和泉式部筆塚碑

大阪府岸和田市下松町4丁目15

和泉式部の愛用していた筆をまつった塚とも。

平安時代、百人一首の歌人、中古三十六歌仙、女房三十六歌仙として活躍した和泉式部。

978年、越前守・大江雅致と越中守・平保衡の娘として誕生。

999年、和泉守・橘道貞と結婚。

母は冷泉天皇皇后昌子(太皇太后)に仕えた、父が太皇太后宮大進、夫の和泉守橘道貞が同権大進を兼ねていた。

恋愛遍歴が多く、藤原道長から「浮かれ女」と評されたとも。

同僚女房の紫式部からは「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない」と批評されたとも。

真情に溢れる作風は恋歌・哀傷歌・釈教歌に表され、殊に恋歌に情熱的な秀歌が多い。

才能は大歌人・藤原公任にも賞賛され、赤染衛門と並ぶとも。