越前の大名 朝倉氏発祥の地

兵庫県養父市八鹿町朝倉700−1

朝倉氏は、但馬国(兵庫県北部)を発祥とする氏族。

越前国(福井県など)を拠点とした戦国大名の越前朝倉氏の祖。

越前朝倉氏は越前国守護・斯波氏に仕え、甲斐氏、織田氏に次ぐ斯波三守護代の第三席となり、越前国を支配。

但馬には、開化天皇の後裔とも孝徳天皇の後裔とも伝わる日下部氏が、平安時代から大武士団を形成。

朝倉氏は、この日下部氏の流れを汲む氏族の一つで、他に、山陰最大の守護大名・山名氏の家老職である太田垣氏・八木氏・田公氏などがある。

但馬朝倉氏は平安時代、日下部宗高が当地付近に住み、朝倉氏を称した。

宗高の子・朝倉高清は源頼朝より領地の安堵と木瓜紋を賜った。

その後、朝倉氏は朝倉城を築き、代々この城に拠った。

高清の長男・安高は八木氏を興して朝倉氏は衰退した。

室町時代、但馬守護の山名氏に仕えたが、織田信長に敗れた。