本日も宇宙天気予報的には、デリンジャー現象の項目が、昨日以上に悪化していた上に、朝から雨も降っていたので運用は問題外でした。

 

平成7年(1995年)初頭の話です。私は電力会社絡みの出向で、横浜に行く事になります。それ以前の仕事が、石油会社の仕事で、社有車で名古屋と広島を往復する様な、結構、ハードな仕事だった事もあり、当面の出張(出向)メンバーからは、外されるものと甘く考えていた事もあり、上司からの急な出向命令に、内心、反抗心が芽生えたものの、常に仕事ではイエスマンを通していた事もあり、二つ返事で応えていた哀れな輩がそこにいました。

 

名古屋の仕事は、現地での作業は完了したものの、まだまだ、膨大な報告書の作成が残っていました。それでも、ゆっくりと仕上げて行けば良いと考えていたので、事務所(私は本社の出張工事部所属)でも余裕を持って作成に取り掛かっていました。そんな時、徳山事業所の係長と所長が訪問していて、横浜への出向を渋っていた係長に対して、私の上司がマウントをとる形で、徳山事業所の係長に対して、ある言葉を言い放ったのでした。

 

「出向直前で出向を渋るとは考えられんな。情けない!うちの〇〇なら、二つ返事でオッケーするよ!なぁ、〇〇!」と、事務所で報告書を仕上げていた私に上司が振って来たのでした。そこで、冒頭の顛末となる訳ですが、悠然と構えていた私の報告書作りは、その後はバタバタの様相を呈して、出張当日の深夜にまで及び、そこから、急いで自宅に戻って、入浴や着替えをしてから、宇部空港に向かったのでした。しかも、予約していた航空券は、徳山事業所の係長名でした。

 

元々、徳山事業所が請けていた仕事だった事もあり、徳山事業所からは割と近い、宇部空港を出発空港にしていたのですが、直前ではありましたが、急遽、私に変更になった事から、広島に自宅にがある私に合わせて、広島空港に変更するのが、通常の対応ではありましたが、宇部空港では、出向先の担当者と待ち合わせして、一緒に現地に向かうと言う話になっていたので、当日は広島からは遠い、宇部空港に向かう必要がありました。

 

出向先の担当者と、初対面の挨拶を交わした後、宇部空港から羽田空港まで移動して、当日は、京急上大岡駅近くの、元ラブホテルだった建物をホテルに改装したビジネスホテルに向かいました。出向先での仕事内容としては、電力会社での夜勤作業でしたが、昼間勤務の出向先担当者もいて、その日の夜に、宿に帰って来た際には、初対面の挨拶と仕事内容の打ち合わせと共に、色々な話を交わして、その日は終わりました。部屋は、3部屋を1人づつが使う事になりました。

 

朝には昼間の担当者は出勤し、夜勤だった私と出向先の担当者は、暇を持て余していました。しかも、激務だった名古屋出張+報告書作成の疲れが取れてない内の、出向だった事もあり、言い知れぬ割り切れなさを感じつつも、身から出た錆と諦めてもいました。そこで、ある気分転換をする事を思い付きます。その頃には、使うか使わないかは別にして、出張には必ず、AZDENのAZ-11(29FMハンディトランシーバー)を持参していました。

 

それ以前の名古屋の出張では、AZ-11の出番はありませんでした。しかし、この横浜の仕事では、単なる出向者(応援者)の身分で、責任者では無いので、特に重い責任がある訳でも無く、しかも夜勤でもあるので、昼間とか出勤前にはワンチャン無線運用が可能かも?と考えたからでした。そこで、最初の休みの日に、関東エリアに出張する際には、必ず立ち寄っていた秋葉原の中でも、時に頻繁に行っていた、今は無くなったT-ZONE秋葉原店に行く事にしたのでした。

 

T-ZONEには明確な目的があった訳ではありませんでしたが、ウロウロと歩き回る内に、ある考えに辿り着きました。それは、「もし、ホテルの屋上に、GPアンテナを揚げる事が出来るなら、ホテルの部屋から横浜各局とコンタクト出来るのでは?」と言うものでした。ホテルの部屋は3階建ての3階にあり、3部屋共に窓がありました。それでも、元はラブホテルと言えども、ホテル側の許可を得るのは、ハードルが高いとも感じていました。その後、暫く逡巡してから見切り発射的に購入に走りました。

 

先ずはアンテナの選定に入りました。ホテルの屋上に設置する時、ホテルの看板の長さイメージから、約5mの垂直アンテナに決めます。あと必要な機材としては、アンテナと無線機を繋ぐ同軸ケーブルと、アンテナと無線機とのマッチング(整合)を計測するSWRメーターと多岐に渡りました。AZ-11を固定する専用スタンドと、無線機に電力を供給する安定化電源は持参してました。流行る気持ちを抑えながら、ホテルに戻った私でしたが、ホテルのフロントには人が居ませんでした。

 

直ぐにでも試したかった私でしたから、ホテルに人が見当たらなかった事に、大きく落胆したものの、後で怒られたら撤去しようと自己完結させてから準備に入りました。先ずは、ホテルの部屋に荷物を置いて屋上の下見をしました。屋上には簡単に上がる事が出来ました。アバウトな計測では、長めに買っていた同軸ケーブルも足りそうで安心します。そして、部屋に戻って機材を持って再び屋上に行って作業を開始しました。アンテナを設置してみると、ホテルの看板の支柱の色に同化して、屋上のドア付近から見ても、外から見上げても存在を気付かれる事は無いレベルでした。

 

同軸ケーブルも部屋に引き込み、AZ-11を専用スタンドに設置して、SWR計と接続。AZ-11は安定化電源とも接続しました。私はマイクを手に持ち「CQ CQ CQ!こちらは、J◯3◯◯◯ポータブル1、どなたかお聴きの横浜各局いらっしゃいませんか?受信します。」と声を出しました。すると、私の電波が届く範囲の局が、私を呼んでくれて、私のアマチュア無線ライフがスタートしたのでした。私は夜勤での仕事だったので、寝起きの昼過ぎに電波を出すか、出勤前のタイミングに電波を出すかのどちらかでしたが、徐々に横浜近辺に在住しているアマチュア局と気軽に会話できるレベルになりました。

 

そんな時、急に帰任しなければならない事態が舞い込みます。それは、京都にいる義兄の急逝の知らせでした。会社に話をして、急遽、代替要員の派遣の調整を経て、私の帰任が決まります。そこで、問題になったのが、屋上に設置してある垂直アンテナでした。私はアンテナを家内に内緒で、出張経費で購入していたので、鼻から自宅に持って帰る事は想定していませんでした。しかも赴任期間も最低で3ヶ月と言われていたので、十分に元は取れるとの胸算用があったからでした。そこで、横浜各局に呼び掛ける事にしました。BAGに収まるSWRメーターは持ち帰るとして、アンテナと同軸ケーブルを貰ってくれる方を募集したのでした。

 

そして、私の問い掛けに対して、恐縮しながらも貰ってくれる人が現れます。私は屋上のアンテナ撤去と分解整理。それに自前の荷物の片付け等々の帰任準備を急いで終わらせて、上大岡の駅近で待ち合わせをして、その貰ってくれる局とは、声では知っていたものの、当然として初対面でしたら、ぎこちない挨拶を交わして、半ば押し付けるカタチでお別れして帰途に着きましたね。