4月21日は、寝る時に着込み過ぎたのか、電気毛布が熱かったのか、恐らく両方の理由で、早朝の4時に目が覚めてしまいます。トイレに行ってから、着込んでいた衣類を脱いで、改めて就寝する事にします。二度寝して、次に目が覚めたのは、9時を少し回った頃でした。取り敢えず、トイレと洗面を済ませて、応接間に置いてあるスーツケースから服を取り出して着替えました。

次に、家内が20日に京都駅で買い求めていた、京都の老舗パン屋であるSIZUYA(志津屋)の元祖ビーフカツサンドを頬張って朝食とします。この志津屋のパンには思い出がありました。特に厚切りのチーズとのアンサンブルが絶妙で、学生時代には好んで購入したものでしたね。しかし、今回購入したパンは、厚切りチーズではありませんでした。これも時代の変化かも知れませんね。

朝食後は、応接間でブログやネットサーフィンに勤しんでいると、その内には、昼ご飯の時間となりました。実家の跡を取る義弟が、最近になってサーバーを替えたと言う話で、早速、速度計測を行うとアプリ上では、165Mbpsと言う速度を叩き出したにも関わらず、体感速度はそれ程にも感じず困惑します。午後からは、20日の就寝前に試した、家内の実家から近隣のD-STARレピーターにアクセスして、交信にチャレンジするつもりでいました。

ただ、いつも持ち歩く交信記録を書き記した、簡易なログブックは、今回は持って来て無かったので、交信する際には、相手局が最初の交信であるのか、または、既知の局であるのかの判別が、出来ないのが痛いポイントと考えていました。しかも、これまで家内の実家を法律上の無線機の「常置場所」に指定して、愛着のある「3エリア」のコールサインを温存して来たにも関わらず、常置場所に指定する家内の実家からは電波を出した事はありませんでした。

ですから、D-STARでの交信が成立すると、法律上の常置場所で、初めてコールサインの後に付く「ポータブル3」の指定が撤去された状態での交信となるので、ある意味、記念すべき交信の日となるのでした。無線を知らない人に説明すると、このコールサインの後に付記する「ポータブル」と言うのは、移動局を示す符号で、私の場合には、家内の実家を法律上の「常置場所」として指定しているので、家内の実家から離れた途端、「ポータブル」が付くのですね。

従って、広島で運用する場合には「ポータブル4」となり、東京とかの首都圏での運用では「ポータブル1」となる訳です。3エリアでの運用の場合でも、常置場所以外での運用は、常にポータブルが付く訳ですね。そんな中、今回は法律上の常置場所からの運用となる訳ですから、正式な場所での運用となるのでした。この常置場所で固定局を設置する場合には、第2級アマチュア無線技士の私に許される出力の上限は、200ワットですが、そこには大きな壁があるのですね。
 

それは、常置場所に指定している家内の実家は、お願いすれば可能かも知れませんが、私の持ち家では無いので、基本的には出来ないのが普通の考え方です。しかし、アマチュア無線局の多く?は、自宅に固定局を開設して、更に移動局も開設すると言う2つの無線局免許を受けている場合があり、私が2022年に頂いたJO4のコールサインでは、自宅でも、200ワットまでの固定局を開設出来るのですが、如何せん、マンションの2階では、到底無理な話ではあるのでした。

 

4月21日の結果としては、20日の夜の試しでは、レピーターから安定して返って来ていた信号が、返って来たり、来なかったりと、何故か安定せずで、アンテナを設置した位置が微妙にズレているのか、微調整を繰り返したものの、安定して返って来る事はありませんでした。かと言って、外は雨降りだったので、外での検証も叶わずでしたが、比叡山のレピーターを利用する3エリア各局の交信は聴く事が出来たので、止むなく、狸ワッチで終わる事にしました。年末年始とかGWとかだと車があるので、次回の検証は車の中でしたいと考えています

 

今回の旅行では、IC-705無線機やCAT-283アンテナチューナー、それに繋ぐ、RH770アンテナやケーブル類。更には相当な重さのある、PD130Wタイプ(30,000mA)、PD65Wタイプ(40,000mA)モバイルバッテリー等々をスーツケースに収納して、持ち歩いたものの、千葉駅前のホテルでは、早々に移動運用の夢が破れ、確実視していた家内の実家でも、上京レピーターや比叡山レピーターから、安定した信号が返って来ない事態に遭遇した事で、ただ単に重たいスーツケースを持ち歩いただけの旅行となってしまいました。

 

最初は前夜と同じ場所で微調整しましたが駄目でした。

 

 

思い切って別の場所でも試しましたが駄目でした。