ツナたまご妹です。
コメント下さってる皆様
お返事出来ず申し訳ありません
全て読ませていただいてます。
本当にありがとうございます。
通夜と葬儀に関しては書かせていただいたのですが、私から見た兄の事。最後の数日。書きたいなと思いました。
かなり長くなるかと思うのでご了承下さい
私と兄は9歳離れていました。
なので、兄がビーバップな風貌の中学生の時、まだ4歳とかだったんですよね。
幼稚園や小学校から帰ると家の前にヤンキーがいっぱい、、笑
「お兄ちゃんの友達怖い」
とずっと思ってました。笑
若い頃はイケメンだったので、バイクで走ったり、ドラムをしていた兄は私の友達には人気でした。
「妹ちゃんのお兄ちゃんかっこいい!」って言われてました。
でも私は、え?どこが?と本気で思ってました。
だって物心ついた頃から怖かったから。
母が台所から皿を投げつけるほどの大喧嘩が始まり、その場にいた私は怖くて大泣き。すると「泣くなや!!!」と追い討ち。酷くないですか?!笑
昔、雑誌の裏にあった通販覚えてますか?安い雑貨が沢山あるやつ。当時はネットもそんなにないし、振込とかだったと思います。
クラスの子達数人でまとめて買おう!となって、代表して私がお金を預かって買う事になってたんです。
タンスの洋服の下にお金を隠してたのに、見事に兄に盗まれましたね。
めちゃくちゃ泣いて、母に言って怒ってもらったら「俺ちゃうわ!知らん!!」とハイパー逆ギレ。
それ自白してるのと一緒やん。と今なら思います。笑
そんな事ばかりだったし、兄が家でごはんを食べる時は自室に持って行くので会話もないまま過ぎました。
たまーに、私が高校生とかで夕方出掛けようとすると「どこいくねん」と半ギレで聞かれてたなぁ。心配してくれてたんでしょう。
私が10代後半から20代前半の頃、兄はバセドウ病を患っていました。
本田圭佑や絢香と同じ病気です。
薬を飲めば酷くならないらしいのですが、兄はちゃんと飲んでおらず、しんどさからイライラしっぱなしで家族に当たるようになりました。
それに耐えきれず私は実家を出ました。
そこから結婚し、元夫の失踪により離婚。
シングルマザーとなり、1年弱実家に戻ったのですが、その時でもあまり話はしなかったです。
その後再婚したのですが、主人のモラハラが過激化し娘2人を連れて再度実家へ。
それが約1年前、兄の癌が発覚する頃でした。
ここで久しぶりに話をしだしました。
かたやバツ2やし、かたや未婚の実家住まいやし、ウチらヤバいよなぁーwと話していました。
ポーカーフェイスな兄は、私の知らないところで娘2人にお菓子をあげたり、モラハラ夫について愚痴る長女の話を聞いたりしてたみたいです。
癌が発覚してからは、お前がオトンとオカンの面倒を見なアカンかもしらん。と言うので、縁起でも無い事言いなや。と言ってました。
たまーにLINEもしたりしたけど、関係ない話題を無理に振りすぎてキレられた事もありました。
お互いに空白の時間が長すぎて、何を話していいか。どう伝えればいいか分からなくて2人して探り探りの状態でした。
そんな中、10月に叔父が亡くなり。12月あたまに40代前半のハトコが亡くなり。12月末には祖母が亡くなりました。
この事についても兄と話す機会がありましたが、しきりに過去の話をしたがらなかったのを覚えています。
今思えばもっと親族の集まりも行けば良かったな。とか思ってたんだと思います。
そんな中1/3に歩けなくなり救急車で運ばれ、1/5に私が荷物を持って行く時に電話をしていた時は普通でした。
そこから1/16に地元の病院に転院。
次に電話したのが、1/20兄からの着信だったんですが、今思えばかなりしんどそうでした。
1/20土曜日
時間があれば寄ろうかな。くらいだったのですが、封筒買ってきて。と言われたのでコンビニで無駄に高い封筒を買って行きました。
そこでこのブログの事、PC周りの事を聞きました。
その時は「まぁ何かあればの話な!とりあえず先に家に帰る準備やん」と言いました。
兄は転院してから、とりあえず家に帰りたい。と言うようになりました。
病室から地元が丸々見えていたので「ここの部屋めっちゃいいやん!」と言うと「地元見えるからイヤや、、」とボソっと言っていました。
帰りたいのに帰れない。
みんなとまた遊びたいのに遊べないもどかしさからの言葉だったと思います。
次の日は、元々両親と兄の勤め先の社長が来る予定だったので、私は予定もあり行くつもりではなかったのですが「明日来るんやろ?」としきりに聞いてきたので、家族4人でしたい話があるのかな?と思い「うん、来るでー」と答えました。
その日は2人で小一時間くらい話してて、面会時間15分なのに長居してたので慌てて帰ろうとした時「バイバーイ!」と言った私に「ありがとうな」と兄は言いました。
そんな事言われたのいつ振り?!初めて?!くらいだったので鮮明に覚えています。
1/21日曜日
私は予定を終わらせ、少し遅めに病院へ行くと両親と社長が居てました。
書類の手続きの事や兄が居なくて会社が大変な事など色々聞きました。
社長が帰ってからは、家族4人で家に帰る為にどう進めていくか話し合いました。
兄はとりあえず早く帰りたい。
と気持ちが固まっていたので、明日(月曜日)担当医と話して方針決めよう。となりました。
その時に、口をゆすぐ為の便利グッズがあるから買ってきてほしい。ドーナツ型じゃないC型っぽいクッション買ってきて欲しい。この間買ってきてくれたビーズクッションは暑いからいらん。蒸れないけど、床擦れに当たらないクッションがいい。
