重みの違い | 晴れのち曇り、時々雷雨~息子との日々、時々毒吐き

晴れのち曇り、時々雷雨~息子との日々、時々毒吐き

息子の成長を綴っていましたが、令和元年5月8日に突然父が旅立ってしまい…。言葉も交わせなかった後悔、未だに信じられない気持ちでいること…。私の全てが父へと向かう今を綴ります。

先日、息子の誕生日があり、
8才になった。





世界一大好きなおじいちゃんを失った1年を
息子は一生懸命に生きた。





誕生日から11日後に
お星様になってしまった。






数日前、実家の母と父のスマホを見たそうで。




嬉しそうに教えてくれた。




『見て!見てー!
これでしょー!ほら、1年前もっ!』




父のスマホのスケジュール帳には、
息子の誕生日が毎年書き込まれていた。




ハート付きで。





実家に行っても、
おじいちゃんは居ない。




おじいちゃんは、遺影の中に収まって、
いつも同じ顔をしている。




物心がきちんと付いている
8才の息子にとって、
この1年はどうやって気持ちの折り合いを
つけてきたのだろう。




情緒がとても安定している子なのに、
ほんの少し、
私に分かる程度、ほんの少し、
遺影の前ではグズグズと機嫌が悪く、
我が儘な感じになる。




それが、この子の気持ち。










我が家では、
息子が二十歳になったら渡そうと、
誕生日に主人と1枚ずつ手紙を書いてきた。




ポストカードにそれぞれの年齢の息子宛てに。





今年の私からの手紙は、
当然、父の名前が沢山出てきた。




悲しいことがあったね。


それでも一生懸命頑張ってきた
アナタは偉いよ…と、
そんな感じに。





書きながら、涙が止まらなくなった。






近くで時間をかけて書いていた
主人の手紙。



無造作に机の上に置いてあったから
読んでみた。




私の心の中では、
主人もきっと、父の名前を書いて、
『悲しかったね』との文面があるに違いないと
思っていた。




あの日、玄関で、
ヒーヒーと泣いて、
どうやっても泣き止まなかった息子。




葬儀までの数日間、
泣いてばかりで、
食事もほとんど出来なかった息子。




主人も息子がどれだけ
おじいちゃんのことを好きだったかということを
認めていたはずなのに。






主人からの手紙には、
父の名前は書かれていませんでした。





そんなことはなかったかのような。



そんなことは無かったのだろうか、
この1年の間には…。





何とも言えない寂しい気持ちになった。




重みの違う一年を生きてきたのだな…と、
痛感した。





身内を全く亡くしていない主人だから。




突然亡くしたあの日の衝撃は、
所詮他人の主人にとっては、
遠い遠い日の出来事なのだろう。







父にソックリなオジサンが、
毎日夕方、家の前をウォーキングしている。




最近息子は、そのオジサンが通ると、
ストーカーのように走って付いていってしまうようになった。




挨拶を交わした後に、
ニコニコと嬉しそうに、
半分ふざけたようでもあるが、
付いていくその様子に、

息子から父を奪われた現実が、
心に襲いかかってくる。




とても切ない、
夕方の光景。





お父さんの知らない
8才の男の子になりました。







誕生日ケーキ作り。


スポンジは既製品。



でも、楽しそうに、とても上手にデコレーションしましたよ。







スタンプで隠してあるところには、
お父さんが写っています。



赤ちゃんの時の写真だから、
息子の顔はそのままに。



沐浴の写真。



里帰りしていた1ヶ月と少し。
毎日息子をお風呂に入れてくれた父。



一回も泣かなかった息子。



この写真は、棺の中に入れました。