その後、同じく29FMで8時46分に三重県名張市のJR2局と交信した後、8時57分には、36年前当時、近畿地方で29FMの第一人者であったJH1 /3局から、1年振りにお声掛けがありました。その後、51FMにQSYして2局目の頃、20m程離れた場所に無線局臭をプンプンさせたホンダ・フリードが駐車します。私はQSOを楽しみながら動向を注視していると、運転席から降りて来た男性は、ハッチバックを開けてアンテナを取り出しました。私は運用周波数が被る事が気になっていたものの、設置中のアンテナを見て大いに安堵します。

 

と言うのは、そのアンテナはHF帯の御用達アンテナであるV型ダイポールだったからでした。私の運用予定周波数は145FMと433FMだったので、その後は時々、準備状況を見守りつつもQSOに注力していました。すると交信の終盤に差し掛かった時、ホンダ・フリードの無線家がこちらに近付いて来たのでした。私は慌てて、急いで交信相手に理由を説明してファイナルを送りました。その後は周波数をクリアして、無線機の電源を落としてから車外に出ました。ホンダ・フリードの無線家は開始の挨拶に来られたのでした。

 

お互いに挨拶が済んだ後、私はホンダ・フリードの方に近づいて設備を見学させてもらう事にしました。無線機は八重洲無線のFT-891M(50W機)にアンテナチューナーのFC-50の組み合わせで、V型ダイポールは7MHzと14MHzのモノバンド(と説明を受けました)で、タイヤベースを使用して4.5mにセットする予定の様でした。メインで運用するのは7MHzとの話でした。他にも色々とアンテナは積んでるとの事でしたね。その後は私も車に戻り、10時6分に51FMでこれまた36年振りとなった大阪府枚方市のJR3局と交信しました。

 

11時15分には145FMで奈良県比企郡モービルのJN3局、11時25分には京都府八幡市のJF3局と交信します。11時50分からは12時過ぎまで433FMで3局と交信しつつ、時々、ホンダ・フリード局の動向を注視していました。3局目の交信終わりに周波数をクリアして、ホンダ・フリード局のところに行くと、メインに位置付けていた7MHz帯のSWR調整が上手くいかず、7NHz帯は断念して14MHz帯で少しQSOして、現在は21MHzでCQを出しているとの事でした。そこで私は21MHz帯なら、ついでに記念にQSOしましょうか?と提案してみたのでした。

 

ホンダ・フリード局は大阪府から来られているJR3局で40年振りに再開局したとの話でした。21MHzに合わせてみると、あまりのパワーに感度抑圧現象が起こり、とても交信できる環境では無かったので、直ぐにJR3局にパワーダウンを要請して、メーターは張り付いたままでしたが、何とか交信が成立した次第です。その後は昼食タイムに入りました。昼食後は、145FMで13時6分に滋賀県大津市のJK3局と交信。13時21分には433FMでこれまた36年振りとなった兵庫県伊丹市のJN3局と交信しました。

 

20日は湿度全開の19日と比較して40パーセント前後と過ごし易かったのが助かりましたね。伊丹市の局の後は、17時前まで433FMで連続で3局と交信しましたが、まだまだ気力はあったものの、夕食の時間も考えて無線機の電源を落として撤収に入りました。家内の実家に戻って、容量が少なくなったAnkerのモバイルバッテリー(PD68 Wタイプ26800mA)を充電したのですが、運用中に直射日光が当たっていたのか、充電しようとしましたが、既に昇天されていました。

 

不幸は続くと言いますが、広島の自宅に戻ってからも、充電のタイミングで相次いでAnkerのモバイルバッテリーが不調になり、それまで合計で3個のPDバッテリーをローテーションして使用していましたが、京都で昇天した1個に加えて更に2個のPDバッテリーも壊れてしまいました。13,000円弱したバッテリーだっただけに惜しい気持ちで一杯でしたね。

 

下の写真は8月20日の様子です。(遠くにフリードが写ってます)