大学生になって、その後、開眼した「餃子の王将」にも行った事が無かった頃のエピソードです。京都市左京区でも、割と交通の便が悪い地域に下宿していた私は、それまでは、実家暮らしゆえに、自炊が出来るわけもなく、当然ですが、近くの飲食店のお世話になってました。昼間は学食で食べる事が多かった私は、夜は、近隣の飲食店で食べる事が多かったですね。下宿生活直後は、近くの喫茶店で洋食を食べる事が多かった私でしたが、ある日、通学途中に京都バスから見た、赤い暖簾の「信楽飯店」という文字に目が留まり、こんな所に店があったんだと思いました。

 

と言うのは、信楽飯店は、下宿先と同じ地域にありましたが、バス停からも遠く、当時は、周辺の地理も把握してなかったので、気付く事はありませんでした。ただ、喫茶店が休みの時には、バス停近くの食料品店で、何か買って帰る時が多かったのですが、その場所から、然程離れてない場所にあったのでした。しかし、その存在感は希薄で、食料品店から信楽飯店を見ると、当然として、暖簾の方向が横向きになるので、余計に気付かなかったのでした。しかも、中華料理に免疫が無かった私は、昼間に店内を見ると、店内が暗く感じてしまい、余計にハードルを引き上げていました。

 

しかし、ある日、思い切って「信楽飯店」のドアを開けたのでした。すると、「いらっしゃい!」と、優しげな声と共に、ブルース・リーカットの御主人がいました。椅子に座った私に、「何にしましょ?」と聞いて来たので、メニューにあった「ジンギスカン定食」を注文したのでした。他に客が居なかった事もあり、直ぐに料理が運ばれてきました。どんな味だろう?と一口食べた瞬間、めちゃくちゃ、ど嵌まりした私がいました。旨辛醤油ベースに、小さくカットされた羊肉と野菜が絡み合って、素晴らしいハーモニーを奏でていました。私はすっかり、その味の虜になっていました。

 

その日を境に、その店のメニューを次から次に試すようになります。しかし、何を注文しても、私の予想の遥か上を行く美味しさに、いつしか、午前中の講義だけの場合には、学食はパスして信楽飯店で食べる様にも変化していました。そのメニューの中でも「焼そば」は汁気のある塩焼そばで、特に気に入った品になりました。足繁く、信楽飯店に通う内に、いつしか、プライベートな話題も話すようになって行きました。それによると、御主人は、2人兄弟で、お兄さんも京都市左京区高野の消防署の近くで、同じ「信楽飯店」の屋号で、中華料理店をやってる事などを教えてもらったものでした。

 

大学2回生になる頃には、京都市内の地理にも詳しくなり、その後は、餃子の王将も知ったりで、信楽飯店にも、毎日は行けなくなってきたのですが、それでも、大学卒業後も何度か足を運んだものでした。そして、ある時、店を訪れると「信楽飯店」が、無くなっていたのでした。正に、えっ??という状態でした。私は、京都市左京区高野の消防署近くに居ると言う、お兄さんの事を思い出し、その店を訪ねました。先ずは、興味本位で、ジンギスカン定食(同じメニューがありました)を注文し、まずは味くらべをしてみる事にしました。結果としては、味は似てるものの、弟さんの味の方が、自分に合ってる気がしたのでした。

 

お店が、暇になったタイミングで、思い切って、お兄さんに尋ねてみる事にします。先ずは、自分は、学生時代から弟さんの店に通っていたこと。大学卒業後も、京都に来るたびに、信楽飯店には通っていた事を話し、そんなある日、楽しみにしながらお店に行くと、いつの間にか、店が無くなっていたこと等々の話をしました。すると、お兄さんから、弟さんが転居した理由を話してくれたのでした。それによると、商圏内に学生が少なくなった事で、主に学生相手にしていた商売が行き詰まった事で、起死回生を掛けて、知人の紹介で大阪の羽曳野に引っ越したという話でした。

 

それから十数年が経過したある日、大阪の堺に出張していた時の事です。休日に、突然思い立ち、羽曳野に行くことにしたのでした。情報は、以前お兄さんが言ってた羽曳野に引っ越した事と、屋号も恐らく「信楽飯店」だろうという2つだけでした。電話帳を繰っては、車で探すの繰り返しで、既に夕方になってましたが、そうして、やっと信楽飯店を見つけたのでした。先ずは、見覚えのある奥さんが、店舗裏で洗濯を干すところを見て確信を得ました。そして、近くのスーパーに行き、大型のタッパーウエアを2個購入して店の駐車場に戻り、店の扉を開けたのでした。

 

「いらっしゃい!」と、聞き覚えのある声と共に、見覚えのある顔がこちらを向いています。私は、苦労して見つけた嬉しさをこらえながら、静かに「お久し振りです!」と言うと、ご主人は、意味が分からず、キョトンとした顔でこちらを見ています。「昔、京都で学生してた時によく寄らせて貰ってました。実は、ここも、高野のお兄さんに聞いて来たんですよ」と言うと、御主人も、漸く理解してくれて、少し、私の事を思い出してくれた様でした。私を思い出してくれた、思い出エピソードとしては、「塩焼きそばを5人前注文して食べていた大食漢の学生」でした。笑

 

色々と話をしていくうちに、羽曳野市と言う場所は、ジンギスカン定食は、受け容れてくれなかったそうで、メニューからは消えていました。土地柄的には、ジンギスカンよりも圧倒的に牛肉と言う話で、生き残る為には、牛肉主体のメニューに再構築するしか無かったとの話でした。そんな中、今でもメニューで残ってるのは「塩焼そば」しかないとの話をお聞きしたのでした。そこで、持参したタッパーを御主人に手渡して、「すいませんが、2つのタッパーが一杯になる様に、塩焼きそばを注文したいのですが、宜しいですか?」と、お願いしたのでした。すると、御主人は驚きながらも快諾してくれました。

 

御主人は、塩焼きそばを調理しては、タッパーに収める作業を黙々とこなし、タッパーは満杯になりました。御礼を述べて店を後にした私は、寮に戻って、同僚と一緒に食べようと考えていましたが、不在だったので、やむなく冷蔵庫に保管して帰りを待ったのでした。すると冷蔵庫の設定が狂っていたのか、冷蔵庫の中が冷えすぎて、冷凍庫状態になってしまっていた様で、同僚が帰って来て、皆で食べようと冷蔵庫から取り出した塩焼そばは、水分が表に出てしまい、「そばと汁」状態になってしまいました。それでも同僚はうまい!うまい!と言いながら食べてくれたのでほっとしました。今でも、その信楽飯店が健在かどうかは判りませんが、あるのなら再度、訪問したいと思っています。

 

以下の写真はイメージです。