1987年に開局して、29FMに居場所を見つけてからは、日替わりで移動運用を繰り返していた私でしたが、瀬戸大橋が開通した1988年には、それまで住んでいた大阪箕面市から香川県高松市に転勤する事になります。丁度、坂出側と岡山側の両会場に、瀬戸大橋の開通を記念して、アマチュア無線の記念局のブースが出来ていて、私も行ってQRVしてみたいと考えていましたが、転勤の手続き等で忙殺されて、悠長に記念局運用にの気分にはなれませんでした。

 

高松時代は、29FMに更に拍車が掛かります。距離もさる事ながら、時間的に、太平洋側(高知県方面)に行くには無理があると考えて、徳島県、香川県、愛媛県を主として移動運用を繰り返していました。極め付けは、平成元年に、末娘の出産で高松市の総合病院に入院した家内の間隙を縫う形で、幼い長男と次男を車に乗せて、愛媛県の石鎚山系の山に移動運用した事がありました。その時は、色々ありましたが、無事に帰宅出来たものの、隣の奥さんにリークされて散々な目に遭いました。

 

家内が退院して来た時、隣の奥さんが「お宅のご主人が早朝から深夜まで、子供を引き連れて、何処かに行ってた」と言った事で、家内と退院に合わせて来ていた義母から、追及を受けたものでしたね。特に叱責を受けたのは、幼い長男(当時6歳)と次男(当時3歳)を連れて行ったと言う点でしたが、子供の面倒を見ると言う理由で、会社に休みを貰っている身分としては、連れて行く他ありませんでした。それだけ、アマチュア無線に狂っていたのですね。^^;

 

その翌年の平成2年の事でした。私は、急に思い立って「大型2種免許」を取得しょうと決意します。その時に所持していた普通免許から、大型免許を飛び越えての挑戦でした。会社の同僚からは「バスの運転手にでもなる気なの?」「いきなりは無謀だから止めたほうが良いよ。」「取るなら順を追って取るのがセオリーだよ」というように、次から次に私の暴走を止めたものでした。とにかく、大型トラックの運転手に、転職すると言う気も意欲も無かった私のチャレンジは否定的に捉えられていたのでした。

 

しかし、私の頭の中には、単に最高峰の免許にチャレンジしたい!と言う物欲に支配されていただけだったので、家内の理解を得るには時間が掛かりましたが、その内にはオッケーを貰いました。次に、どうせ取るならと言う事で、大型2種免許の取得出来るまで、完全に請負う教習所の存在を電話帳の広告で知る事になります。アポを取って、訪れてみると、荒地に未舗装のコースらしきものがある、小汚い場所でしたが、取り敢えずは、古いバスが置いてあって、気が済むまで乗り込んで良いとの言葉で、この教習所に決めました。

 

教習所には、取れるまで帰らないと言う他府県からの受験生も在籍していましたが、自宅からの通いの私が羨ましそうでした。取り敢えず、取得までのシステムを聞くことにしたのですが、それによると、バスの基本練習は、この荒地のコースで自主トレはしても良いけれど、実際の教習は香川県の自動車試験場のコース上で実施しますとの話でした。つまり、自動車試験場のコースを使用料を試験場に支払って、実際のコースを試験で使用する実際のバスを使用しての練習だという話でした。しかも合格するまでは、追加料金無しで、完全に請負いますとの事でした。

 

講習料は完全請負制で、24万円との事でしたが、それが、高いか安いかは、どれくらいの期間で取得出来るかによるので、暫く逡巡した後、その教習所にお願いすることにして24万円支払ったのでした。しかし、私も自分なりに考えて、短期に取得できる方法を考えたものです。一番効果があったと思う方法は、試験場のバスを使用して、講師の模範運転の際、運転席の真後ろでビデオ・カメラを廻し続け、左右を確認する際にも、ビデオカメラを振って、常に運転者目線で捉える事に注力しての撮影を実施した事でしょうか?自宅に帰ってからは、テレビで動画を再生しながら運転イメージトレーニングを実施しました。

 

