大阪府高槻市の洗濯屋さんから、7万5千円で購入したホンダ・エルシノアMT-250は、その僅か2週間後には、春休みの後半に差し掛かっていた事もあり、早くも、初めてのツーリングに使用される事になります。購入後の2週間は、名義変更手続きに始まり、ツーリング先の選定、燃料タンクの上に置くツーリングバッグや地図の購入。シートの後部に、荷物を分散して収納する、振り分けバッグの購入等々の準備に追われていました。

ツーリングの行き先を決める際には、色々と候補地を挙げたものの、初めてのツーリングだった事から、やはり近場が良いのでは?と考えて、当時住んでいた関西から近い、四国地方を選ぶ事にしました。次に宿泊場所を何処にするかを考えた時、真っ先に浮かんだのは「ユースホステル」でした。ユースホステルに知識があった訳ではなく、当時から民宿はありましたが、より宿泊料金が抑えられるユースホステルの選択には必然性がありました。

京都駅の近くにあったユースホステル協会で、入会手続きを済ませ、その時、ユースホステル・ハンドブックも購入しました。それから下宿先の自分の部屋に戻ってからは、ハンドブックを見ながら、四国ツーリングの旅行スケジュールを練ることにしました。とは言え、初めてのツーリングであり、適切な一日当たりの走行距離もイメージ出来なかった事もあり、一日当たり150〜200km程度の緩い日程を組む事にしました。期間としては、3月の下旬から新学期の始まる4月8日頃に設定しました。

3月下旬の某日に京都を出発した私は、初めての高速道路を使用して、最初の宿泊地に設定していた、神戸市垂水区(にあったかどうかは定かではありませんが)の「垂水ユースホステル」に到着しました。当時は、明石海峡大橋は無かったので、明石海峡フェリーに乗船する必要があり、もっと先に進むと言う案もあったものの、全ての事柄が初めてのチャレンジだった事もあり、石橋を叩いて渡ったのでした。とは言え、この垂水ユースホステルで、ユースホステルの初歩を学ぶ事が出来ました。

ユースホステルの入り口を入ると、いきなり「お帰りなさい!」と声を掛けられて驚きました。後に、声を掛けてくれたのは、「ヘルパー」と言う、ユースホステル全般の仕事の手伝いをする役割の人だと知りました。手続きをして、シーツを借りて部屋に入ると、そこは、大部屋だった気がします。実は、この初めてのユースホステルに、あまり記憶が無いところを見ると、同室のホステラー(ユースの旅行者)にシーツの使い方を教えてもらう程度だったと認識しています。翌朝の出発時にはユースのスタンプを会員証に押してくれました。

翌日は、明石海峡フェリーに乗船して、淡路島に渡りました。その時、四国の自宅に帰る途中だった、ひとりのライダーに声を掛けて記念写真を撮ったのですが、その様子から、初めてのツーリングで、舞い上がっていた様子が伺えるのですね。淡路島を縦走して、鳴門大橋から徳島入りをした私は、眉山に登って観光もどきを経験した後、スケジュールを立てた際、無難に「お遍路さんルート」で四国を一周する事を決めていたので、進む方向を室戸岬方向に取り進んで行きました。

次の宿泊場所として前日に予約したのは、海亀の産卵地で有名な日和佐海岸の近くの「日和佐ユースホステル」でした。しかし、その道中で、これまた初めての「雨の洗礼」を経験する事になりました。日和佐ユースホステルに到着する頃には、既に、袖から侵入した雨粒により、上半身はズブ濡れになっていました。日和佐ユースホステルには、私の様にズブ濡れになったライダーや自転車旅のサイクリストらが到着していました。皆、愛車の近くに合羽を干していましたね。

このユースホステルでは、一人旅のサイクリストと知り合いました。その頃から「旅は道連れ」ではありませんが、そのサイクリストのルートに合わせて予定を組む様にもなっていました。と言っても一緒に走る訳では無く、次の宿泊場所を同じにする程度の話でした。その頃の私と言えば、観光地には見向きもせずに、すっかりライダー同士が交わす「ピースサイン」に嵌り、積極的にすれ違うライダーに声を掛けては、記念写真を撮ると言う事を繰り返していました。

 

四国道のどこかです。笑