山本覚馬・八重邸宅跡

京都府京都市中京区河原町通御池下る下丸屋町394 タカオエステート

会津藩士・山本覚馬は、京都守護職・藩主松平容保に従って上洛、京都に住んだ。

1868年、鳥羽・伏見の戦いにより入牢。

小松帯刀に見いだされ、京都府勧業掛として京都府権大参事・槇村正直による近代化策を推進。

覚馬の妹・八重も同居し、新島襄と結婚した。