本日は久し振りの快晴でもあり、本来なら絶好の無線日和だったのですが、長男嫁が仕事で沖縄に行っているのと、普段は率先して見てくれている長男嫁の両親も大切な用事があるとかで、面倒が見れないと言う話で、本当は月曜日からでしたが、月曜日は私達も移動日でしたし、火曜日も家内の予定が入ったので、その間は、長男が自宅からリモートで仕事を熟して凌いだ様です。

 

そんな理由で、朝から長男の息子二人(10歳前と3歳になったばかりの兄弟)を、預かっているので身動き出来ないでいます。これが、1990年代前半の頃の私だったら、この季節、仕事に託けては、移動運用を繰り返していたと思います。1987年に満を持して開局して以降は、仕事先が兵庫県西宮市だった事もあり、仕事終わりに甲山経由で六甲山に移動運用に行ったものでした。

 

私の開局は、当時は、何を考えていたのか、今となっては思い出せませんが、HF帯にしか出れない無線機を購入した所為で、大阪府箕面市にあった自宅(マンション借り上げ社宅)では、2階建ての2階に住んでいた事もあって、いちいち大家さんの許可を取るのも簡単では無く、噂に聞く電波障害を出すのも本意では無かったので、必然的に移動運用専門と言うスタイルにならざる得ない事情がありました。

 

従って、無線機も常時、車の中でしたし、当時から、アンテナチューナーを使用していた事もあって、今でもアンテナチューナーは手放せません。当時からアイコムの無線機でしたが、牽引用フックに2.5mのステンレスの無垢材のアンテナを立てて、アンテナチューナーは、トランクの中に収納してました。チューナーからは、ダッシュボードの下にステイで固定した無線機と、その横に取り付けたコントローラーとを接続してましたね。

 

以下は以前にも触れましたが、開局当時は21MHz帯が主流でしたが、そこで交信した方から29FMの手解きを受けてからは、特に音質に魅力された私は、29FMにのめり込んで行きました。元来の調子者の性格も災いしてか、日替わりで近畿圏内を移動運用して回り、神出鬼没の〇〇局と揶揄されたものでした。仕事が三交代制だった事もあり、夜シフトの帰宅時間が深夜になる事で、前出の様に六甲山に登っては、出勤途中の局にお声掛けしたものでした。

 

特に決まって常駐していた場所が、芦屋と有馬温泉を結ぶ有料道路の途中にある、270度に渡って見渡せる展望台でしたが、深夜帯には料金所がフリーになる事で可能になった事でした。1988年に瀬戸大橋が開通した直後に、香川県高松市に転勤になった私でしたが、「四国地方=5エリア」でも、ポータブル5局として、変わらず、アクティブに移動運用を繰り返していました。最初こそ、香川県の山でしたが、その内には他県の山にも進出して行きました。

 

家内が末娘を出産する為に入院していた時、上の二人の幼い兄弟を引き連れて、愛媛県の山に移動運用した際には、家内が退院後に、隣りの奥さんからのリークにより知る事になり、当分の間、何かにつけて、叱責を受けたものでしたね。当時の5エリアは、周波数全般で無線人口が多かった事もあり、29FM単体で忘年会を開ける程でしたが、現在は、特にアクティビティが落ちているエリアとして、私も認識しています。

 

それでも、私が山口県に移動運用を繰り返した2022年には、瀬戸内海側のエリアを中心にコールバックがありましたが、それは29FMでは無く、144MHz帯であったり、430MHz帯であったりで、かつての29FMの隆盛が懐かしい限りです。それは、4エリアも共通する問題ではあるのですが、久し振りに比叡山からQRVして感じた事は、声を出すと直ぐにコールバックがある事から、3エリアの無線人口の多さを改めて認識した事でしたね。

 

昨夜、JK3OTHワッフルさんのYouTube動画を観ましたが、7エリアの局長さんが、山に上がってCQを出しても応答が無く、かと言ってHF帯に進出する程の資金力も無いので、この際、アマチュア無線をやめます。と言う投稿を話されていましたが、これは、地方に住むアマチュア無線局にとっては、見過ごせない共通の問題点でもあるのですね。QSLカード遅延問題もしかりですが、今後のJARLの取り組みに期待しています。