さんに会う度に、思い出話に浸ったものでしたが、その伯父さんも、今はこの世にいません。あの豪放磊落な伯父さんを思い出す度に、何故か笑顔になるのですね。

 

 

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