神泉園ユースホステルのミーティングでは、オーストラリアから来ていたスゼット・パウさんと言う女性と、同じく外国人(どこの国の人か覚えていません)の男性と知り合いました。片言の英語と日本語を交えた国際交流の場に、私とH君の掛け合い漫才トークがマッチして、他のホステラーも交えたユース全体の盛り上がりとなりました。翌日も、特に次の予定の無かった数人で、松山城や、正岡子規の子規堂を一緒に観光して周りましたね。

そして、最後は、私とH君と後述する仙台から自転車で来ていた、花子ちゃんの3人が、松山港の桟橋で、周りの人目も憚らず、跳び上がらんばかりに万歳三唱して、見送ったのでした。花子ちゃんは、自転車で仙台から来ていましたが、妙に懐かれてしまい、以降の行動を共にする事になります。桟橋で見送りされた側のホステラーから、後日送られて来た写真には、松山港で私達2人に混じって万歳三唱する花子ちゃんの写真も残っています。

次は何処に行こうと言う話になった時、バイクを使う道路ありきの旅とは違って、別途、船賃を払ってまでは、行きたくないと考えていた、小豆島の「オリーブユースホステル」が、いきなり候補に挙がりました。実は、その辺りの記憶が定かでは無いのですが、残っている写真からは、二十四の瞳の地で、花子ちゃんの自転車を交えた記念写真が残っているので、オリーブユースホステルには、一緒のタイミングで宿泊したと思いますね。

しかし、仙台の花子ちゃんは、自転車旅だったので、バイクの私達とは、タイミングを合わす事は難しかったと思うので、その辺りの時系列があやふやだったりします。小豆島には高松港からフェリーに乗船したと思うので、一旦、別れて、別々に高松港まで走ったのでしょうね。当時は高速道路が整備されて無かったので、バイクでも3時間以上掛かった記憶もあるので、小豆島オリーブユースには、私達が先行して行き、夜になってから、自転車旅の花子ちゃんが到着したと、考えるのが自然な気がしています。

それから、いつの記憶か定かでは無いのですが、私達がバイクの2人乗りで、すれ違うバイクにピースサインを送った際、相手から一応のピースサインは返って来るものの、訝しげな表情が見て取れました。それは、バイクを操縦するイケメン(オイオイ!)は兎も角として、後部に乗る赤いヘルメットを被るサングラスの兄ちゃんは、怪し過ぎる風体の為、相手のライダーもピースサインは貰ったけど、返すべきか一瞬、迷った様に見えたのでした。(推測)

その後、小豆島オリーブユースでも行動を共にして、小豆島観光も3人で回った私達でしたが、仙台の花子ちゃんとは、土庄港から岡山に渡った後、じゃあね!と言う感じで、名残惜しそうな花子ちゃんを港に残して、H君を岡山駅に送り、私も京都に帰る為に出発しました。それは、私もH君も新学期が目前に迫っていたからでした。H君と別れる間際、今回の2人乗り旅行とユースホステルの旅が面白かったから、今度、良いユースがあったら、2人でヘルパーしよう!と盛り上がりました。

その後、お互いの連絡先を交換して別れましたのですが、後日、手渡す写真もあったので、大阪府吹田市にあった、彼のマンションに訪れた事がありました。H君はお姉さんとの2人暮らしでしたが、その初対面のお姉さんに軽く挨拶をすると、私に、いつもの友人関係とは、異質のものを感じたのか、何処で知り合った人なのかをH君に尋ねていました。H君は、旅先で知り合った人だと説明すると、漸く、ああ、なるほどと納得されましたが、逆にこちらが釈然としませんでしたね。

このH君とは、その後も色々な場面で一緒に行動したものの、それでもユースホステルで一緒にヘルパーをする事は叶いませんでした。割と頻繁に連絡を取っていたH君と、全く連絡が取れない事がありました。わざわざ、初対面での印象が悪かったお姉さんに、理由を聞くのも嫌だった私は、1ヶ月後に届いたH君からの電話で、漸く、その理由を知る事になりました。H君によると、教授からのアルバイトの要請があったので、その行き先を尋ねると、アメリカのシアトルだったそうです。

H君が言うには、観光する気満々だった思惑とは裏腹で、いきなり、空港からホテルまで直行してからは、翌日からは、運転手付きの車で、ホテルとバイト先(企業か政府機関かは不明)との往復だけの毎日で、観光する暇も無かったとの話でした。私は、あまりに、グローバルな話に驚いたものでした。H君は当時、コンピューターの勉強をしていて、上手く説明出来ないのですが、チカチカ点滅するマスコットの様な自作のツールを持ち歩いていて、ある日、それを教授に見せたら、絶賛されたとも言ってました。

しかも、高価なコンピューター機器を、教授にお願いしたら、直ぐに買って(導入)くれるとも言っていたので、相当に注目されてる学生だった事は確かな事実としてありましたが、かなり経ってから、大学と納入業者との癒着問題がニュースになった事がありました。そのニュースを見た私は、あの時にH君が言ってた、教授に頼めば直ぐ買ってくれると言う理由が、何となく判明したのでした。H君には、私が結婚する時には無理筋のあるお願いをしてしまいます。

それは、社会人1年目で、衝動買いしたホンダGL-400を、残りのローン付きで引き取ってもらう事でした。H君は、そんな私の申し出に二つ返事で了承してくれたものの、その時点では、H君は中型二輪免許を持って無かったこともあって、彼の大学構内の空いた道路で、テスト走行と称して彼に、無免許(すいません)で運転して貰ったことがありました。走行を終えたH君の口から「良いね!ローンの残債は任せて!受け取らせて頂きます」と言って貰えたのでした。

 

そのH君も大手IT企業に就職してからは、携帯電話の無い時代でしたから、お互いに連絡がすれ違う様にもなり、転居も重なって、いつの間にか、連絡が取れなくなってしまいました。それでも、吹田の彼の自宅を訪ねたら、何かしらの情報を得られたとも思いましたが、お姉さんの事が引っ掛かって、それも気乗りがしないままに音信不通となってしまいました。そんな中、2年程前に、フェイスブックでH君を見つけて、コメントを入れたものの、未だに進展はありません。いつか再会したいものですね。

 

神泉園ユースの仲間と道後温泉椿湯に行きました。

 

 

夜のミーティングで記念写真(手前女性がスゼットパウさん)

 

 

翌朝の出発前に記念写真(左の娘が被ってるのがH君作コーラ缶帽子)

 

 

神泉園ユースで知り合った仲間と松山城

 

 

 

神泉園ユースで知り合った仲間と子規堂

 

 

 

松山港で記念写真

 

 

万歳三唱でお見送りしました。

 

 

二十四の瞳のロケ地で記念写真(花子ちゃん、H君、私)

 

 

小豆島の灯台で記念写真

 

 

花子ちゃんを乗せてあげました。(彼女のヘルメットが建設用)

 

 

めちゃくちゃ前のめりで乗ってます。