以下は、1984年(昭和59年)に、アジア三ヵ国を、会社の研修旅行で巡った後、帰国後に研修報告として書いた文章の一部です。ちなみに、この文章は、社内報にも掲載されましたが、大した文章でも無いのに、上司や同僚から賛辞を送られて恥ずかしかった記憶があります。

 

以下は、その報告書の一部です。

 

香港を思うとき、私は「慕情」の作者、ハン・スーインが表現した「借りものの場所、借りものの時間」(Borrowed place, borrowed time)を思い出す。香港は英国直轄植民地であり、ここに住む何人にも土地の所有権は無い。つまり、全員が間借り生活であり、1997年までの租借地なのである。その香港は、現在、相次ぐ値上げラッシュに喘いでいる。それは、大英帝国が、残り少ない時間内に、できるだけ多くに税金を搾り取ろうとしているからである。

 

香港をイメージする時、「森羅万象」「変幻自在」「摩訶不思議」な世界を思い浮かべる。点滅しないネオンやクリスマス後の通りの派手なシャンデリアしかり、露店を華やかに賑わす本物を装った世界の一流品、車優先の道路、それに街全体を包み込む独特な匂いも忘れられない。私は友人と自由時間に夜の街を歩いてみた。雑踏の中に入って行くと、私も以前から香港の住人であったような錯覚に陥る。それは、往来を行き来する人々に同じ東洋人の持つ雰囲気を感じたり、派手なネオンや看板に漢字が目立つからであろうか。

 

以前、マニラに旅した時のことだが、買い物はまず値切ることから始まるとガイドから言われ、その通りに実行してみると、笑顔で気持ちよく値切りの交渉に応じてくれたことがある。はたして、香港もそうであったが、買い物をする時に値切るのは一種の礼儀であり、儀式ですらあるらしい。しかし、こちらが気前よく外貨をばらまく日本人だとわかると、なかなかまけず、何とか言い値で買わそうとするので、両手でいらないふりをして立ち去ろうとすると、ディスカウントの合図。後から聞いた話だが、香港で値切れないものは料理と交通費くらいらしい。

 

香港と同じように、中国本土視察も忘れられない思い出である。中国は四人組失脚のあと「四つの近代化」の旗印のもと、現在目まぐるしく変わりつつある。8億の人口を抱える巨大な国「中国」の全体が一度に様変わりするという事はあり得ないが、私達が見学した中山県は、中国政府が四つの近代化を推し進める上での最重要モデル都市として期待をかけ、海外資本と協力して、第二の香港的な都市づくりを進めている。その意味で中国は香港という土地を欲しがっているのであり、いずれはマカオ経由なしで香港との直通のフェリーを開通させようとしている。

 

その中山県、現在の日本と比べると雲泥の差がある。日本の平均的生活水準が、現地の国家元首クラスの生活水準に匹敵するのではないかと思えるほど立ち後れている。反面、自由市場の活気を見るにつけ、日本人が遠く忘れていた何かがそこにある様な、そんな気持ちになる一日だった。私は友人と近くの露店で「人民帽」を土産に買ったが、私達が買い物をしていると、同じ研修団のメンバーが「何を買っているのか」といった調子で集まってきて、たちまち人だかりができてしまった。そんな日本人の野次馬的性質が異国で露見したような気がして、自由市場の異常なほどの活気と比較して滑稽な気がしたのであった。

 

報告書は以上です。

 

香港では、今は亡き「唄子・啓助」の、啓助氏のツアーとルートが被った事がありました。そのツアーの名前は「啓助先生と訪れる香港旅行」だったと思います。ツアーの人からは、「先生!先生!」と、ヨイショされて、終始、御満悦の同氏がいました。香港では、多少、大袈裟にはなりますが、タイガーバームの匂いが街中に溢れている様な、ある種の匂いが立ち込めていたと言う記憶ですね。街中では、高層マンションから竹の棒が一様に突き出ていて、洗濯物が干されていました。

 

中国の中山県では、私達が乗っていたバスと自転車が接触した際、バスの運転手が直ぐに降りて、相手の自転車を、何らや罵倒して、凄い剣幕で指図していました。後から聞くと、運転手は高級な職業で、プライドの塊の人が多いと言う話でした。中山県では、孫文の出身学校(種別は覚えてません)を見学しましたが、その時に利用したトイレには閉口しました。壁が腰の高さしか無くて、座ってもお互いに視認可能な状況でした。当時は、まだまだ未開の中国大陸でした。

 

中山県の自由市場は、多くの店が青空天井の露店で、肉屋の前を通った時には、沢山の肉をぶら下げていて、目の前のまな板でカットしては、計り売りしていました。市場の人達は一様に粗末な服装で、スーツ姿の私達を奇異の目で見ていましたが、品物に関心を示す行動を取ると、満面の笑みで、身振り手振りで、これはどうだ?これはどうだ?と勧めて来ました。それを見て、自由市場では、売れた収益は全て自分に還って来るから一生懸命なんだと思ったものでした。香港土産は、息子には中国服一式。家内と義母には翡翠の指輪を買いました。

 

以下は香港の景色です。

 

 

啓助ツアーと同じルートでした。

 

 

水上レストランでパーティー

 

 

 

 

 

 

 

マカオの聖ポール天主堂跡です。

(マカオではカジノにも行きました。)

 

 

ここから中国です。(多分、税関だったと思います)

 

 

大道芸人(猿回し)を見物しました。

 

 

歓迎セレモニーです。

 

 

爆竹で歓迎してくれました。

 

 

以下は、多分、孫文の関連施設だった気がします。

 

 

 

 

以下は、自由市場の様子です。