日和佐ユースホステルを出発して、最初に向かった先は、室戸岬でした。しかし、室戸岬では激しい強風により、物が飛んで来たりで、長く滞在する事は叶いませんでした。それでも、逆回りのライダーと知り合って、写真を撮りあったものでしたね。次に向かったのは、高知市の「はりまや橋」でしたが、その場所は、あまりに小じんまりした佇まいだった事で、早々に次の場所に向かう事にしました。次に向かった場所は「桂が浜」でした。何故かこの日はすれ違うバイクに遭遇する事が少なく落胆してましたが、桂が浜には多数の他府県ナンバーのバイクがあったので、ホッとしました。笑

この日、予約していた宿泊場所は、丘の上にあった「筆山ユースホステル」でした。その頃の私の考えは、「観光する為に、移動手段としてバイクを利用する」から、バイクを利用してユースホステルに向かう途中で、「気になったものがあると、その都度、立ち寄って観光する」と言う様に変遷していました。この筆山ユースホステルは、ハンドブックに書いていた通りで、とてもアットホームな雰囲気で、食事も美味しく、ホステラーやペアレント(ユースホステルの運営者、経営者)の人柄も最高だった事もあり、ユースホステルの魅力に嵌りつつありました。

高知市の筆山ユースホステルの次に予約した宿泊場所は、ある意味、運命の出会いとなった足摺岬にあった「白皇神社ユースホステル」でした。この白皇神社ユースホステルに宿泊するまでは、ユースホステルって、同世代の仲間も居るし、自然に、ホステラー同士が知り合う事が出来る、気の置けない、良い場所なんだなぁ。と言うポジティブなイメージを抱きつつありました。そんな中、その後のユースホステルライフを激変させる魔物が、このユースホステルには潜んでいました。(大袈裟)

白皇神社ユースホステルで、宿泊手続きをする際、ある致命的な失敗を犯している事に気付きます。それは、あろう事か、ユースホステルの会員証を、前日に宿泊した筆山ユースホステルに忘れて来た事でした。白皇神社ユースのヘルパーさんが筆山ユースホステルに連絡を取ってくれ、会員証の存在が判明した事で、取り敢えずは、白皇神社ユースホステルに宿泊可能となりましたが、翌日に、高知市と足摺岬を往復して会員証を取りに行く事になりました。つまりは、予定外の連泊となってしまったのでした。

足摺岬の白皇神社ユースホステルを選ぶ際、ハンドブックには、気になるキーワードが書かれていました。それは、「キチガイユース」と言うものでしたが、そのキチガイユースの、何たるやを知る為に、わざわざ選んだユースでもありました。手続きが済み、部屋に荷物を置きに行くと、宿泊者の数が半端なく多い事に驚きます。しかも、話を聞くと連泊者もかなり存在している様でした。白皇神社ユースホステルには、当時、3人のヘルパーが居ましたが、聞くところによると、全員が卒業間近の男子大学生の様でした。

食事の後、その3人のヘルパーの怒涛の2時間ミーティングの洗礼を受ける事になりました。3人のヘルパーは掛け合い漫才の如く、息の合ったコンビネーションで3〜40人の宿泊者全員に、歌やらゲーム、罰ゲームを課して、息つく暇もないくらいに翻弄し尽くし、ミーティングは終了しました。ホステラー全員が顔を上気させて、笑い過ぎと身体を使ったコンテンツの嵐で疲れ切っていました。最後には、ヘルパーから、明朝、足摺岬の展望台で朝のミーティングの告知を受けました。しかも、全員参加との厳命付きでした。

その日の夜は、怒涛のミーティング効果もあり、ぐっすりと寝ることが出来ましたね。翌朝、早朝に同室の人から起こされて、一緒に展望台に向かう事になりました。展望台では、3人のヘルパーが応援旗を持って待機していました。展望台で何をするんだろう?と考えていると、ヘルパーから、これから全員で踊る事を告げられ、その踊りの指導が始まったのでした。全員がある程度のレベルに達したところで、ラジカセから音楽が流れて来ました。そして、恥も外聞もかなぐり捨てた集団の踊りが始まったのでした。

展望台で円陣を組んで踊る私達の周りには、普通の観光客が、こいつら馬鹿なのか?と奇異の目で見ていました。後から聞いた話によると、真偽は兎も角として、朝陽を浴びながら踊る集団の、キチガイじみた姿から「キチガイユース」と命名されたとの話を聞いたのでした。今思えば、歌って踊ると言うスタイルから、その3人のヘルパーは、ユースホステルの聖地である北海道礼文島にある「桃岩荘ユースホステル」を経験した人間である事は、明白な事でしたが、その時は、すっかり、その歌って踊るミーティングスタイルに洗脳されていたのでした。

その後は、前日の約束通りに筆山ユースホステルと、白皇神社ユースホステルを往復して、その日の夜も怒涛のミーティングに参加する事になりましたが、この日は、私が〇〇回目の誕生日を迎えた事もあり、更に思い出深いミーティングとなりました。それは、ヘルパーから、私を除く宿泊者全員に色紙が回されていて、その色紙には、単なる一期一会の私に対する激励の寄せ書きが、カラフルな文字で記されていました。それをミーティングの中で、万雷の拍手と共に手渡してくれたのでした。そんな経験をした事で、一気にユース熱に冒される事になりました。

このユースに連泊者が多い理由も、その時、知り合った連泊者の数人から知る事が出来ました。それは、3人のヘルパーが、今春、大学を卒業すると同時に、遠くの地域に就職する為、白皇神社ユースホステルのヘルパーも卒業する事になると言う事で、正に今が、そのカウントダウンの期間中であり、これまで3人のヘルパーの粉骨砕身の頑張りのお陰で、ユースの運営と、ミーティングにおいての楽しい思い出を作れた事への感謝から、とにかく連泊し続けて、最後はユースから見送りたいと言う、何とも言えない、ユースホステルの美談を垣間見た気がして、本当に心が温まりました。

翌朝の早朝ミーティングにも、しっかりと参加した私は、出発前には、3人のヘルパーさんと、一緒に写真を撮って貰ってユースを後にしました。足摺岬を出発して松山に抜ける山道のカーブでは、これまた思い出に残る出来事に遭遇する事になりました。その頃には、バイクとすれ違う際の、楽しいピースサインにも色々なバリエーションを付ける様になっていました。片手で普通にするピースサインもあれば、カッコ付けて、ヘルメット越しに横向きにピースサインを繰り出したり、たまには、親指を立てたポーズも加えていました。そんな時、起こった出来事でした。

私は松山方面への登り坂を移動していました。その場所は大きなカーブだったのですが、山影から急にバイクが飛び出して来ました。私は咄嗟に、いつもの様に、瞬間的にピースサインを繰り出したものの、相手は容姿もバイクのスタイルも暴走族そのまんまの、バリバリの3台のバイクでしたが、私のピースサインに直ぐに反応(認めて)して、下りのカーブでスピードも乗っていたにも関わらず、3台の暴走族バイク全員が、フラ付きながらも、私に向かって笑顔でピースサインを返して来たのでした。これには感激しましたね。

 

多分、はりまや橋だと思います。

 

 

これは、桂が浜で駐車した場所です。

 

 

高知筆山ユースホステル

 

 

四国道のどこかです。

 

 

 

足摺岬手前の大岐海岸です。

 

 

白皇神社ユースホステルのヘルパーさん達と記念写真

 

 

足摺岬の展望台で朝の集会

 

 

 

四国道のどこかです。

 

 

 

暴走族と出会った山間部です。(足摺岬→松山)