学生時代に、一般道で東京にいる友達のところに遊びに行った事がありました。特別、一般道に拘った訳ではなく、単に貧乏旅行で資金に余裕がなかっただけの事でした。その日は、とても天気が良く、軽快にエルシノアMT250を走らせていました。静岡県に入り、順調に走行してた私は、突然、左胸に強烈な痛みを感じたのです。夏だった事もあり、上半身には、Tシャツ1枚だった私は、瞬間的に悟りました。「この痛みは蜂に違いない!きっと、蜂の群れの中に突っ込んでしまったんだ!」と考えました。それと言うのは、下宿先で、蜂に刺された経験があったからでしたが、その痛みは独特だったので、瞬間的に悟る事が出来たのでした。

 

しかし、走行中であったので、とにかく、止めなければいけないと、焦って転倒気味に停車しました。左胸の患部付近を、Tシャツの上から強く掴みながら、辺りを見回しました。しかし、その場所には、広大な野原が広がるだけと言う状況に軽く落胆します。仕方ないので、野原の中央に進み、中腰になり、Gパンを下ろしました。パンツの中から、天然のアンモニア製造機を取り出して、右手に向けて天然アンモニア水を放出しました。続いて、左手でTシャツを捲って夢中で患部に押し当てたのです。患部を注意深く見ると、刺された部位は左乳首の乳輪でした。掴んだからと言っても、当然、痛みが取れる訳もなく、ひたすら掴んだものでした。

 

改めて、辺りを見回したところ、木立に隠れる様に立つ、民家らしき屋根が少し見えるではありませんか。嬉しくなった私は、そこに向って走り出していました。ドアの前まで到着し、勢いよくドアを開けたところ、そこは家族全員で靴を製造してる工場でした。私は息絶え絶えに「す、すいません!蜂に刺されました・・・」と訴えました。すると、親切なお母さんが、近付いて来て「それは大変でしたね」と、娘さんに目で合図を送り、娘さんが、工場の奥から救急箱を持って来てくれたのでした。その後、患部を消毒してくれて、脱脂綿を正規?のアンモニア水に浸し、患部に絆創膏で貼ってくれました。しかし、これが後に最悪の結果になる事になったのでした。

 

と言うのは、本来、アンモニアの処方は、患部に塗布した後は、自然乾燥させるものらしく、脱脂綿に浸した状態で、長時間貼りっぱなしにするなんて事は、やってはならない事だったのでした。そんな事は露知らずの私は、胸の違和感を感じながら、ひたすら東京の友人宅を目指しました。しかし、不幸な事は重なるもので、首都高を走行中に、後輪がパンクしてしまったのでした。仕方ないので、荷物を満載したまま、バイクを押して近くのインターから下道に降りました。そして、歩道橋近くにあった交番に駆け込み、首都高でパンクしてしまった事を告げて、明日、必ず取りに伺いますので、交番前にバイクを置かせて下さいとお願いしたのでした。

 

交番にいた警察官も私に同情してくれて、預かってくれると言うか、交番前に置く事を許してくれたのでした。オマケに日勤の警察官にも、この事を引き継いでくれる話になりました。パンクしたバイクの件に目処が付いて、電話ボックスから、当時、高円寺に住んでいた友人に、迎えに来て欲しいとお願いしたのでした。その後、迎えに来てくれた友人と共に、夜遅くに、友人宅に到着しました。当時、友人は彼女と同棲してましたが、友人の彼女とは、友人が広島の高校に通っていた頃からの付き合いだったので、私にとっては、身内も同然の間柄であったので、友人宅は私にとっては気の置けないプライベート空間でもありました。この友人宅にはウサギがいました。広島時代にも飼っていたものの、同じウサギかどうかは分かりませんでした。

 

私は、到着後、直ぐにTシャツを捲って患部を確認する事にしました。脱脂綿を取り除いて患部を観察すると、乳首の直近に、アンモニア水の所為と思われる酷い潰瘍が出来ていて、乳首が取れてしまいそうな状況に愕然とします。その場は、とにかく、自然治癒力に望みを掛けて、自然乾燥する事にして、上半身は裸で過ごす事にしました。友人は、私に「腹は空いてないか?」と聞いて来ましたが、その時は、睡魔の方が優っていたので、寝ようと言う事になり、私はベッドの下に横たわったかと思うと、直ぐに爆睡した様でした。しかし、夜中になって、突然、目が覚めてしまいます。友人も起きて、私を見て「〇〇!左側がヤバイ状況になっとるで!それ、見てみぃや!」と言ったのでした。私も確認してみると、左胸から左腕上腕部にまで毒が回り込んで真っ赤になっていました。