と無理難題をふっかけてきました。笑
入院中マジでずっとこの調子だったんです。笑 こっちが良かれと思って持って行った物も「何でそんなん持ってきたん?いらんから持って帰って」と言われ、洗濯物と合わせると病院に行った時より帰りの方が荷物が増えてるパターンも、、笑
なので帰り道に両親とニトリやホームセンターに行き、兄にLINEで「これどう?」「これで合ってる?」と色々送ったんですが既読にならず少し不安だったのを覚えています。
返事がきたのが夜中の1:30
一言「わかった」
とだけきていました。
何に対しての返事かも分からず、大丈夫かな?と思っていました。
1/22月曜日
仕事を早退して、兄の病院へ母と16:00に行く予定だったのですが、次女がまさかの朝から高熱、、
マジか。
とりあえず長女を学校に行かせ、次女を病院に連れて行くも、発熱から時間が経ってない為にコロナもインフルも陰性。
カロナールと風邪薬を持って帰宅。
すると中学校からの連絡メールで【木曜日まで学校閉鎖とします】の連絡
(*´∇`*)
仕事行けないのはモチロンの事、兄の病院も行かなくちゃダメだったので、学校閉鎖で2時間目終わりで帰ってきた長女に寝ている次女を託し、兄の病院へ。
16時前になんとか病院に到着。
兄の病室に行くと友達が来てました。
兄の友達ー!!!って感じの友達でした。笑
軽く挨拶をして、担当医と担当看護師との面談へ。
兄は担当医に、母や私に直接伝えにくい事を伝えていたみたいでそれを聞きました。
普通逆じゃね?どんだけ家族に素直になられへんねん。と思ったのを覚えてます。
そこでは肝臓から骨周辺に転移した癌が、かなり大きくなっていて脊髄を圧迫してるので、これからどんどん下半身麻痺が広がると思います。
肺の周りにも水が溜まってるので、呼吸のし辛さも強いと思います。
いつ何が起こってもおかしくない状態です。と言われました。
それだけ聞いてもどこか他人事というか、でもまだ大丈夫。と思ってました。
だってまだ話せてるし、ガリガリに痩せたりしてないし、帰る予定してるし、やりたい事あるって言ってたし。
話し合いはソーシャルワーカーさんにも来てもらい、とにかく早く帰れるようにする。担当看護師さんへの聞き取りもして、訪問看護の人数と回数、大まかに何してもらうか等 綿密に打ち合わせをしました。
母があまり耳がよくないので、家でナースコール代わりになるような、気軽なものはありますか?オカン夜中とか音鳴っても気づかへんのちゃう?そういうグッズとかありますか?お母さん、息子の横に布団敷いて寝るわ!嫌がるやろなー!笑 などと話していました。
とりあえず退院して、無理そうだったら1日目で帰ってきてもいいから!の言葉にとても安心しました。
話し合いの後、それを兄に伝えて「3泊4日でもいいやん。とりあえず帰ろ!」と母と言い「帰る前にここでお風呂入れてもらっとこや」と言うと「いや、もうすぐ帰れるんやろ。いらん」と突っぱねられたので「えー!なんで!入れてもらったらいいのに!」と言いました。
今思えばお風呂に入る体力なんて無かったんでしょう。凄く嫌そうな顔してたので、想像するだけでもしんどかったのかも。
またも面会時間過ぎてたので、バタバタと帰る準備をし兄がAmazonで買ったイヤホン持って明日来るから。と伝え
母、私「おやすみー」
兄「おやすみー」
これが最後の会話でした。
何が悔しいかって、家に連れて帰ってあげられなかった事。
もっと早く準備すればよかった
もっと病院に行けばよかった
もっと話すればよかった
連休が憎い
初めの担当医が憎い
癌が憎い
でも兄が病気にならなければ、きっと変わらない関係性だっただろうな
だからと言って病気に感謝なんかしません
私の予定では両親を兄と看取り、実家に1人で住んでいる兄の様子を時々に見に行って、ごはんを食べる。そんな予定でした。
順番逆にしやがって
最大の親不孝しやがって
ばーかばーかばーーーーか
何してんねん
あほ
兄の事でこんなに泣く事になるとは思いもしなかった
連れて帰れんくてごめんな
最後に訳分からんLINEして怒らせてごめん
避けててごめん
お兄ちゃんありがとう
一緒にハイボール飲みたかったなー
バイクのヘルメットも塗装してもらいたかったなー
しゃーなしでお兄ちゃんが使ってたやつ、使う事にするわ!
最後に
私と母が後悔してる事
タラレバになりますが、最初に診てもらった担当医がとても後ろ向きで、こちらがしんどかった事。
セカンドオピニオンや自由診療に関して聞いただけで、それするなら僕はもう診ないので。と言ってきた事。
正直、黙ってセカンドオピニオンや自由診療しまくれば良かったと思いました。
医師に頼るしかありませんが、こちらにも選択肢はあっていいはず。
だって命かかってるんですから。
医師への違和感は間違いじゃなかったと思います。同じ病院でも、前向きで色んな治療法を提案してくれた医師もいました。
もう何を言っても兄は帰ってきませんが、今まさに治療中の方おられると思います。お金の問題もあると思います。
でも少しでも納得の出来る治療を信頼できる担当医として欲しいと思います。
コメントにもありましたように、このブログは短い期間でしたが、兄の想いが詰まってますので、残しておきたいと思います。
長々とほぼ自分語りですみません。
兄のブログなのに乗っ取ってしまった。
棺桶にも入れた、妹からの怒りのメッセージの手紙と合わせてこのブログも読んでな。笑
もうしばらく思い出してはメソメソしたいと思います。
ツナたまご妹