これは視覚効果が手伝って記憶の整理に役立ちましたね。次に項目別に、重要ポイントをビデオに記録して反復練習したことです。例えば縦列駐車の際のハンドルを切るタイミングとか、その時のポールの位置がどこら辺りにあればオッケーとかですね。そこまで出来る様になれば、あとは、講師の分析力に拠る世界が待っていました。当時、香川県の自動車試験場には、大型2種免許の試験コースは4パターンあり、バスも新しい新型バスと、教習所の荒地にある様な、古いバスの合計2台存在していたので、講師の読みで「今日は新バスの1コースだったから、次回は古バスの3コースだな」といった具合に予想するのでした。

 

私達生徒側にも、新しいバスが得意な人も、古いバスが得意な人もいる訳で、更には、得意なコースや不得意なコースも、当然として存在しているので、この講師による分析(山勘?)は、本当に重要なポイントでした。私は、それでも実技3回目で合格したのですが、1・2回とも、根本的には慣れていなかった新型バスで失敗したので、3回目は、慣れ親しんだ古バス狙いだったところ、それも講師の分析頼み一択でした。1・2回目の失敗は、共に縁石に接輪(マイナス20点)と、速度不良とかの些細なミスで即刻中止!でした。合格基準は、80点までなので、とても厳しいのですね。(普通免許は70点)

 

3回目には運よく古バスに当りました。当日、これは、関係あるかは分かりませんが、試験場には、ネクタイを締めたスーツ姿で臨み、試験管には、恐ろしい程に礼儀正しく接して、なんとか合格に至りましたが、それも、印象的には、紙一重ではありましたね。とにかく、大型2種免許は、バスの免許ですから、急発進して乗客に迷惑を掛けるのも、停止するにも、後部ドアの正面に擬似バス停の標識が来ないと、試験的には厳しかったりと、非常に気を遣うシーンが多々ありました。かと言って、乗客を気遣う想定で速度を緩めても減点対象と言う状況でした。

 

同時期、偶然にも同じ教習所に大型2種免許取得目的の3人の仲間がいました。その中の1人は現役の大型長距離トラック運転手でしたが、仕事で箱根を越える際、昼間にはノロノロ運転が出来ないので、夜間に箱根越えをしなければならず、その為に、飲めない酒を昼間に飲んで仮眠を取る生活が嫌で、バスの運転手に転向したいと言ってる人でした。2人目の人も、現役の大型長距離トラック運転手でしたが、大型2種免許を取得する事が出来たら、広島電鉄のバス部門に入社出来る約束を、組合の人と交わしてる人でした。

 

あと1人は、四国の琴電タクシーから抜擢されて観光バス運転手になる様で、会社要請で来ていると言う人でしたが、私と同じく普通免許(但し、その人は普通2種免許)からの大型2種免許チャレンジでした。彼らの様に、生活に直結していない私を見て、さぞかし、気楽な奴と思われていた事でしょうね。前出の大型免許の2人は、実はとても苦戦していました。講師によると大型運転手はアクセルを吹かす癖が出易く、速度不良に成り易い人が多いとの指摘。実際に、そのポイントに2人共に、散々、苦労してる様子でした。

 

タクシー運転手の人は2回目で見事に合格。私も3回目で合格となり、変な癖もなく順調でしたが、大型免許の2人は結局、1回目の適性検査枠(5回か6回だった気がします)を使い切って、再度、適性検査から受け直してました。そして、その後、全員、合格となりました。それから学科試験の問題から面白い問題をひとつ!「中央分離帯で客が手をあげたので、タクシーは中央分離帯に車を寄せて、停まった」です。流石、2種免許!営業用の免許でしたね。

 

この時の学科試験も50人程、同時受験しましたが、そのほとんどの人がタクシー会社の養成の人でした。(タクシー運転手を育てる為に、会社が費用を出して受験させる制度)でも、皮肉にもその学科試験にパス出来たのは、大型2種免許を受ける目的の私達3人だけでした。(3人とも一発合格です)普通2種を持ってる人は、学科が免除だったと思います。47人のタクシー養成者は撃沈でしたね。タクシー会社の人も頭を抱えてました。その時の同期の面々も、取得した免許を生かし、それぞれの人生を生きられている事と思いますが、私は相変わらずの趣味の大型2種免許止まりですね。