 

それを見たからではありませんが、その後は、体温が上昇して左胸もジンジンして来る事になります。友人は、その状態をみかねて2人の愛の巣でもあるベッドを私に譲ってくれました。徐々に高熱も出てきた私は、朝まで眠れない辛い時間を過ごす事になります。友人が起床する頃には、腫れが左手の指先にまで広がっていました。しかし、熱っぽいからと、交番に置いて来たバイクを放置する事も出来ず、友人に改めて行き方を尋ねて、友人宅を出発したのでした。交番に到着して、丁重に御礼を言って、近くのバイク屋を紹介して貰いました。バイク屋でパンクを直していると、店主から、「お宅のバイクのタイヤは、そろそろ限界だね。次にパンクしたら交換になると思うよ」と言われてしまいました。

 

バイクで友人宅に帰ると、熱があるのにバイクを取りに行って、早く寝たいだろうからと、友人と彼女は、気を利かせて外出すると言う話になりました。友人達が外出してからは、私とウサギだけになりました。ウサギは檻には入れず、放し飼いでしたが、そのウサギが、寝ている私の腹の上に乗って来るので、その都度、目が覚めてしまうのでした。それは、決まってウサギが爪を立てるからで、痛みの為に起きる羽目になったのでした。夕方に帰って来た友人に聞くと、ウサギは、とても臆病な動物で、自分達も抱えて腿の上に乗せようとすると決まって、爪を立てるとの話をして来ました。ウサギはかわいい動物ではありましたが、ただでさえ、触ると痛い左上半身でしたから、友人にお願いして、外出時には檻に入れて貰う事にしましたね。

 

左上半身の腫れの方は、交番に行って悪化したのか、その翌日になっても相変わらずの状態だったので、遂には病院に行く事にします。しかし、完全に腫れが引くまでには、更に一週間を要し、友人宅で寝たきり生活を送る羽目になったのでした。今回の旅行では、友人と酒を酌み交わす事も叶わず、一緒に遊びに行く事も叶わずで、蜂に刺されに来た様なもんだったな。と、友人と笑い合ったものでした。ちなみに蜂に刺された時の痛みを表現するなら、私は以下の言葉で説明する事にしています。それは、「焼け火箸をいきなり押しつけられる様な、強烈な我慢できない痛み」ですね。言葉で表すなら、いきなり胸に焼け火箸を押し付けられて、ジュワっと皮膚が溶ける感覚とも言えました。とにかく、酷い目に遭った2週間弱の日々でした。

 

帰り道では、散々、雨に打たれ続け、極め付けは、愛知県岡崎市に入ったところで、路側帯の金属を踏んで、パンクしてしまいました。その頃には、蜂に刺された事で、日数も含めて、余分な出費が重なって、資金も枯渇気味になっていました。そこで、その後、何年にも渡り言われ続ける事になる、御法度の方法を選んでしまったのでした。それは、実母の妹が愛知県に住んでる事を思い出した私は、お金を借りる事を思いついたのでした。早速、叔母さんに電話したところ、借りる事は了承して貰ったものの、私がいる岡崎市までは、かなりの距離があるらしく、「かなり時間が掛かるけど、それでも良い?」と言われたものの、私が「何時間でも待ちます!」と言った事で、「じゃあ、待っててね」と言って電話が切れました。

 

叔母さんとしては、雨の中、自宅から、かなり離れた場所にある岡崎市には、本当は来たくなかったと思うのですが、私が「何時間でも待つ」と言った事から、遂には、諦めて来てくれた事は、実母(叔母さんにとっては姉)に会う度に、その事を持ち出された事から分かりましたが、法事とか墓参りとかで一緒になった時には、直接、思い出話の様に、「そんな事があったね」と言われ続けたものでした。とは言え、あの時、借りたお金でパンク修理も出来て、その日に宿泊した「愛知青年会館ユース・ホステル」では、マンションの様な雰囲気に嫌気がさして、各部屋に呼び掛けて、大人数の「大貧民大会」を催したりした事は、楽しい記憶として今でも生きていますね。

 

出発前に近くのスーパーで撮りました。

(マフラー側に熱対策を施した2代目振分BAG使用)